サトルです。
「なんとか改正皇室典範が成立した。」
…で始まったこのコラム。
すぐに、
「最後の局面で政府の法案立案能力に慄然としたが、…」
と、政府批判…法案の不備批判となるのか?と思いきや、
「まさか潰す訳にはいかない。」
と、まさに「まさか」な展開。「”戦争目的”は達した」から、オッケーと…。
*これは、「倉山の文章が」という意味ですね?(by基礎医)
これで本当にいいんですか?倉山さん。言論人?として。「曲学阿世」、「御用言論人」などと、敵陣営?を批判する方が…。
その後の展開、内容は、(その1)(その2)にて検証したので、繰り返しませんがね。
ここからは、「誰が動いた」「誰が勝った」という政局の話が中心になっていく…。今回は、その続きを実際の文章で見ていきましょう。
倉山氏はこう書きます。
「これに対し、『皇室の話なのだから、アンケートや人気投票ではなく、先例に基づいて議論しよう』『パンピーの男を皇族にさせてはならない』と説いて回った人がいる。」
まず気になるのは、「説いて回った人」。「説いて回った人」とだけ書けば、読者は自由に想像できますね(笑)
でも、「パンピーの男を…」なんて言い方で説いてまわる…「人」は…。
まあ、ここで指摘したところで、「どこに○○がやったと書いてある?!」とか、「まあ…勝手に連想されるのは、私は止めることはしませんよ(微笑)」と言われるのが、オチですな。
*こういう感覚の人、たまにみかけますが、いくら証拠を突き付けても「いや、本人が○○したって言ってない」と言って認めないパターン。だけど、社会的には、皆そういう捉え方はしない(大人げないから言わないけど)(by基礎医)
続けて、
「政界の多数は、常識論で落ち着いた。かくして陰謀は粉砕された。ざまあみろ!」
やれやれ。
常識論…「何が常識論なのか?」も、ここでは確認できませんね(苦笑)
さらに、
「最後は中道の賛成で立法府の総意が保たれた。」
総意?
で、続けてここ。
「立法府の総意とは、全会一致ではないが、主要政党の一致である。」
!!!
こりゃ驚いた!「曲学阿世」とか「御用言論人」と相手を侮蔑していた御仁が、まさかの、政府が用いる『立法府の総意』という表現を、そのまま採用している…。
*まさに、曲解。しかし、新聞はこういうことにごまかされず報道したので、そこは安心した(by基礎医)
あのね。
一部の主要政党やグループが合意したとしても、反対や賛否に慎重な意見を持つ他の政党や会派が存在する以上、『立法府の総意』という政治的表現を、そのまま制度論の評価基準にしてしまっていいんですか?
さらに追加しますが、
政治家はよく「主権者から権限を託された」とか言いますが、有権者が渡したのは「代わりに議論して判断する権限(包括的委任)」であって、「出す法案すべてに無条件で賛成する権利(個別的同意)」ではないですよね?
まさか「憲政史研究家」も名乗る倉山氏がこんな「曲げる」ことを言う…いや「看過」するなんて…。憲政史…とは、一般的な使い方ではなく、「憲法」「政治」「歴史」からの憲政史と、御自身おっしゃてたかと。
もちろん、「それを踏まえた上で」、政治の舞台裏を語ること自体を否定するつもりはありませんが、しかし、これでは、そもそも制度論…ではないんじゃあ…。もし、制度論であるなら、「なぜその制度が望ましいのか?」「なぜその制度が持続可能なのか?」「憲法や象徴天皇制とどう整合するのか?」…そうした論証が中心になるはずだと思いますが、如何でしょう?
でも、実際にその後に続くのは、「なぜ中道が賛成したのか?」「高市首相が頭を下げれば…」「NGワード」「官邸は…」といった政局分析です。
総理が「頭を下げれば…」と提案?するのは、果たして「学者」の姿勢としてどうなんでしょうか?
しかも、その分析自体…読者が本文から確認できる根拠は、ほとんど示されてません。実際に「政局が」そうだった可能性を否定するものではありませんが、しかし少なくとも、言論人として?…連載名を「言論ストロングスタイル」と掲げてるなら、それは看板に…
これ以上は申しませんが。これは誰にむけて書いてるのか?そこをはっきりしませんか?
「陰謀は粉砕された。」「ざまあみろ!」という結論だけは強く提示され、さらに後半になると、話題は完全に変わる…
高市首相の国会運営。予算。解散時期。比例定数削減。減税。…さまざまな文字が踊る。そして最後は、「政権担当能力を発揮せよ。」で締めくくられます。
論点が制度論から政局論へ次々と移るため、読者は論の軸を見失ってしまいますよ(笑)?もちろん力強い論の軸があるならば…ではありますが。強い言葉「だけ」では無く。
このコラムの主題は、皇位継承制度でしょうか?
それとも、高市政権の国会運営だったのでしょうか?
*自分には、「陰謀は粉砕された。」「ざまあみろ!」という結論だけを伝えたかったようにみえますね。SPA!は、こういう部分をどう考えているのでしょう?コラムだから、本人の主張することは何でもOK?自分には、そう見えます(by基礎医)
政治と皇室制度は無関係ではありませんが、しかし、それでも、制度論と政局論は分けて論じるべきだと思いますが?制度論ならば、「誰が勝ったか」よりも、「その制度がなぜ正当なのか」を論証することが最優先ではないですか?
しかし実際の文章の流れは、制度論として始まり、政局分析へ移り、最後は「政権担当能力を発揮せよ」…。
最後に一言。
政局分析を並べるだけでは、「その制度をどう設計し、なぜ正当化できるのか」という制度論にはなりませんよ?
おしまい。
2 件のコメント
サトル
2026年7月31日
今回も投稿採用ありがとうございました。
>基礎医さん
そうでした_(^^;)ゞ
「主語」がないと、いらん誤解を招くだけでした。補足ありがとうございます。
>京都のSさん
コメントありがとうございます。
そうですね、扶桑社?編集者?は、今頃「ムーディー勝山」がブームなのかも知れませんね(笑)
京都のS(サタンのSじゃねーし)
2026年7月31日
小林よしのり先生の『神功皇后論』を連載することで、産経新聞社の子会社としての扶桑社としては、暇なネトウヨから抗議メールや電凸を受けるという意味で立場がヤバくなり、その両者のバランスを取るためには倉山満みたいな威勢がイイだけのクズに書かせておく必要があるからでしょうね。万一「トーイツ戦線」で負けても事後にクズを斬るだけで済みますから(笑)。