サトルです。
ここまで、
・立憲秩序は、どういう時に弱っていくのか?
・制度正統性は、何によって支えられているのか?
・「例外」の積み重ねは、制度へ何をもたらすのか?
という問題について、ワイマール憲法や、小室直樹氏の論考なども足掛かりにしながら、少し整理してみました。
今回は、日本国憲法第1条にも出てくる、「国民の総意」について、少し整理しながら考えてみたいと思います。
【「国民の総意」とは、単なる人気投票なのか?】
日本国憲法第1条には、「天皇の地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく」とあります。この条文は、現在の象徴天皇制そのものの土台です。ただ一方で、ここで使われている 「国民の総意」 という言葉は、かなり幅を持っています。
例えば現在でも、
・世論調査 ・SNS ・新聞社説
・政党協議 ・有識者会議 ・国会議論
など、様々な形で「国民意思」が語られています。
しかし同時に、「世論調査で多数なら、それだけで制度変更してよいのか?」と言われれば、それも少し違う。つまり、「国民人気だけ」では、立憲秩序は支えられにくい。
ただ一方で、「国民理解を無視してよい」という話にも、当然ならない。ここが、象徴天皇制を考える上で、かなり難しい部分なのだと思います。
【なぜ、井上達夫氏を参照するのか】
今回、この問題を考える上で、法哲学者・井上達夫氏の著書 『生ける世界の法と哲学』 なども、少し参照してみたいと思っています。理由は、井上氏が単なる「護憲か改憲か」という立場論ではなく、
・立憲主義とは何か?
・国家権力を、どう制限するのか?
・国民主権と象徴天皇制を、どう接続するのか?
・制度正統性は、何によって支えられるのか?
を、かなり重視して論じているからです。もちろん、井上氏の議論すべてに同意しているわけではありません。しかし、それではそもそも議論が不要になってしまいます。
一方で、「現代の象徴天皇制が、なぜ比較的広く受容されてきたのか?」を考える時、
・非権力性 ・国民統合 ・立憲主義との親和性
・国民主権との接続
という視点は、かなり重要になってくるように思えます。
特に、上皇陛下が天皇としてご即位されて以降の象徴天皇制は、「権力としての天皇」ではなく、「立憲主義下の象徴」としての側面を、皇室全体としてかなり強く意識してこられたようにも見えます。
これもまた、「国民の総意」を考える上で、一つの重要な足掛かりになるように思います。
【「目に見える象徴」が持つ意味】
井上氏の論考を読んでいて、特に興味深いのは、非常に論理性を重視する法哲学者である井上氏が、あえて皇室の具体的な振る舞いにも触れている点です。
例えば、
・被災地訪問 ・戦没地慰霊 ・国民との距離感
・政治権力との距離 ・「語りすぎない」自制
・膝をついて被災者と向き合う姿勢
などです。
ここは、かなり重要な論点だと思います。なぜなら、象徴というものは、単に制度や条文だけでは成立しないからです。
むしろ、「この方たちは、権力者として君臨しているのではなく、国民統合の象徴として振る舞おうとしている」という姿が、国民側へ“目に見える形”で積み重なっていく。そこに、現代象徴天皇制の安定性を支える、大切な要素の一つがあるように見えます。
もちろん、感情だけで制度を支えられるわけではありません。しかし逆に、制度論や血統論だけで、象徴制度が長く維持されるのかと言えば、それもかなり難しい。
つまり現在の象徴天皇制は、「制度だけ」でも、「感情だけ」でもなく、その両方を長い時間をかけて接続してきた側面があるように見えます。
ここには、「憲法は本質的には慣習法である」という小室直樹氏の問題提起とも、どこか接続する部分があるように思えます。
つまり立憲秩序というものは、単なる条文だけではなく、
・振る舞い ・自制 ・非権力性
・国民受容 ・制度への信頼
などによっても、多くの部分が支えられているのではないか。そのようにも見えてきます。
【「国民感情」と「制度」は、どう接続されるのか】
最近の新聞社説や政治家発言では、
・国民の納得 ・国民理解
・国民との接続 ・象徴としての受容
などへの言及が、以前よりかなり増えてきています。
これは単なる人気論では済まされず、「象徴天皇制が、社会の中でどう支えられているのか?」という問題意識に近いようにも見えます。
例えば最近でも、
・「制度が国民意識とズレることには問題がある」
・「国民の納得と信頼があっての象徴」
・「国民の総意に基づくという象徴天皇制の拠って立つところ」
といった発言が、特に立憲民主党議員などから相次いでいます。つまり現在、単なる制度案比較ではなく、「制度正統性を、どのように維持するのか?」という問題が、徐々に前面化してきているようにも見えます。
【なぜ「立法府」が重要なのか】
一方で、立憲主義は、「世論だけ」で動くものでもありません。むしろ、世論だけで制度を動かしていく危うさは、歴史を振り返っても、決して珍しい話ではない。
例えばフランス革命でも、「民意」 や 「正義」が加熱する中で、社会そのものが徐々に不安定化していった側面がありました。
だからこそ、立法府が重要になる。
最近の与野党協議でも、立憲民主党の長浜博行議員は、「立法府は、鉄鎖につながれた内閣の奴隷ではない」と、かなり強い言葉で発言しています。
また長浜議員は、2026年5月15日の全体会議後の記者会見などでも、「安定的な皇位継承を確保するための諸課題」こそを正面から議論するべきであり、「等」から派生した養子案だけを先行させる現在の議論運営に、かなり強い違和感を示しています。
ここで重要なのは、単に言葉が強いことではありません。むしろ、
・国民感情 ・制度正統性 ・歴史
・長期安定性・憲法秩序
などを、どう接続・調整するのか。
そこにこそ、立法府本来の役割がある、という問題提起に見える点です。もし、その場の空気や、一時的熱量、短期的政治状況だけで制度が動いていけば、立憲秩序そのものが、徐々に不安定化していく可能性がある。
そこは、かなり重要な論点になるように思います。
【「熱量」だけでは、人間社会は持たない】
最近の皇位継承問題では、かなり強い熱量も見られます。もちろん、危機感や、それによって生まれる熱量そのものを否定したいわけではありません。
むしろ逆です。
実際、新聞社説でも、
・拙速への警戒
・制度形成過程への疑義
・国民理解との乖離
などが、かなり全国規模で論じられ始めています。
ただ一方で、熱量だけで制度を動かそうとすると、人間社会は徐々に不安定になっていく。
しかし逆に、理屈だけで国民感情や象徴性を切り離してしまっても、制度は長くは持たない。
つまり現在の皇位継承問題では、
・国民意思 ・立法府 ・制度正統性
・象徴としての受容 ・長期安定性
を、どう接続していくのか。
そこが、かなり重要になってきているように見えます。
【「誰が正しいか?」だけではなく】
最近、「誰が正しいか?」だけではなく、「制度を、どう長く持たせるのか?」という視点が、かなり重要になってきているように感じます。もちろん、現段階で完全な答えがあるわけではありません。人間社会には、矛盾もありますし、 感情もありますし、 政治もあります。しかも、社会は実験室ではありません。今を生きる人々の生活があり、 歴史の蓄積があり、 制度の積み重ねがある。
だからこそ、単純な善悪や、 勝敗だけではなく、「立憲秩序として、どう維持していくのか?」を、立ち止まりすぎず、しかし拙速にもならず、少しずつ考えていく必要がある。
現段階では、そのように考えています。
長くなってしまいました。一旦終わりにします。
【次回予告】
次回は、「象徴天皇制は、何によって支えられているのか?」について、
・敬愛 ・国民統合
・象徴性 ・制度正統性
なども含めながら、整理してみたいと思います。