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“男系男子の皇位継承”は明治期の創作! 旧皇室典範策定時に「男を尊び女を卑むの慣習、人民の脳髄」とトンデモ論で女性天皇を否定【リテラ】
・世論調査で圧倒的に支持される女性・女系天皇の議論なく養子案が数の力で押し切られる。
国連グテーレス事務総長「全ての国に対し、あらゆる地位や職業において女性の権利向上につながる包摂的な政策を奨励する」見解は当然 赤の他人を養子で皇族に迎える時代錯誤のトンデモ改定
・自民・小林政調会長や維新・藤田共同代表の男系男子の根拠「男系男子は神武天皇以来2600年以上続く伝統」、そもそも2600年前は縄文時代
「男系男子=日本の長い伝統」論自体が大嘘 明文化が明治というレベルの話ではなく
男系男子継承は不文律でも古来の伝統でもないと学者・専門家が指摘
・「古代日本は双系(男系・女系の血統両方を重視する考え方や制度)的社会」歴史学者の間で広く共有
・「皇統」確立は継体天皇の子・欽明天皇から 継体天皇は天皇の娘(手白香皇女 たしらかのひめみここ)と結婚して正当性を担保し権力基盤 皇統はごく初期から女系
・義江明子・帝京大名誉教「7世紀末、中国にならった律令国家樹立の際に初めて公式に父系原則が打ち立てられたが、8世紀あたりまでは、支配層も含め、実質的にはまだ双系性の原理で動いていた」
・「聖徳太子は(欽明天皇の息子である)用明天皇の息子で、母も欽明天皇の娘。『天寿国繍帳(てんじゅこくしゅうちょう)』に記された太子の系譜を見れば、双方の系統を重視していることは明らか」
「7世紀後半の天智天皇・天武天皇の父である舒明天皇は、2人が少年の頃に亡くなり、母が跡を継いで皇極天皇として即位。いったんは退位し、実力で再度、斉明天皇として皇位に就き、後に天皇となる兄弟が成長する過程で、国家統治者としての手本を見せた。天智・天武はむしろ女系の天皇。また、両親(舒明・皇極)はそれぞれ、父方・母方双方で欽明天皇につながる」
・落合恵美子京都産業大学教授「日本の家族観は厳密な父系(男系)制ではなく、女系も重んじられる双系的なものとして続いてきた」
・義江氏も落合氏も国立歴史民俗博物館の仁藤敦史名誉教授も指摘する中国文化の影響で男系化・父系化が強まりつつ、日本は古代に6人、江戸時代に2人、計8人の女性天皇が存在
・明治以降の「中継ぎ」説も近年、歴史学で再検証が進み否定
「戸籍」作成「古事記」「日本書紀」編纂で天皇支配を強化したのは持統天皇
・仁藤教授「奈良時代から近世まで存続した「(701年成立大宝律令の)継嗣令」では、女帝の子も皇位継承権が認められていた。確固とした皇位継承原則はなく、女系天皇が制度的に排除されていたわけでもなかった」
・民法が専門・橋本有生(はしもとゆき)・早稲田大学准教授 2021年12月の有識者会議ヒアリング
「女性天皇をめぐる議論は目新しいものではなく、旧皇室典範制定時の諸資料にも検討の跡が残されている。「国憲按(あん)第一次案」(明治9年)の第二章「帝位継承」における第2条及び第4条は、女性による皇位継承を認める内容」この案は法制官僚・井上毅等が否定
「男を尊び、女を卑むの慣習、人民の脳髄を支配する我国」
旧皇室典範、大日本国憲法、教育勅語などにも深く関った井上の「神武以来の男系男子による継承=万世一系」というフィクション
・「男系男子は神武以来2600年以上続く日本の伝統」は1889年旧典範制定から1947年廃止まで58年間
日本国憲法、新しい皇室典範は今年で79年、右派の「日本の伝統」よりも象徴天皇制の歴史の方が長い
・高市首相や麻生副総裁、維新・藤田代表らに共通 日本の伝統や天皇に対する敬愛が微塵もない
「なぜ女性ではダメなのか?」「なぜ男系男子にこだわるのか?」1分近く答えられなかった木原官房長間と同じくこの問いにきちんと答えた人間が高市政権に一人もいないのは皇室を軍国主義、独裁体制構築に利用しようと女性差別丸出しの論理で男系男子の皇位継承を制度化した井上毅と同じだから
・国連に言われるまでもなく、白紙撤回を求めて徹底的に批判していく必要がある
右派・男系固執派の嘘を、専門家の言葉で覆し、
1889年旧典範制定から1947年廃止まで58年間よりも
昭和天皇、上皇陛下、天皇陛下が築き上げてこられた
象徴天皇制の歴史の方が長いと鋭く指摘し、
女性差別丸出しの論理で男系男子の皇位継承を制度化した井上毅と
高市政権が同じであり、白紙撤回を求めて徹底的に批判する
必要を説いています。
国際社会の常識に照らしても、日本の伝統・歴史からみても
トンデモナイ法は、やはり早晩、撤回させねばなりません。
「愛子天皇への道」サイト運営メンバー まいこ
1 件のコメント
SSKA
2026年7月23日
・明治典範男系原則は悪い意味での武士の意地がぶり返した、時代から消え行く儚い存在が見せた最期の抵抗と言ったものだと認識していますが、その後100年以上も堅持されて災いをもたらそうとは誰の想像も及ばなかった事でしょう
・皇統の心理は日本人の本音と建前、強大だったシナの大国との対等関係を築く為に東アジア(儒教)ルールに身を浸し順応した結果が表向きは男子優先、しかし心まで縛られまいと継嗣令から消されず1000年以上の長きに渡り残され続けたのに意義があるもの、これも明治を牽引した元武士の無理解によって本来の伝統が封印されただけです
・象徴天皇は日本の敗戦からの復興と共に居続ける存在(未だ真の復興ならず)…それすら忘れてしまったのなら自民党は結党精神すら見失った、凡そ保守の名に価しない中身の無い集団と見なして良いですね