「英雄達が選択しなかった歴史」が、気になった!

Post's thumbnail

1 男系派の “脳内法隆寺” に、魂は入っとるんか!?

「なんと、『お釈迦様の骨』が奈良県に埋まってたというが、それはホンモノなのかね?
だとすると、その骨が見つかれば、お釈迦様のクローン人間も製造可能って事かね??」

先週、やっとオンデマンドにUpされた『英雄たちの選択』推古天皇回を観て、そんな感想が浮かびました。昔はネッシーとか、ビッグフットとか、杉沢村とか、竜宮城はムー大陸だったとか、古代の天皇は宇宙人だったとか、そういう類のオカルト話はロマンがあって好きだったけどね。アンビリバボーとかでもやってたし。

男系派をXとかでモグラ叩きしてると、どうしても「史実関係」を問い詰めていく思考回路になるから、段々ロマンのない人間になっていくのが、我ながらイヤなもんだねwww

・・・まてよ?
推古天皇主導で建設した飛鳥寺(当時は「法興寺」)に、お釈迦様の骨まで埋めたという事は、むしろそっちの「五重塔」の方が、聖徳太子建立のお寺である法隆寺の五重塔よりも、現代に残すべき大事な寺院だったんじゃないのか!?

なのに「飛鳥寺 五重の塔」は令和8年現在、跡形も残っていない。ちょうど源頼朝が征夷大将軍だった頃の健久7(1196)年の落雷によって消失して以降、室町時代には廃寺同然だったようです。

番組中では土台ごとバラバラになってしまっていた舎利容器(蓮の葉に鎮座したカプセルのようなもの)も、その火災後にいったん取り出して、再埋納したものらしい。

男系派はよく、「法隆寺の五重の塔が鉄筋コンクリートになったら価値はあるんか?」と詰め寄って来るけれども、だったら何故、まさに当時の天皇肝煎りだった飛鳥寺の「五重の塔」の方を、現代に残そうという動きが見られなかったのかね!?飛鳥寺や法隆寺を建立した推古天皇や厩戸皇子が目指した「仏教国家」という価値観を後世まで大切にするなら、そっちの方が大事だった筈だが⁉️

なにせ百済から伝来した、(たぶん)本物の「お釈迦様の骨」を埋葬しとる上に、当時既に「蘇我氏の氏寺」という枠に留まらず、仏教研究の中心寺として機能し、文武天皇の頃には「官寺」とほぼ同様の扱いで、朝廷の庇護まで受けるようになってたんだからな。

ちなみに法隆寺五重塔の礎石にも、飛鳥寺と同じように仏舎利は埋められていたそうですが、こっちの中身はどうやら、ダイヤモンドだったらしい。 本物の遺骨の代替品だと思われますが、釈迦の教えより「拝金主義」を重んじる人には、ナルホド法隆寺の方が、価値は上かもねwww
 その法隆寺も『日本書紀』によれば、天智天皇9(670)年に一度全焼しているそうです。 つまり皆さんが教科書とかで知ってる法隆寺も、どうやら再建されたもののようです。

しかし、少なくとも明治2年の神仏分離令以降、むしろ推古や厩戸が目指した「仏教国家」とは、まるで逆の方向に日本は進んできた、とすら言えます。

「法隆寺」という建造物そのものがどんだけ古かろうが、昔の形を留めていようが、そこに込められた建立者の信念まで100%現在に踏襲、或いは反映されてるとは限らないんですよ。

無論、厩戸の目指した「仏教国家」が頓挫したからって、なにも法隆寺までブッ壊せとは言いませんよ❓️法隆寺五重塔の耐震技術が東京スカイツリーに導入されてる事も、以前なんかの番組でやってたし、現代人に貴重な道標を与えてくれる側面も確かにあるのでしょう。

ただし、推古天皇が仏教国家を推進し、厩戸皇子が仏教の法典に基づいて十七条憲法を定めたのはそもそも、「豪族同士の争いをなくし、国を治める為」だった筈でしょ?
だとすれば法隆寺も、そして往時は一大勢力を誇った飛鳥寺も、建立当初の役割は既に終えたという見方も出来るのではないでしょうか?

単に釈迦の教えを普及するだけなら今や、他のお寺さんがいくらでもやってくれるし、そもそも仏教だけで安寧をもたらすには、今の日本は価値観も、争い事の原因も、あまりにも多様化しすぎたから。

そもそも何の為に法隆寺を残すのか?
残す事が現在の日本にとって、どんな国益をもたらすのか?
どうせ残すなら、建立者が大切にした価値観まで、ちゃんと残さなくていいのか?

・・・という疑問に対する具体的な説明を、男系派は一切やってくれないんだよね。

ただ古い建築だから残せってか?
ただ古いしきたりだから、シナ由来でしかない男尊女卑因習も残せってか??
ただ古いってだけで、問答無用でエライってか???

まさに番組エンディング近くで磯田道史氏がコメントした、「しきたりだからといって、無批判に従うのはよくない」という指摘に繋がるテーマじゃないか。
 磯田さんって、皇統問題にどういうスタンス持ってる人なのか今まで不明だったから、なるべく信頼しすぎないように一歩引いて観てたけど、あの最後の〆で俺は好感持ったぞ~!!

今度、著書も買おうかなwww

文責 北海道 突撃一番

参考文献

ほぼWikipedia:「仏舎利」「飛鳥寺」「法隆寺」

8 件のコメント

    mantokun

    2026年3月30日

    塔(ストゥーパ)は仏舎利を納め、仏像誕生までは塔こそが釈迦そのものとして崇められたほど寺院に最重要の建造物で、見た目にも威容を示せるため、焼失当時の飛鳥寺周辺の人々も、再建できるものならしたかったと思います。
    でも鎌倉幕府は幕府で、新たな武士の時代に、武士の救済に向けた禅宗寺院の創建に力を入れていました。日本仏教が興った大切な寺とはいえ、遠く離れた飛鳥に資金を投入する意義が薄かったのは仕方ないことかもしれません。
    鎌倉から遠く離れた飛鳥寺の五重塔を再建するためのネットワークを築き、鎌倉幕府に再建のための支出を求められるほど話術に優れ、行動力とカリスマ性にあふれた僧侶が出現していたら、あるいは再建できていたかもしれないですね。

    ただ、東大寺でさえ七重塔は鎌倉時代に東塔は再建できたものの、戦国時代に再び焼けた後は今に至るまで再建できていません。飛鳥寺大仏が今に至るまで守られてきたことと同様、やはり塔よりも大仏様のほうが、見た目的に人々の心の拠り所として機能しやすく、再建のための支援を得やすいのも自然なことなんだと思います。

    藤原京から西の京に移転した薬師寺も、天武天皇の意思を継ぎ持統天皇が完成された官寺ですが、中世以降は戦乱に巻き込まれて多くの堂塔が失われました。
    昭和になって薬師寺の高田好胤師が「物で栄えて心で亡びる」とまで言われる高度経済成長の時代だからこそ、薬師寺の伽藍復興を通じて日本人の精神性を取り戻す必要があると考えられました。そして、国に頼らず民衆の力だけで伽藍を復興させると決心して、百万巻の写経を訴えられ、国民運動にまで発展させたことで伽藍の復興が進み、昭和56年になってようやく西塔が再建されました。

    塔は落雷被害を受けやすく、再建には莫大な費用が必要で、維持するための費用もかかります。復興したくてもなかなかできないのが実情です。
    飛鳥寺も五重塔こそ復興されませんでしたが、後世の補修の跡が痛々しいほどの姿になっても、飛鳥大仏様は今でも当初の地から動くことなく、地元の方々によって大切に守り伝えられています。
    その時代その時代の人々が大切にしたいと思い続けてきたから、時代に合わせて形を変えながら受け継がれているという点では、飛鳥寺も法隆寺も、そして皇室も、確かに似ているかもしれませんね。

    そこを置き去りにして、単に古いからと法隆寺を骨董品のように見ているだけの男系派は、有り難いとか畏れ多いという意味を取り違えてると思います。

    突撃一番

    2026年3月30日

    成る程確かに、mantokunさん仰るように、法隆寺が焼失した頃はまだ聖徳太子の記憶も新しい時代でしたね。

    一方で、一時は隆盛を誇った飛鳥寺が焼失した頃に実権を握っていた鎌倉幕府にとっては、わざわざリスクを負って再建する程の “心の拠り所” とはなっていなかったという見方も出来るかと思います。

    『鎌倉殿の13人』を観てもわかるように、当時の鎌倉にも仏教信仰が既に定着していた事を考えると、飛鳥寺はやはり、建立当時の「仏教国家建設」という役割は終えていたと考えた方がよさそうです。

    mantokun

    2026年3月29日

    飛鳥寺は、スポンサーだった蘇我氏が乙巳の変で本宗家が滅んだものの、平城京遷都の際に元興寺として移転し、そちらは南都七大寺として平安時代初期までは隆盛を誇っていました。
    ただ、鎌倉時代には朝廷の実権や財政基盤が弱まっていたため、焼失した飛鳥寺五重塔を再建したくても財源を確保しにくかったという事情は大きな要因の一つだと思います。

    平氏の焼き討ちに遭った東大寺の大仏殿が復興できたのは、東大寺大仏が広く人々の心の拠り所となって勧進のネットワークを築けたこと、さらにそれを担う僧侶(重源上人)の存在などが大きいと思います。(これは江戸時代の東大寺復興にも共通する)

    一方で、法隆寺が最初に焼失した頃は、仏教興隆を推進する寺院建立が国家的事業であり、王権が再建を推進できる力と財源を持つ時代でした。そのため、焼失後も再建が可能だったという前提があります。再建後に大きな災害や戦禍に巻き込まれなかったことも、結果としては幸運でした。
    さらに、厩戸王の没後から生じていた神格化が中世以降に太子信仰として発展し、土着信仰とも結びついて全国に広まったことも法隆寺が守り伝えられてきた背景として大きいと思います。

    男系派が、「長く続いたから有り難いのだ」という理屈を法隆寺に結びつけて皇統の男系維持とごっちゃにしているのは、法隆寺を大切に守り伝えてきた人々の気持ちや信仰心を歪曲するもので、確かに腹立たしいです。
    が、飛鳥寺の五重塔が再建されなかった要因には時代背景も大きいと思われますので、「現代に残そうという動きが見られなかった」とまで言い切れるのかはわからないように思います。

    サトル

    2026年3月29日

    >突撃さん
    はい。
    講談社文庫です。
    (Kindleでも勿論あります。)
    今軽く読みかえしてましたが笑、やっぱりこの人はおもしろい男だな…と思います。
    奈良についての記述も出てきます。意外なかたちで。
    磯田道史本読むなら一番最初にコレ…とオススメするのは、「人と、なり」が良くわかるから。
    異論?反論?(たまに)あれど、やっぱりこの人は嫌いにはなれない…がワタシの率直な感想です笑

    突撃一番

    2026年3月29日

    サトルさんもコメントありがとうございます。
    それって書籍でしょうか?

    突撃一番

    2026年3月29日

    掲載&コメントありがとうございます。

    法隆寺を後世に伝える意味、マジでどう説明したらいいか、わからないんですよね。
    本当に京都のSさんが仰るように、「日本スゴイ」とか「観光資源」くらいなのだろうか•••?

    奈良在住の人であれば、物心ついた頃から心に染みついてるだろうけど•••。
    北海道は特に歴史が浅いからかな。

    サトル

    2026年3月29日

    突撃さん
    お疲れ様にございます。
    もし笑「最初に読むのなら」ば、「歴史とは靴である」が、オススメです。

    京都のS(サタンのSでも飼い慣らすし)

    2026年3月29日

     突撃様、お疲れ様です。
    Q.「そもそも何の為に法隆寺を残すのか?」
    ネトウヨ「『日本スゴイ』のネタとしてだ!」
    Q.「残す事が現在の日本にとって、どんな国益をもたらすのか?」
    ネトウヨ「観光資源にもなるだろ?」
    Q.「どうせ残すなら、建立者が大切にした価値観まで、ちゃんと残さなくていいのか?」
    ネトウヨ「要らん!俺様の『日本スゴイ=俺様スゴイ』に利用できるなら他は要らん」
     まぁ、こんなとこでしょうね(笑)。

コメントはこちらから

全ての項目に入力が必須となります。メールアドレスはサイト上には表示されません。

内容に問題なければ、下記の「コメントを送信する」ボタンを押してください。