「でんでんむしのかなしみ」行幸啓碑 愛を知る地 愛知県

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美智子さまが第26回IBBYニューデリー大会(1998年)基調講演で御紹介されて有名になった

「でんでんむしのかなしみ」を書いた新美南吉の記念館を、衆院選の投票を終えてから訪れたところ、

平成22年にお出ましになった際の行幸啓碑が建立されていました。

「天皇皇后両陛下が新美南吉記念館をご訪問くださいました」新美南吉記念館


「ごんぎつね」「手袋を買いに」など、教科書や絵本で親しまれている愛知県出身の作家・新美南吉について
言及してくださった講演は、先日、投稿させていただいた「 赤ノッポ青ノッポ」という漫画など、
美智子さまが御幼少の頃から親しまれた数々の作品を知ることができる貴重なもので、子どもや孫に
プレゼントする本を選ぶ際にも参考にされている方もたくさんいらっしゃると思われます。その講演の12年後、
両陛下が新美南吉記念館にお出ましになっていらしたことは、寡聞にして存じ上げませんでしたので、思いがけず
行幸啓碑を拝して嬉しく、そして未だに上皇上皇后両陛下の御心に添えられないことが申し訳なく、
愛を知る地、愛知県からも「愛子さまを皇太子に」の機運が高まることを願いました。

第26回IBBYニューデリー大会(1998年)基調講演 より

まだ小さな子供であった時に,一匹のでんでん虫の話を聞かせてもらったことがありました。不確かな記憶ですので,今,恐らくはそのお話の元はこれではないかと思われる,新美南吉の「でんでんむしのかなしみ」にそってお話いたします。そのでんでん虫は,ある日突然,自分の背中の殻に,悲しみが一杯つまっていることに気付き,友達を訪(たず)ね,もう生きていけないのではないか,と自分の背負っている不幸を話します。友達のでんでん虫は,それはあなただけではない,私の背中の殻にも,悲しみは一杯つまっている,と答えます。小さなでんでん虫は,別の友達,又別の友達と訪ねて行き,同じことを話すのですが,どの友達からも返って来る答は同じでした。そして,でんでん虫はやっと,悲しみは誰でも持っているのだ,ということに気付きます。自分だけではないのだ。私は,私の悲しみをこらえていかなければならない。この話は,このでんでん虫が,もうなげくのをやめたところで終っています。
あの頃,私は幾つくらいだったのでしょう。母や,母の父である祖父,叔父や叔母たちが本を読んだりお話をしてくれたのは,私が小学校の2年くらいまででしたから,4歳から7歳くらいまでの間であったと思います。その頃,私はまだ大きな悲しみというものを知りませんでした。だからでしょう。最後になげくのをやめた,と知った時,簡単にああよかった,と思いました。それだけのことで,特にこのことにつき,じっと思いをめぐらせたということでもなかったのです。
しかし,この話は,その後何度となく,思いがけない時に私の記憶に甦って来ました。殻一杯になる程の悲しみということと,ある日突然そのことに気付き,もう生きていけないと思ったでんでん虫の不安とが,私の記憶に刻みこまれていたのでしょう。少し大きくなると,はじめて聞いた時のように,「ああよかった」だけでは済まされなくなりました。生きていくということは,楽なことではないのだという,何とはない不安を感じることもありました。それでも,私は,この話が決して嫌いではありませんでした。

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「でんでんむしのかなしみ」の全文は、青空文庫で読むことができます。

新美南吉 デンデンムシノ カナシミ

文責 愛知県 まいこ

2 件のコメント

    ねこ派

    2024年10月29日

    あれほうだいのにわには でんでんむしが、それはそれはゆっくりと じめんをはい かべをのぼっています
    あめふりのおおいじきは にわのあちらこちらで、のっそりといどうする でんでんむしのすがたを、いくひきもみかけます
    しめったくうきが でんでんむしのからだを、おもくしているのでしょう
    そのでんでんむしを にわのじゅうにんは たびたび、ふみつぶしてしまいます
    じめんをはっているのに きがつかないのです
    でんでんむしは にげるいとまもない
    ぐしゃっといやなおとをたてて でんでんむしのせなかのからがくだけて つぶされたからだもろとも ぐちゃぐちゃ あめあがりのじめんに でんでんむしのたいえきが ひろがります
    でんでんむしのてんてきは まいまいかぶりです
    みをまもるため からだを うずまきじょうのからのなかに、しまいこんだでんでんむしを、まいまいかぶりは そのいりぐちからあたまをつっこんで むしゃむしゃと たべてしまいます
    でんでんむしは せなかのからのなかのかなしみとともに ふみつぶされ たべられる ……

    ご紹介の新見南吉の「デンデンムシノ カナシミ」を読みました。
    梅雨の時分の庶民の庭と、そこにいるでんでんむしとの情景を思い浮かべて、書いてみました。
    悪趣味で、すいません。
    皇居は、自然豊かですから、でんでんむしはたくさんいて、しかも、数種類はいるのではないか、と思います。
    マイマイカブリもたくさん、何種類か、いるのでは。
    上皇上皇后両陛下は、天皇皇后両陛下として皇居にお住いの頃は、実際に、皇居内の散策の時などに、♪でーんでーん♪むーしむーし♪カタツムリーを見かけられ、そこで新見南吉のかかる童話を思い起こされたりしていたのかもしれません。

    京都のS

    2024年10月29日

     素晴らしい基調講演を紹介していただき、ありがとうございます。「悲しみは誰でも持っているのだ」の「悲しみ」は、『夫婦の絆』の沙耶が抱える凄まじいルサンチマンにも通じています。「悲しみ」や「ルサンチマン」を克服するのは愛だけかもしれず、愛を名に冠する愛子様を頂くことが「ルサンチマン克服」の象徴になるかもしれないと直感できました。

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