343空、剣部隊司令官の源田実氏をご紹介します(その16)

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引き続きアメリカと激闘する剣部隊と源田実氏をご紹介します。(前回のあらすじを含みます。)


剣部隊はアメリカのF6Fヘルキャット「性悪女」に「下町の猪娘」紫電改で戦い、制空権を敵に取られた中、なお激しく戦います。その中で相次ぐ戦いにて源田実氏は鹿屋基地が連絡や発着に不適な基地であった為、桜島の北に位置する第一国分基地(現在の霧島市国分広瀬と国分福島)に移動しました。普通、一つの基地に就くと上の人は色々動きたくないと思いますが、源田実氏達は”勝つためなら何でもやってやる”と言わんばかりに転戦して行きます。


そして、アメリカが大型爆撃機B-29を使い本土空襲が頻繁になったころ、剣部隊は重武装重装甲の大型爆撃機B-29迎撃任務に参加しました。その中で、菅野直大尉、考案の対大型機戦法である直上方からの降下攻撃が利用され、源田実氏からは、敵1編隊に対し3飛行機隊を集中し攻撃を加え、傷つき遅れた機体を2〜3機にまかせ、他は無傷な編隊を狙うように指導をしました。これは敵のアメリカが日本軍の零戦達との戦いに慣れ、手強くなって来たので、従来のやり方では負けてしまうからとも言われます。
 後に、B-29搭乗員爆撃手ウイルバー・モリスから「三四三空の攻撃は猛烈で、1機6門の機銃を持つB-29の12機編隊あわせて72門による弾の壁を突き抜けて攻撃してきた。あまりに接近してくるので搭乗員の顔が見えたほどである。あんな勇敢なパイロットは他にはいない、信じがたい確率に自分を賭けていた」と語ったほど、当時のアメリカのパイロット達を震え上がらせました(ウィキペディア参照)。
 そんな中、343空の隊長間で、B-29迎撃法について議論が交わされ、菅野直大尉考案の肉薄攻撃について、鴛淵孝大尉と林喜重大尉は危険性から反対しました。2人は菅野直大尉の戦法は特攻あるも、万人が出来るやり方と言えず、下手すればパイロットの命が無いからだとあり、普段仲が良い間柄でもこの時、普段ムードメーカーで穏やかな林喜重大尉が菅野直大尉と口論になり、林喜重大尉は「それなら、明日、撃墜出来なかったら俺はもう帰ってこないぞ!」と宣言し、菅野直大尉は「そんなにまでする必要はないでしょう。運が悪くて堕ちない時は仕方がないじゃないですか。また次の機会にやれば良い」と言い、林喜重大尉は、「いや、君はそれで気が済むかも知れないが、俺には我慢できない。一機も射墜せなければ帰ってこない」と返答し、菅野直大尉も「あなたがそれ程までに言われるなら、私も墜さなければ帰ってこないことにします!」と言い返す事がありました。しかし、林喜重大尉が思い詰めた様子だったので、菅野直大尉は志賀淑雄大尉に知らせ、鴛淵孝大尉や仲間達と林喜重大尉をなだめ、源田実氏も、林喜重大尉を呼び出し、考え過ぎるんじゃないと諭し、その後、胸騒ぎを覚えたのか、翌日の出撃人員から外したそうです。しかし、林喜重大尉は、4月21日にB-29迎撃戦において、出撃人員表に自分の名前が無いのを見ると、出撃人員表を管理する本田稔氏に自分を加えるように指示しました。この時、本田稔氏は嫌な予感がして、志賀淑雄大尉に「今日は私が出ます。林喜重大尉は、何か少し考えすぎているようですから」と相談して志賀淑雄大尉の了解をもらうも、その時、林喜重大尉は自分で出撃表に名前を加え、離陸しました。

林喜重大尉は午前7時ごろ鹿児島県姶良郡福山町上空でB-29の11機編隊と会敵し僚機3機と攻撃を開始、敵に攻撃するため、深追いし、僚機とはぐれてしまいます。その中で、戦闘301(菅野直大尉)所属の清水俊信一飛曹が、出単機戦闘中の林喜重大尉の機を発見し、応援に駆けつけ、ともに執拗に攻撃を繰り返し、敵の1機を黒煙を吐かせて海中に墜落させました。敵の墜落確認しB-29一機撃墜を源田実氏達に報告した直後、林喜重大尉と清水俊信一飛曹は敵に撃たれ、戦死してしまいます。この日、林喜重大尉の紫電改は戦闘開始時に増槽(燃料タンク)が落下せず、そのまま攻撃を開始するもエンジン及び垂直尾翼に被弾し垂直尾翼は破断してしまったとあります。林喜重大尉は、巧みに乗機を操り鹿児島県阿久根市折口浜の海岸に滑空で不時着水を試みましたが、不運にも干潮時であったため砂浜へ直接胴体着陸する形となり、その際に落下しなかった増槽が砂中にのめり込んだことで機体に強烈な急制動が掛かったため、その反動で林は計器板に頭部を強打、頭蓋底骨折で死亡してしまいました。この日、林喜重大尉の戦死を聞いた菅野直大尉は「あんなことを言わなければ・・・」と後悔していたとあります。


林喜重大尉が戦死した地点には「故林隊長弔火葬之跡」と書かれた木碑が建てられ、その後「故林少佐戦死之地」と書かれた石碑として再建されて、墓は神奈川県鎌倉市の報国寺にあります。戒名は制空院顯勲喜重居士。と言い、剣部隊の魂込めた熱い名で鎮座されています。また、林喜重大尉の「イノシシ娘」紫電改は阿久根沖に眠っており、2025年の夏に引き上げられると話がありました。

天皇陛下の下、国体を護るために命を懸けた男の一人、林喜重大尉を覚えて頂ければ、剣部隊の漢達、源田実氏も幸いと思われます。


今回の話はここまで。次回は転戦する剣部隊と源田実氏の話になります。その17に続く。

文責 神奈川県 神奈川のY

2 件のコメント

    神奈川のY

    2024年12月5日

    あしたのジョージさま、コメントありがとうございます。林喜重大尉は部下が亡くなると人がいないところで泣かれていたと話があり、繊細さを持つ戦闘機乗りだったと思われます。だからこそ何かを思いつめ、敵を撃たんとされてたのでしょう。「仁」将の林と呼ばれていましたから。

    あしたのジョージ

    2024年12月4日

    林喜重大尉の敵を一機でも多く撃ち落とそうとする意地が、死を早めるような結果に結びついてしまったのでしょうか。
    よくわからないですが、立派に敵と闘われた英雄だと思います。
    来年の夏には紫電改も引き上げられて、イノシシ娘と共に安らかに眠って頂きたいです。

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