グリル厄介者 vol.7シェフサトルが、素材そのまま斬ってみました編(その3 最終回)

Post's thumbnail

サトルです。

…で始まったこのコラム。

と、政府批判…法案の不備批判となるのか?と思いきや、

これで本当にいいんですか?倉山さん。言論人?として。「曲学阿世」、「御用言論人」などと、敵陣営?を批判する方が…。

その後の展開、内容は、(その1)(その2)にて検証したので、繰り返しませんがね。

ここからは、「誰が動いた」「誰が勝った」という政局の話が中心になっていく…。今回は、その続きを実際の文章で見ていきましょう。

倉山氏はこう書きます。

まず気になるのは、「説いて回った人」。「説いて回った人」とだけ書けば、読者は自由に想像できますね(笑)

でも、「パンピーの男を…」なんて言い方で説いてまわる…「人」は…。

まあ、ここで指摘したところで、「どこに○○がやったと書いてある?!」とか、「まあ…勝手に連想されるのは、私は止めることはしませんよ(微笑)」と言われるのが、オチですな。

続けて、

やれやれ。

常識論…「何が常識論なのか?」も、ここでは確認できませんね(苦笑)

さらに、

総意?

で、続けてここ。

!!!

こりゃ驚いた!「曲学阿世」とか「御用言論人」と相手を侮蔑していた御仁が、まさかの、政府が用いる『立法府の総意』という表現を、そのまま採用している…。

あのね。

 一部の主要政党やグループが合意したとしても、反対や賛否に慎重な意見を持つ他の政党や会派が存在する以上、『立法府の総意』という政治的表現を、そのまま制度論の評価基準にしてしまっていいんですか?

さらに追加しますが、

政治家はよく「主権者から権限を託された」とか言いますが、有権者が渡したのは「代わりに議論して判断する権限(包括的委任)」であって、「出す法案すべてに無条件で賛成する権利(個別的同意)」ではないですよね?

まさか「憲政史研究家」も名乗る倉山氏がこんな「曲げる」ことを言う…いや「看過」するなんて…。憲政史…とは、一般的な使い方ではなく、「憲法」「政治」「歴史」からの憲政史と、御自身おっしゃてたかと。

もちろん、「それを踏まえた上で」、政治の舞台裏を語ること自体を否定するつもりはありませんが、しかし、これでは、そもそも制度論…ではないんじゃあ…。もし、制度論であるなら、「なぜその制度が望ましいのか?」「なぜその制度が持続可能なのか?」「憲法や象徴天皇制とどう整合するのか?」…そうした論証が中心になるはずだと思いますが、如何でしょう?

でも、実際にその後に続くのは、「なぜ中道が賛成したのか?」「高市首相が頭を下げれば…」「NGワード」「官邸は…」といった政局分析です。

総理が「頭を下げれば…」と提案?するのは、果たして「学者」の姿勢としてどうなんでしょうか?

しかも、その分析自体…読者が本文から確認できる根拠は、ほとんど示されてません。実際に「政局が」そうだった可能性を否定するものではありませんが、しかし少なくとも、言論人として?…連載名を「言論ストロングスタイル」と掲げてるなら、それは看板に…

これ以上は申しませんが。これは誰にむけて書いてるのか?そこをはっきりしませんか?

「陰謀は粉砕された。」「ざまあみろ!」という結論だけは強く提示され、さらに後半になると、話題は完全に変わる…

高市首相の国会運営。予算。解散時期。比例定数削減。減税。…さまざまな文字が踊る。そして最後は、「政権担当能力を発揮せよ。」で締めくくられます。

論点が制度論から政局論へ次々と移るため、読者は論の軸を見失ってしまいますよ(笑)?もちろん力強い論の軸があるならば…ではありますが。強い言葉「だけ」では無く。

このコラムの主題は、皇位継承制度でしょうか?
それとも、高市政権の国会運営だったのでしょうか?

政治と皇室制度は無関係ではありませんが、しかし、それでも、制度論と政局論は分けて論じるべきだと思いますが?制度論ならば、「誰が勝ったか」よりも、「その制度がなぜ正当なのか」を論証することが最優先ではないですか?

しかし実際の文章の流れは、制度論として始まり、政局分析へ移り、最後は「政権担当能力を発揮せよ」…。

最後に一言。

政局分析を並べるだけでは、「その制度をどう設計し、なぜ正当化できるのか」という制度論にはなりませんよ?

おしまい。

2 件のコメント

    サトル

    2026年7月31日

    今回も投稿採用ありがとうございました。
    >基礎医さん
    そうでした_(^^;)ゞ
    「主語」がないと、いらん誤解を招くだけでした。補足ありがとうございます。
    >京都のSさん
    コメントありがとうございます。
    そうですね、扶桑社?編集者?は、今頃「ムーディー勝山」がブームなのかも知れませんね(笑)

    京都のS(サタンのSじゃねーし)

    2026年7月31日

     小林よしのり先生の『神功皇后論』を連載することで、産経新聞社の子会社としての扶桑社としては、暇なネトウヨから抗議メールや電凸を受けるという意味で立場がヤバくなり、その両者のバランスを取るためには倉山満みたいな威勢がイイだけのクズに書かせておく必要があるからでしょうね。万一「トーイツ戦線」で負けても事後にクズを斬るだけで済みますから(笑)。

コメントはこちらから

全ての項目に入力が必須となります。メールアドレスはサイト上には表示されません。

内容に問題なければ、下記の「コメントを送信する」ボタンを押してください。