サトルです。ここまで私は、
・国民の総意とは何なのか?
・立憲秩序は、どう弱っていくのか?
・象徴天皇制は、何によって支えられているのか?
・伝統とは何なのか?
・男系とは何を意味しているのか?
・国民主権とは何を引き受けることなのか?
などについて、少しずつ整理してきました。そして現在、皇位継承問題をめぐる議論を見ていると、やはり一つの問題が浮かび上がってきます。それは、「その区別は、何によって正当化されるのか」という問題です。
【区別があること自体は問題ではない】
もちろん、制度には様々な区別があります。年齢による区別もあります。資格による区別もあります。一定の要件を満たした者だけが、特定の地位や権限を持つこともあります。
ですから、「区別があるから直ちに問題だ」という単純な話ではありません。問題は、その区別にどのような合理性があり、国民に対してどのような説明が可能なのか?という点にあります。
ここまで整理してきた結果、
「男系か女系か」
という議論の奥には、実は、「なぜその区別が正当化されるのか?」という問題が横たわっているように思うのです。
【なぜ、その区別が必要なのか】
例えば、「男系だから」という説明があります。しかし現代立憲国家においては、
なぜ男系なのか?
なぜその区別が必要なのか?
なぜその制度が国民統合に資するのか?
そうした説明責任が求められます。
また、旧宮家養子案についても同じです。私はここで、直ちに賛成か反対かを論じたいわけではありません。しかし、
なぜその人なのか?
なぜその血統なのか?
なぜその区別が許容されるのか?
そうした問いは、避けて通ることができないように思うのです。婚姻によって皇室へ入る場合と、養子によって皇籍を取得する場合とでは、制度上の意味合いも大きく異なります。
だからこそ、制度として何を正当化しようとしているのか?その説明責任は、より重く問われることになるでしょう。
【法の下の平等へ】
そして私は、現在の議論は最終的に、「法の下の平等」という問題へ接続していくように思っています。
なぜ女性だけが排除されるのか?
なぜ特定の血統だけが特別な資格を持つのか?
なぜその区別が正当化されるのか?
それは「本当に憲法が予定している区別なのか?」、あるいは「象徴天皇制という制度の中で、どのように説明されるべきなのか?」。
こうした問いは、感情論でも、好き嫌いでも、多数決だけでも、答えを出すことはできません。だからこそ、憲法そのものへ立ち返る必要がある。
【次回予告】
そして私は、皇位継承問題もまた、最終的には、「門地」という問題を避けて通れなくなるように感じています。なぜなら、皇位継承問題とは、単に「誰が継承するのか?」という問題ではなく、「どのような区別が許されるのか?」という問題でもあるからです。
次回は、憲法第14条が何を守ろうとしているのか?そして、「法の下の平等」とは何なのか?さらに、「門地」とは何なのか?について、わたしなりに、少し考えてみたいと思います。
1 件のコメント
SSKA
2026年6月10日
男手を多く確保した方が戦時も平時も社会は効率的に回るものと考える、前近代の過去から昭和くらいまで続いた人口増加が前提とされる時代の価値観に過ぎませんし。
男系(血統)が望まれたのでは無く、どの世界でも使い勝手の良い「男手」が労働力や戦闘員として長い間持て囃されたから、それを率いるのは(天皇も含めて)主に男で次に生まれるのも男が良いな、と社会や集団の効率化の為の要請があり続けた、ただそれだけの話です。
…だからまあ本当に辛辣な書き方をすれば男は使い捨ての駒として重んじられたと表現も出来ます、大概女より早く亡くなりますし…
上記で特に重要なのが社会の効率化、これが人の手だけで回っていた時代なら産めや増やせやで対応出来た、しかしそれが変革により大きく変わってしまった、自動化や機械化と人手を必要としない流れにシフトして行った、そして現在もAI化により加速的に進みつつあります。
男尊女卑派の不安の本来の根源は上記の社会や経済の効率化、それを一層押し進めた20世紀末のITの普及やその後の構造改革と言った政策にあるはずですが…総じて短絡的で視野も心も狭いから全て対等に社会進出した女性のせいだと敵を見誤っている、為政者の思う壺ですね。
男系主義の実体と言うのも、本音は男の血が尊い「はずだ」と思いたい心理、「そうと社会が認めてくれなければ簡単に捨てられる男の一生は浮かばれないし、もう泣くしかない…」悲哀や哀願です…だから全てにおいて言動がみっともない、明治に解体された元武士達の心情も顧みれば男系規定の心理効果も一層浮かび上がって来ると思います。
涙の叫びだから些か強迫観念的で厄介ですけど、もう憐れみしか感じません。
国の柱に相応しい訳無いでしょうと。