双系システム(日本の伝統的な家族形態)の成立過程を考察する(承)


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 旧石器時代に生きた人類の部族(数家族からなるバンド)はマンモスのような大動物を追いかける狩猟生活だったと思われ、バイカル湖以北のシベリアを彷徨っていたバンドが氷河期の海面低下に伴って沿海州→サハリン→日本列島と渡ってきたのが原縄文人だろうと『縄文人に学ぶ』の著者・上田篤氏は言います。上田氏は「記紀神話」や「風土記」の記述と顔相学的研究から縄文期以降に流入した人を出身地域別・人種別に分類し、それは到着順原縄文人(列島に広く分布):北シベリア型、コシ族(日本海側の海辺に分布):南方海洋民型、ヒナ族(蝦夷・甲信越以東に分布):モンゴル型、アマ族(天孫族に従い広く分布):中国江南型、天孫族(弥生人・後の支配者層):南シベリア型です。

 平原でマンモスを追っていた原縄文人が山がちな日本列島に来たため、彼らは必要に迫られて狩猟生活から採集生活に切り替えたと上田氏は主張します。確かに日本列島には急流河川の下流にできた扇状地や山間部の盆地しか無く大動物が走れる草原はありません。縄文人が列島に入った頃にはナウマンゾウも滅びていた可能性があり、彼らは山林や川、海岸での採集生活に適応せざるを得ません。採集生活になれば女性が重要な働き手となるため、集落は自然に母系制家族に移行したと言います。しかし私は無条件では上田説に乗れません。なぜなら、マンモスを追う原縄文人のバンドは腕力が物を言う父権的な父系制家族の集団だったと思われるからです。エマニュエル・トッド氏の説によれば家族システムは数百年ほど持続したと思われ、従って縄文人が母系制へ移行するには、現在まで母系制を色濃く残す太平洋島嶼地域の海洋民(上記分類ではコシ族)がマジョリティーを形成する必要があると思われます。

 また、記紀神話(古事記・日本書紀)には北方大陸民型南方海洋民型の物語が混在し、前者は垂直型(造化三神・高天原・天孫降臨…)、後者は水平型(伊邪那岐&伊邪那美の国生み・河口で天照ら誕生・国譲りに抵抗して事代主が水没・海神の娘らが活躍する日向三代…)ですが、記紀神話の比重は水平型に偏っていると私は感じます。つまり1万年以上も平和的に続いた縄文期に最も大きな爪跡を残したのは南洋から来たコシ族だと思われます。

(転)に続く。


(メールより) 文責:京都のS

7 件のコメント

    基礎医学研究者

    2022年3月9日

    基礎医でございます。解説ありがとうございました。なるほど、地域や文の構造だけでなく、語調がポイントなのですね。これは、勉強になりました(自分は、文化人類学には疎いもので)。では、また次回も期待しております。

    京都のS

    2022年3月9日

     ダダ様、基礎医様、ありがとうございます。モンゴル系の言語は日本語と同じSOV型(主-目-動)ですが、最も強い影響を与えたと私が考えるのはポリネシア系の言語です。日本語の音には子音だけのものは無く、単語を声に出して言う時に、それを伸ばせば必ず母音が現れてきます。この特徴は古代ポリネシア語と共通します。こうした面からもコシ族が縄文人の文化的な祖先だと考える点です。

    ダダ

    2022年3月8日

    日本にも多くの部族がいたのですね。勉強になりました。
    原縄文人とコシ族の交流による母系制への自然移行かな?とも思いましたが、とりあえず、コシ族だけ覚えておきます(*´▽`*)

    基礎医学研究者

    2022年3月8日

    大変興味深く読ませていただきました(そして、勉強になりました)。自分との以前のやり取りが少しはお役に立ったようなので、恐縮でございます(だから、私、基礎医がコメントするのは、礼儀だろうと思う次第です)。なるほど、自分は人類遺伝学者ではありませんが(遺伝病、分子進化は多少解りますが)、双系の伝承が原縄文人→コシ族ときて、それが文化や習慣の継承と連関する、というのは面白いですね。自分が理解している範囲では、旧石器人時代から縄文時代の人の流入は複雑なようで、どの順序で日本に入ってきたのかを決定するのは、現存する人類のDNAの配列からでは、かなり困難かと思います(たぶん、特に縄文時代の様々な化石の配列を決定することはできれば、理論的にはわかってくるのだろうか(特に、HLAのハプロタイプが推測できれば強力な証拠になるのかもしれませんが)?
     あと、コメント補足で言語の起源に触れられていましたが、人類遺伝学では言語と民族に相関があることは古くから言われているらしく、そうすると自分は、モンゴルや満州などに分布するアルタイ語が起源かと思っておりましたので、これはちょっと意外な感じがした次第でございます。
     いずれにしましても、次回に期待しております。

    京都のS

    2022年3月8日

     そうそう、これも入れるか迷ったのですが、大野晋氏の『日本語の起源』では、日本語の原型は南インドのタミル語だとしています。日本語の中で農耕に関わる語彙の多くがタミル語と共通しています。稲作を伝えたのはアマ族(中国江南型)らしいですが、稲作における技術者集団としてのタミル人も来日していた時期も有ったのでしょうか。ちなみに中韓にはタミル人の痕跡は無いと思われます。

    京都のS

    2022年3月7日

     字数がオーバーしたために泣く泣く割愛した部分があります。コシ族とは越(こし)の国(越前~越後)に根を下ろした集団だろうと思われ、彼らは縄文期には糸井川流域(信濃~越後)で産出されるヒスイの交易に関わったはずで、おそらく出雲(山陰)から出羽(東北の日本海側)までが活動テリトリーだったと思われます。次章で触れますが、出雲の八千矛は越の国にいるヌナカワヒメを訪ねます。
     ヒナ族は蝦夷(エミシ)です。天孫族への国譲りに際して大国主は二人の息子に相談しますが、タケミナカタは諏訪(信州)へ逃げ、事代主は海に身を投げます。出雲系も越系も蝦夷系も、コシ族・ヒナ族を含めた縄文人の中核を担ったのでしょう。

    京都のS

    2022年3月7日

     この章(承)は、当サイトのブログ「神代から続く常識に立ち返ろう!」( https://aiko-sama.com/archives/5958 )のコメント欄での基礎医様とのやり取りが着想の元となっています。

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