島田裕巳氏が、伝統について興味深い論考を書いています。
夫婦同姓は日本の伝統といえるのか…昔は保守派が「夫婦同姓」に反対していたのに今は固執するワケ(プレジデントオンライン) – Yahoo!ニュース
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臣籍降下した人間に与えられた姓の代表が「源氏」である。それは、平安時代の第52代嵯峨天皇のときからはじまる。その際に源の姓を与えられた者は、「嵯峨源氏」と呼ばれた。
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■嵯峨天皇がはじめた「子」をつける伝統
明治に時代が変わると、今度は、「お」ではなく、「子」がつけられるようになる。「つる」が「つる子」となったわけである。こうした命名の仕方は、明治になると上流階級からはじまり、明治30年ごろには一般の庶民にも急速に広まっていった。
女性に「子」をつけることは、これも嵯峨天皇がはじめたことで、皇室においては、その伝統が今も受け継がれている。だから、愛子内親王であり、彬子女王なのだ。
一つ興味深いのは、民間から皇室に嫁いだ女性たちの場合にも、美智子上皇后や雅子皇后がそうであるように、誰もが「子」がついていることである。これは偶然でもあるのだが、最後に皇室に嫁いだ秋篠宮妃(紀子)は昭和41(1966)年の生まれで、その時代、女の子の名前には半分くらい「子」がついていた。
それが昭和の終わりから、「子」はむしろ少数派になった。悠仁親王は平成18(2006)年の生まれで、その年、女の子の名前で多かったのは、陽菜、葵、さくらだった。将来、陽菜皇太子妃や葵皇后が誕生するのかもしれない。
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社会は絶えず変化し、しかも、そのあり方は大きく変わっていく。変化が起こってしまうと、それ以前のことがわからなくなってしまう。私たちは、伝統だと言われる事柄が、いったいいつまで遡れるものなのかを確かめていく必要がある。
多くの場合、それほど昔に遡るのは難しい。少なくとも夫婦同姓や男系男子での皇統の継承は明治以降に生まれた、比較的新しい「伝統」である。にもかかわらず、伝統ということが持ち出されるのは、他に正当な理由を述べることが難しいからなのではないだろうか。
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「光る君へ」に登場する『源氏物語』も、賜姓源氏が主人公であり、内親王や入内した道長の娘にも、すべて「子」がついているのは、嵯峨天皇が始められた慣例が「伝統だと言われる事柄」になっていたことを表しています。
現在は賜姓源氏が廃れ、「子」のつく名前が少数派になっているのは、「社会は絶えず変化し、しかも、そのあり方は大きく変わって」ゆき、「伝統だと言われる事柄」も変化するということ。
「愛子天皇論 第251章 立憲民主党と皇統クラブ作戦」において先生は「保守の要諦は過去から未来を貫く伝統(バランス感覚)を不文のルールとして守ることであり、因習を原理主義として守ることではない!」と述べられました。
嵯峨天皇が始められた慣例でさえも、歴史の一頁に刻まれつつ、「時代のバランス感覚を捕らえながら、徐々に刷新してゆくのが保守(「歌謡曲を通して日本を語る 冬」)。
「男系男子での皇統の継承」は、「伝統」ではなく、時代のバランス感覚からは大きく外れてしまった因習。
愛子さまも愛子さまのお子様も天皇になっていただける「双系での皇統の継承」こそ、時代のバランス感覚をとらえた真の「伝統」です。
文責 愛知県 まいこ
3 件のコメント
くぁん
2024年11月21日
とても面白い記事の紹介ありがとうございます♪同姓に拘るのと男系男子に拘る心理の根っこにあるものって、”伝統を守る”ではなくて、”男尊女卑”なんだろうな。透けて見える〜☆
叶丸
2024年11月21日
ありがとうございます。
疑問が解けました。
以前、自分は別のブログで「皇室が名前で国民を差別していると思っている人が居そうです」と言うような事を書きましたが、皇室が差別の元凶だと思っているような人に読んで欲しい記事です。
パワーホール
2024年11月20日
「時代のバランス感覚を捕らえながら、徐々に刷新してゆくのが保守(「歌謡曲を通して日本を語る 冬」)とありますが、「維新」という言葉も維持の「維」と刷新の「新」の字から成り立っていますよね。守るべきものは守り変えるべきものは変えるというのは大切なことかつ真理であると思います。