天皇制と立憲主義を考えてみる …(その3)ワイマール憲法は、なぜ死んだのか

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サトルです。

前回、「憲法が存在していること」と、 「立憲主義が生きていること」は別である、という、小室直樹氏の問題提起について、 少し整理してみました。

また私は今回、「現代日本=ワイマール」のような単純比較や、「特定政治家=独裁者」のような議論をしたいわけでは決してありません。

むしろ、

・立憲秩序は、どういう時に弱るのか? ・制度の正統性は、何によって支えられるのか?
・“例外”の積み重ねは、制度へ何をもたらすのか?

を考えるための、 一つの“測定観測器”として、ワイマール憲法を参照してみたい。現段階では、 そのように考えています。

【ワイマール憲法は「悪い憲法」だったのか?】

ワイマール憲法というと、「ナチス台頭」というキーワードだけが、 特に有名になりがちです。しかし実際には、 当時としては非常に先進的な民主憲法でした。

普通選挙、 議会制民主主義、 基本的人権なども整備され、形式上だけでなく、 当時の時代背景を考えても、かなり高度に整備された憲法秩序だった… とも言えます。

つまり問題は、「最初から独裁国家だった」という話ではない。むしろ、

「先進的な民主制度を持ちながら、なぜ立憲秩序を維持できなかったのか?」

という点にあります。

【小室直樹氏が重視したもの】

小室氏は、 ワイマール憲法について、「条文の有無」だけではなく、「制度を支える政治文化」を、 かなり重視していました。

つまり、

・憲法を守るという共通理解
・権力を制限する感覚
・例外を乱発しない感覚
・制度を支える側の自制

などが弱る時、立憲秩序そのものも、 徐々に弱っていく…という視点です。

私は、 この視点はかなり重要だと思っています。なぜなら、 制度というものは、条文だけで維持されるわけではないからです。そう、 そこには、 必ず人間が関わるからです。

小室氏は、「憲法は成文法ではなく、本質的には慣習法である」という趣旨のことも述べています。

つまり、単に条文が存在しているだけではなく、

・憲法を守る感覚
・権力を制限する感覚
・制度を支える政治文化
・“例外”を安易に常態化させない感覚

などが、政界だけではなく、 広い国民社会の中でも共有されていなければ、立憲主義そのものは、 徐々に弱っていく可能性がある。いえ、 そういう宿命がある。

私は、 今回の皇位継承問題でも、 この視点はかなり重要になるように感じています。

【「このくらいなら」が積み重なる時】

ワイマール憲法下でも、

・非常事態だから ・今だけだから
・このくらいなら ・まずは暫定的に

という形で、 例外措置が積み重なっていきました。ただ、 これは何も、 歴史上の特殊な話だけではないようにも感じます。日常生活でも、「このくらいなら」 「今回だけ」 「今回は特別だから」という場面は、 珍しくありません。

では、 それが積み重なると、 どうなるのか。

もちろん、 当時のドイツ社会には、

・経済危機    ・社会不安
・暴力的政治対立 ・戦後混乱

など、

現代日本とは大きく異なる事情もありました。そもそも、 時代背景が違います。それに、 人間社会は実験室ではありません。だから、 単純比較はできない。ただ一方で、

「例外が積み重なる時、人間は徐々に感覚を麻痺させていく」という問題は、現代社会でも ある程度共通しているように感じます。

【「立法府」は、なぜ重要なのか】

最近の皇位継承議論でも、私は、「立法府は、何を正面から議論するべきなのか?」という問題が、 かなり重要になってきているように感じています。5月15日の皇位継承に関する与野党全体会議後、 立憲民主党の長浜博行議員は、「立法府は、鉄鎖につながれた内閣の奴隷ではない」と発言していました。

また長浜議員は、

「安定的な皇位継承を確保するための諸課題」こそを正面から議論するべきであり、「等」から派生した養子案だけを先行させる現在の議論運営についても、「順序としておかしい」

という趣旨の発言を繰り返しています。

さらに長浜議員は、 退位特例法附帯決議で示された、「安定的な皇位継承を確保するための諸課題」こそが本来の中心論点であり、「女性宮家」や、 さらに「等」に含まれる論点を飛び越えて、養子案だけを先行させる現在の進め方に、 かなり強い違和感を示していました。

私は、 この問題提起は、単に言葉が強いから重要なのではなく、

・何を議論の中心に置くのか?
・制度の“正面玄関”は、どこなのか?
・何を「例外」として扱うのか?

つまり、「立憲秩序を、どのような順序と正統性で形成していくのか?」という問題に、 かなり深く接続しているように感じています。

もし、 議論の中心や 制度形成の順序が曖昧になっていけば、制度正統性そのものも、 少しずつ曖昧になっていく可能性がある。私は、 そこがかなり重要なのではないか? と感じています。

【「国民の総意」とは何なのか】

日本国憲法第1条には、「天皇の地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく」とあります。

ここで重要なのは、「人気投票」だけでは、象徴天皇制は支えられない、 という点です。主権とは、 本来、 かなり重い概念だからです。しかし同時に、「国民理解を無視してもよい」という話でもない。

つまり、

・国民意思 ・立法府 ・制度正統性 ・歴史 ・長期安定性

を、 どう接続していくのか。そこが、 現在の皇位継承問題では、 かなり重要になっているように感じています。

【人間社会は、熱量だけでも、理屈だけでも持たない】

最近、 新聞社説や政治家発言を見ていても、

・制度の正統性 ・国民との接続 ・拙速への警戒 ・立法府の役割

などへの言及が、 かなり増えてきています。これは単なる政局なんかではなく、「象徴天皇制を支える立憲秩序を、どう維持するのか?」

という問題へ、国民側も、 少しずつ接続し始めているように見えます。人間社会は、熱量だけでも、 理屈だけでも、長く安定して持つわけではありません。

だからこそ、

・何を制度の中心に置くのか?
・何を例外として扱うのか?
・制度正統性を、どう維持するのか?

は、 かなり重要になるように思っています。

【次回予告】

次回は、「国民の総意」とは何なのか?について、「世論 ・立法府 ・象徴天皇制 ・立憲主義の接続」も含めながら、 少し整理してみたいと思います。

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