
京都新聞(11.17.)の第1面コラム「天眼」に上野千鶴子氏の「シニシズムの時代の終わり」という文章が掲載されていました。氏は文中でNHK朝ドラ「虎に翼」の猪爪寅子(伊藤沙莉)が表明した女性差別への違和感「はて?」「スン」に快哉を叫び、同作の脚本家・吉田恵里香氏の言葉「政治参加をカッコ悪いと言う方がカッコ悪い」を挙げつつ、政治に関心を持つ人々を揶揄する政治的シニシズム(冷笑主義)の終焉を寿いでいました。そして、有ろうことか政治的シニシズムの代表論者として小林よしのりの名を挙げ、「ポリティカリーコレクトネス(政治的正しさ)」「マスゴミ」「純粋まっすぐ正義君」への各批判を同類のシニシズムとしていました。要するにトランプ大統領(ポリコレ批判)、ネトウヨ(戦争論を誤読した奇形ウヨク)、小林よしのり(真正保守)を一括し、上野氏自身の属す団塊・学生運動世代と、冷笑主義世代(バブル世代~団塊ジュニア?)よりも若い世代が繋がり、それにより女性差別にも冷笑主義にも勝利したと言いたいようです。
上記部分だけでも大問題ですが、最も解せない点は、フェミニスト上野氏の主戦場である女性差別克服のための最有力かつ最重要の論点であり、国連女性差別撤廃委員会からの勧告も受けた女性・女系天皇(皇室典範改正)の問題を上野氏が完全にネグった(無視した)ことです。この現象を仮に「天皇なきフェミニズム」と命名して分析すると、90年代に「教科書運動」や「戦争論」の論争でサヨクやフェミニストが小林氏に抱いた敗北感(私怨)と、右派の小林氏が自分たちの領域を侵して正論を唱えることへの苛立ち(私憤)と、左翼の最終目標は天皇制終了だから男系を維持させて滅ぼしたいという革命イデオロギー(硬直思想)の混交が「天皇なきフェミニズム」の正体だと私は考えます。要するに上野氏は、女性差別の克服という公的な目標よりも小林よしのり氏への私的な復讐心を上位に置いたのでしょう。
しかし、もし氏が女性差別を克服したいと真剣に思うのであれば、左右対立に拘泥してきた自身の越し方に「はて?」と疑問を持ち、自身が囚われていたセクト主義に「スン」と決別し、むしろフェミニストこそが女性天皇(愛子天皇)の時代を到来させるべきと思い直し、左右のセクトを越えて愛子天皇を願う我々(≒国民の9割)に協力を願いたく思うのです。
文責:京都のS
3 件のコメント
京都のS(サタンのSでも飼い慣らすし)
2024年11月23日
パワー様、※ありがとうございます。その通りですね。上野氏は女性の地位向上(男女平等)についても本気じゃないのでしょう。自分たちフェミニストが人々の目に正義の側だと映るためには男尊女卑が永続してくれることを望んでいる節すらあります。だから男系派(右派)とフェミ(左派)は共犯関係なのです。ナショナリスト双系派(真正尊皇派)こそが男尊女卑も解除します。
パワーホール
2024年11月22日
小林先生のどこが冷笑主義なのだろう。むしろその逆でこの国をより良い方向へ導こうとしている。その一環が愛子天皇実現なのは言うまでもありません。
京都のS(サタンのSでも飼い慣らすし)
2024年11月22日
今回のは割と自信作です。「天皇なきフェミニズム」という造語は、『戦争論』が「天皇なきナショナリズム」と批判されたことから造りました(笑)。
今、最も真剣に「政治参加」する主体は小林よしのり先生と公論サポータ―&有志のクラブ員です。「フェミニスト(左派)は男系派(右派)と共犯関係(見かけ上の左右対立は互いにウインウイン)なんじゃないか?だから真剣じゃないんだな?」と思っています。