グリル厄介者 vol.4(前編)

お疲れ様です
サトルです。

今回は特に倉山氏の文章の特徴が、強くくっきり出ていたので触れてみたい。いい機会なので、氏の文章に接する機会が多かった自分でもあり、今回冷静に指摘したい。

また、最初にお断りするが、これは論破でも、ツッコミでもない。あくまで「私にはそう読める」であり、最終的判断は読者に委ねる。

当たり前の話である。

※以下は、週刊SPA!2026年5/19号
p38~p39記載の倉山氏のコラムの私の読後感です。

*倉山氏の9条論(?)を読んだ!
今回取り上げるのは、個別論点への賛否というより、

「どう読者が運ばれるか」

である。特に今回、危ういのは導入部分だ。

一見すると、

・政局分析
・改憲情勢
・護憲勢力の衰退
・高市政権の可能性

などを整理しているように見える。

しかし実際には、

「では、どうするか」
   ↓
「まずは9条」

という流れへ、かなり滑らかに接続されている。
しかも、その接続が自然に読めてしまう。

ここは慎重に見た方がいい。

国際法、対米関係、自主防衛、憲法解釈、国家観、歴史叙述……。

大量の知識と論点が、滑らかに接続されていく。読者は、まるで「知識の森」を歩いている感覚になる。

しかし実際には、理解についていくため、次々現れる枝葉を掴みながら、一本道を歩かされている感覚に近い。

特に危険なのは、

「知識量」と「視野の広さ」を、人は混同しやすいことだ。

だからこれは、馬鹿が騙される話ではない。
むしろ、

・知識欲求が強い人
・制度を理解したい人
・知的整理を好む人

ほど、強く運ばれやすい。

しかも今回、文章内で、

という言葉が繰り返される。

だが、読者自身も、“いつのまにか”歩かされている。

だからこそ、最初の接続から慎重に見ないと、
ここに、見落としやすい危うさがある。

後編につづく

1 件のコメント

    神奈川のY

    2026年5月15日

    今までだと、突撃する兵士視点だけになりがちで、自分は知識欲、好奇心と、たぶんこの人はまともな知識人だろうとの勘繰りなどで、いつの間にか、筆者の森に迷ってしまうことがあります。知識欲という餌で誘導されていると思うと、ムカッと来ますが、迷ったと思ったらまずは深呼吸して落ち着くのが大事と覚えました。

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