昭和天皇と香淳皇后の結婚

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出典:宮内庁HP 昭和天皇・香淳皇后https://www.kunaicho.go.jp/about/history/history11.html

秋篠宮家の長女・眞子さまは婚約から4年もの歳月を経て、10月26日に小室圭さんとご結婚され、小室眞子さんとなられました。

10月12日、眞子さまは上皇さまの勧めもあり、昭和天皇と香淳皇后が眠られている昭和天皇陵に参拝され、結婚のご報告をされました。

昭和天皇と香淳皇后のご結婚も、大正8年の婚約から大正13年のご結婚まで5年もの歳月を要しました。

それには、大正9年に起きた「宮中某重大事件」が大きく影響したと考えられます。

この事件は、当時枢密院議長だった山県有朋が、当時皇太子だった昭和天皇と香淳皇后の婚約内定の取消を、画策したものでした。

理由は香淳皇后に色覚異常の疑いがあるためとされていましたが、この事件の背景には、香淳皇后のご実家・久邇宮家を含めた宮家への不信感があったとされています。

事件は政治問題化し、香淳皇后の父・久邇宮邦彦王が大正天皇の妃・貞明皇后に意見書を提出して皇后を激怒させてしまいます。

当時皇族が皇太子の結婚という重大事について意見することは臣下の「矩」を超えた完全な越権行為であり、それを文書化して、病気の大正天皇を蔑ろにして皇后に渡すというのは考えられない無礼でした。

これにより、貞明皇后に久邇宮家への不信が生まれたと考えられます。

この事件は、昭和天皇が「良子姫(香淳皇后)が良い。他の者では困る。」と主張されたこともあり、婚約は破棄される事は無く収束します。

邦彦王に対し強い怒りを抱いた貞明皇后が、事件終結に改めて婚約解消の可能性を口にされていたものの、婚約が解消されなかったのは、昭和天皇のご結婚に対する意思の強さが反映されていたのでしょう。

関東大震災による延期を経て、大正13年にお二人は結婚されました。

昭和天皇と香淳皇后は生涯仲睦まじい夫婦だったと伝えられています。

香淳皇后ご自身にはどうしようもないことで婚約が破棄されようとしたこと、昭和天皇が香淳皇后との結婚のご意思を貫かれたこと。

眞子さまと小室さんとのご結婚までの経緯と重なるところがあります。

眞子さまがこのことを存じてらっしゃっていたのなら、小室圭さんとのご結婚の意思を貫くお力になっていたことでしょう。

昭和天皇も、眞子さまが愛する方との結婚が叶ったことを喜ばれていると思います。

参考文献:歴代天皇がよくわかる本 高森明勅監修
     新天皇論 小林よしのり

(メールより) 文責 滋賀県 くりんぐ

3 件のコメント

    チコリ

    2021年11月20日

    皇室には、過去にもあたりまえにいろんな事があったのに、(人間なんだ、いろんな事があってあたりまえなんだ。)
    このご時世、マスコミと国民の大劣化とSNSの弊害により、醜悪極まりない状況に陥ってしまっている。
    皇室の方にただただ申し訳なく苦しくて仕方がない。
    不敬罪の議論はあってしかるべき、議論チコリしなければいけないと思います。

    ダダ

    2021年11月17日

    眞子さまがご自身の希望で昭和天皇陵(武蔵野陵)、香淳皇后陵(武蔵野東陵)を参拝し結婚を伝えたことからも、眞子さまのお気持ちは拝察できますよね。
    それにしても権力者というものは皇室を支配下に置きたがるのですね。
    尊皇心が微塵も感じられません。

    基礎医学研究者

    2021年11月17日

    非常に興味深く読ませていただきました。当時と現在の時代背景の違いを置くとしても、自分の理解では、両者に共通するのは、「君臣の別」をわきまえていない!、ということになりましょうか。そして、眞子さまのご結婚問題でつくづく思いましたのは、このように外野の騒ぎが今後も大きくなるようなことが続くのならば、皇室はある程度閉じられた方が良い(我々国民が簡単に情報に触れられない方が良い)と、個人的には感じる次第です(そうでもしないと、聖域に土足で入る行為に結局等しくなってしまうのではないかと、思う次第です)。

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