愛子天皇論第8回感想:18.儒教文化圏と日本文化の区別(magomeさん)

Post's thumbnail

「愛子天皇論」第8回の感想です。

今回は久々に公園の男野系子を筆頭とする女性三人衆の参戦で始まりましたね。

支那の「易姓革命」と日本人の「姓」「氏」「苗字」、支那文化圏あるいは儒教文化圏における「姓」の違いを今回わかりやすく教えていただいたことで再認識できるようになりました。
「新天皇論」でも「姓」について詳しく描かれていましたが今一つ分かりにくい所があり、「論破祭り」においても皇統男系固執者を相手に光明皇后を相手に若干苦戦したことがありました。
最終的には皇統男系固執者が「昔の氏族と今の一般人は全然違う」という内容を発言し事で美智子上皇后が初の民間出身の皇族という事で決着がついて話は終わりましたが、支那の「姓」と日本の苗字の意味である「姓」が全然違うのにごちゃまぜにされているのがそもそもの混乱の始まりで、支那の皇帝と日本の皇室において混在が発生するのもこのためなのではないのかと思えてなりません。

また、「戦争論」が出版されて以降、それまでの中国や韓国等の儒教文化圏に対する認識の変化と日教組の行き過ぎた自虐史観教育の反動で中国や韓国に対する異常で無差別的な蔑視が支那文化圏に対するこれまでにない無理解として横行し、支那、朝鮮を含む儒教文化圏と皇統をはじめとする日本文化そのものの区別が付かなくなってしまったと、今回の「愛子天皇論」を通じて痛感しました。

逆に言えば「反中、嫌韓を言えば何を言っても信用できる」という空気が皇統男系固執の定着に繋がったのだと思います。

思想信条は単純であればあるほど外部から干渉されやすく、容易に形骸化してしまいますから皇統男系固執者は思想信条がもともと余りにも浅はか過ぎだったのでしょう。
そして、固執亭の人々が直系よしりんのギャグ展開を見て何が起こっているのか理解できずに戸惑いを見せては気味悪がって去る場面があるのですが著名な論壇人は思想信条以前に頭が余りにも固いのです。
これは日本人の気質なのかそれとも左右問わない論壇界そのものが冗談も通じないほど頭が固い人を中心にして活動しているからなのか今のところ判断が付きませんが、頭が固い人々程ほど話が通じないので、周囲にも異論を全く許さないためか追随者しか集まってきません。

日本は明治維新以降、産業革命が軌道に乗り科学技術の発展と相まって物質的に豊かになりましたがその反面、皇室を始めとする文化の退廃するところまで大敗したのだと思います。
その極めつけが思慮の浅い思想信条でありながら冗談の通じないほど頭の固い思考停止状態に陥った論壇界であり、庶民の常識から逸脱した皇統男系固執なのだと思います。
このような論壇界やこんな論壇界に左右され、皇室を苦しめる政界や報道機関が幅を利かせれば世の中が価値相対をはじめとする嘲笑によって終始してしまうのも当然かと思います。

愛子様を中心とした皇室が継続するかそれとも皇室消滅による日本文化の死か、その分岐点がもうすぐそこまで近づいてきています。
日本は富国強兵に基づく科学技術発展を目的とした時代から文化の充実を目的とした時代へともう変わり始めています。

「愛子天皇論」で次の時代へと自分の思想信条を見直しつつ、文化発展、充実の時代へ微力ながらも貢献できる人として生きていきたいと思いますので続きを楽しみにしております。

コメントはこちらから

全ての項目に入力が必須となります。メールアドレスはサイト上には表示されません。

内容に問題なければ、下記の「コメントを送信する」ボタンを押してください。