5月31日放送NHK日曜討論「どう考える これからの皇室」において、
百地章氏と所功氏が討論を行いました。
女系天皇に言及した部分を文字起こしでお伝えします。
19:00頃~
司会:女系の継承というのは、問題点があればどういう風に考えていますか?
百地氏:それは第二案(養子案)との問題とも関わってきますが、やはり皇室の伝統は初代神武天皇から全て男系で来たと。これは皇室の長い伝統であるということですね。そして不文憲法で認められ、明治憲法でも定められた。今の憲法については説明は後でしますけれども、世襲というのは男系を指すというのが立法者意思であり、歴代内閣の見解です。だから男系を守らなくちゃいけないということです。
不文憲法で認められ→大宝律令に女帝の規定があります
明治憲法でも定められた→
第2条皇位ハ皇室典範ノ定ムル所ニ依リ皇男子孫之ヲ継承ス
第3条天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス
男系男子とは書いてありませんし、今は令和です。
世襲というのは男系を指すというのが立法者意思であり、歴代内閣の見解
→憲法においては、憲法第二条に規定する世襲は、天皇の血統につながる者のみが皇位を継承するということと解され、男系、女系、両方がこの憲法においては含まれる
これが政府見解です。
所氏:百地さんの仰ったことは、かなり大きな違和感がありまして、大事なことは、全て男系で来たとか、男系でなきゃならんということは、日本にとっては、ある意味では伝統ではないんですね。元来、日本の皇室には、今でいう名字であった姓がないわけですから、現在の皇室には名字がないんですね。それはなぜかといえば、オンリーワンの存在ですから、そういうものは必要とされなくて、むしろ天皇から姓、名字を賜るということは、臣下の場合はありましたけれども、そういう意味では男系とか女系とは、本来は無いんですが、男子が多く即位してこられた事実はありますから、それをもって男系というなら、それも一つの考え方です。
問題は全て伝統だと言われますけれども、実はそうでない、つまりお母さまが女帝で、そのお嬢さんということもありますから、女系の例もあるんですね。
実はちょっと横に逸れるようですけど、実は宮内庁のHPに出てる皇室(天皇)系図があります。もうひとつは百地さんが有識者会議などで出された系図がありまして、そこに大きな違いがあるんです。それは何故かというと、百地さんは男系男子で続いてきたと言うために、非常にある意味で簡略化されたんですけども、例えば舒明天皇と皇極天皇などは両方とも天皇なんですね。その下に天智天皇とか天武天皇が生まれておられますから、こういう方は女系と言っていいわけです。あるいは元明天皇と元正天皇は、やはり女帝の下に続いてきてるわけですから、女系とも言っていい。という風な、レアケースですが、ありますから、全てが男系であった、男系でなきゃいけない、伝統だということは到底、言えないと私は思います。
百地氏が令和の有識者会議ヒアリングで説明資料として出した系図と
宮内庁天皇系図の違いについて、所氏も指摘しました。
百地氏:古代においてはですね、それは当然です。古代においては結婚は皇族間の結婚しかなかったんです。ですから、男子も女子も関係ない、両方とも皇族ですから。従って男系、女系という意識さえもあまりなかったかもしれない。しかし、その後、民間の女性が入ってくるようになると、改めて男系をきちんと守らないと皇統が守れないということで、男系を維持するようになってきた。その例としては、例えば武烈天皇の時は25代。26代の継体天皇までの継承は10親等も離れて200年も、応神天皇まで遡って、そして5親等下ってくる。これはもう男系を維持するための大変な努力だったんですね。そういうことが四回もあったわけですから、我々はそれをきちんと学ばなくちゃいけないということだと思います。
男子も女子も関係ない、両方とも皇族ですから。従って男系、女系という意識さえもあまりなかったかもしれない
→百地氏、皇族間の結婚しかなかった古代は、男系、女系という意識さえもあまりなかったと認めました。しかし学者を名乗りながら、「かもしれない」って…
民間の女性が入ってくるようになると、改めて男系をきちんと守らないと皇統が守れないということで、男系を維持するようになってきた
→男系、女系という意識さえもあまりなかったのに?
例えば武烈天皇の時は25代。26代の継体天皇までの継承
→ウィキペディアで簡単に調べられる「古事記」による記述
天皇既崩 無可知日續之王 故 品太天皇五世之孫 袁本杼命 自近淡海國 令上坐而 合於手白髮命 授奉天下也。
(天皇が崩御したが、次の日継の王が見つからなかった。それで、品太天皇(応神天皇)の5世の孫、袁本杼命(継体天皇)を近淡海国(近江)から呼び、手白髮命(手白香皇女)を娶らせ、天下を授けた。)
どこにも男系男子とは書いてありませんが?
所氏:それは歴史をどう見るかに寄るんですけど、非常に大事なことは、例えば今から1300年以上前にできた大宝律令などは、やはり中国の影響を受けて男性中心の規定になっているんですが、同時にその中に「女帝の子もまた同じ」と書いてありますから、要するに男帝が優先するにしても、女帝も容認するということが、今の憲法にあたる律令そのものに規定されておりますから、そういう意味では、やはり男子が優先するということは儒教的な影響もありますけれども、それはあった。けれども女帝を否定したり排除したわけではないということを踏まえてきましたから、江戸時代になっても二人の女帝が現れたということであります。
ここまで分かっていながら、番組の前半(11:30頃~で所氏は
「ゆるがせにしてはならない」という主旨を明言しています。
皇嗣という暫定的な御立場になられたのは何故なのか
拝察してください。
「愛子天皇への道」サイト運営メンバー まいこ
2 件のコメント
サトル
2026年6月1日
百地氏には、先例探ししてないで、自分探しを…と、おすすめしたい。
あなた、憲法学者でしょ?
サトル
2026年6月1日
メディアは、百地氏に対しては、「憲法学者、百地名誉教授としては、どうお考えですか?」と、聞いたら宜しい…と、常々思う私です。