引き続き苦闘する剣部隊と源田実氏をご紹介します。(前回のあらすじを含みます。)
*今回、皇室の話はでてきませんが、これまでの流れで、天皇陛下の下、国体を護るために命を懸けた男たちの物語、という文脈で読んでいただければ、幸いです。また、広島・長崎のエピソードが剣部隊においてでてくるのには、数奇な運命を感じます(by基礎医)
アメリカと対峙し、悪戦苦闘する剣部隊は次々と仲間が戦死して、エースパイロットの隊長が菅野直大尉だけになってしまい、物資不足に悩まされました。戦闘機を動かすにも燃料と弾薬が足りなくなり、戦いたくても戦闘機を戦いに出せれない状況になりつつあるも、源田実氏達は出来るだけ出撃し、アメリカの大軍に抗います。 源田実氏は、記録によると、戦時中は毎朝仏壇に向かい、数珠を手にし、過去帳を開いて、その前日に戦死、殉職した部下の名を呼びかけて読経する事が日課になり、戦後もかつての部下の冥福を祈って続けました。特攻で命を落とした兵士達も含めて、全ての氏名や出撃日(命日)を記録した資料や遺言を大切に保存して納め、生涯を閉じるまで続けていたそうです。
また、部下の命を預けられ、戦いに向かわせていた為、部下を殺した、人でなしと非難されても黙って受け入れていたと話があります。菅野直大尉はその源田実氏の背中を観て、最後までオヤジの為に戦ってやろうと、この頃の菅野直大尉はきかん坊で暴れまわる問題児から、隊を全体に観て、冷静沈着に志賀淑雄大尉とともに隊を引っ張って行きます。隊の仲間達を死なせないよう、弟分の笠井氏が足を怪我しても出撃しようとするのを止めたりしていました。
どんなに苦しい状況でも明るく努め、下宿や飯処でお世話になっている女将、今井琴子夫人に、菅野直大尉は「俺にカアちゃん(嫁)を見つけてくれよ」「ゆっくり落ち着ける家庭がほしいな」と言っていたことがあるという話があり、菅野直大尉は、相手がいくらでも見つかった中、自分がいつ死ぬか分からないので、家族をつくりたいが、残す妻を作るわけにもいかないという気持ちもあり葛藤しているようであったというエピソードがありました。また、菅野直大尉は自分でも軍の中では秩序を乱す存在であり、そんな自分を唯一、受け入れてくれた源田実氏を非常に感謝し、慕って、これまで以上に抜擢に働き、最後まで剣部隊が士気旺盛だったのは、菅野直大尉が熱い背中を残していたからだったともあります。
そんな中、菅野直大尉は1945年(昭和20年)8月1日九州に向けて北上中のB-24爆撃機編隊迎撃のため、紫電改20数機共に大村基地を出撃しました。菅野直大尉は屋久島近くに達すると島の西方にB-24の一団を発見し敵上方より急降下に入り突撃します。そんな中、機体に銃弾を受け、菅野直大尉は彼の二番機・堀光雄飛曹長の無線に「ワレ、機銃筒内爆発ス。ワレ、菅野一番」と入電を入れる事態になり、これを聞いた堀氏が駆けつけます。記録によると、掘氏は下方を水平に飛ぶ菅野隊長機を発見し即座に近づいたところ、左翼日の丸の右脇に大きな破孔を発見し、堀氏はすぐさま戦闘を中止し、二番機としての任務に則り菅野機の護衛に回ろうとしたところ、菅野直大尉は敵の攻撃に向かうように再三指示し、堀氏がそれでも護衛から離れない様子に、菅野直大尉は拳を突き付けて見せ、堀氏を戦闘空域に戻らせました。堀氏はその瞬間に、それまで怒りの形相であった菅野直大尉の表情が和らいだのを見たとあります。菅野直大尉はしばらくして「空戦ヤメアツマレ」と入電し、堀氏は菅野直大尉がいると思われる空域へ向かうも、菅野機は空のどこにも見つからずの中、菅野直大尉は僚機に感謝の意を伝え、消息を絶ちます。剣部隊と源田実氏達は燃料の続く限りの捜索、海軍基地、陸軍飛行場にも菅野の行方を探りましたが見つかることはなかったそうです。
この日の戦闘で菅野機を含む3機が未帰還となりました。そして、菅野直大尉を失った悲しみが癒えない中、広島、長崎に原爆が投下されてしまいます。この時、剣部隊は燃料と物資不足の為、連日出撃が出来ず、2日、3日ごとしか戦えず、折しも休みの日に原爆が投下され、剣部隊の隊員達は山登りしていた中、それを目撃する形になります。また、哨戒にて剣部隊のパイロットが原爆の爆風にさらされ、被爆したという話がありました。原爆投下された後、源田実達は救助活動に走り、住民達を基地内等に避難させました。そのさい、2021年の神立 尚紀氏の記事にて当時の証言が載ってあり、そこには、搬送した人達を引っ張って降ろそうとすると皮膚がズルズルと剥けて悲惨な状況だったとあり、またある時は最初はそんなに傷を受けていない女学生達が、時間とともに肌が溶けたりし、見るに忍びない、無残な姿になっていった、という証言が載せられていました。(この記事のタイトルでは原爆投下のその日、迎え撃つべき“戦闘機搭乗員”達はまさかの「飛行休み」だった…とあり、非難めいたタイトルでありましたが、原爆当時の証言があり、参照しました。)
いつ作戦が来るか分からず、出撃したくても燃料や弾薬が無ければ最強部隊でもどうしようも無いのでは?と思いましたが、最強部隊故に何故あの時にこうしなかった!?と非難されるのは業かもしれません。この時の剣部隊は組織的な攻撃に対する機能が乏しくなり、新たなパイロットを起用せず、活動制限の中、源田実氏はもうこんな悲劇はあってはならない、3度目があったら、絶対に阻止する!と作戦を立て、もし新型爆弾の情報が入ったら自分が特攻してでも止める!と腹を決めていたとあります。しかし幸いにも3度めの原爆は落とされず、8月15日の終戦が来ました。
今回の話はここまで、次回は終戦後の源田実氏と剣部隊のご紹介を致します。あともう少しほどお付き合いお願い致します。
文責 神奈川県 神奈川のY
2 件のコメント
神奈川のY
2024年12月14日
あしたのジョージさま、いつもコメントありがとうございます。菅野直大尉は源田実氏にとって弟のような存在だったと記述がありました。次々と仲間がいなくなる、自分の指揮のもとだとなおさら、強く後悔や後戻り出来ないと思っていたのかもしれません。戦後色々批判が出ても強く抗議をしなかった様子もあり、色々考えてしまいますね。
あしたのジョージ
2024年12月13日
とうとう菅野直大尉まで消息不明になってしまった34空。
さぞかし源田実氏は、気を落とされたと思います。
沢山の部下を失い、今度は原爆投下まであって、どのような精神状態だったのか想像も出来ません。
私のような平和ボケした者が、こんな感想を書いていていいのかと思うぐらい壮絶な現場だったと思います。