今年は、小林よしのり先生のデビュー50周年です。
あなたにとっての「はじめてのよしりん」は何ですか?
その時、あなたはいつ、どこで、何をしていましたか?
初めて読んだ時、何を思いましたか?
参照ブログ:あなたにとっての「はじめてのよしりん」は何ですか?
みなさんの「はじめてのよしりん」を教えてください!
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36 件のコメント
ヒロシ
2025年3月15日
「はじめてのよしりん」は小学生の頃に読んだ「おぼっちゃまくん」でした。
第1話の冒頭からギロチンにかけられる小学生の男の子の姿が「あまいぞ!男吾」の体罰シーンのようにショッキングな印象でしたが、茶魔の登場から陰惨な雰囲気が吹き飛んで、独裁者のような出立ちだった昴田先生が茶魔に手玉に取られていく場面は痛快でした。
茶魔語は当時物議を醸しましたが、小林先生が文庫版ゴー宣1巻の欄外で書かれていた「茶魔語はメインである日本語の知識があって初めて成立する、日本語を破壊するどころか補強する役割がある」はその通りで、ノリや勢いで適当に作る言葉とは違うと思います。特に小林先生のセリフや表現は記憶に定着する力を持っているので反芻しやすいです。
色んな茶魔語が飛び交う中で、なぜか私の記憶に一番残っていたのはシンガポール旅行の「頭のしんがポ〜ル」でした。
「おぼっちゃまくん」が今でも活躍できるのは「聖人列伝」の勝新太郎さんのように豪快なところが多いからではないでしょうか。景気のいい内容を描いたコンテンツだからチャンスを掴みやすく、これが貧乏や破滅の物語だと恐らく再ブレイクは厳しかった気がします。
ゴー宣ファン
2025年3月5日
私の小学時代は、子ども向け雑誌が沢山ありました。ジャンプやボンボン、そしてコロコロコミック。
ある日、コロコロを買ってページをめくっていたら、「何だ、こりは~っっ!」と驚きました。頭を尖らせたガキンチョが、小さい亀の大群に乗って歩いているのを見て、マジか?うらやましか!と思ったことを思い出します。実際に亀を沢山買って乗ってみたいと思った程です。さすがに潰れると思い、やりませんでしたが。それが茶魔との出会いです。
茶魔が学校から帰宅すると、おとうちゃまとぺろぺろやる姿がキョーレツで、でも今になって我が子を授かる身になれば、その気持ちも分かるようになりました。実際そこまではできませんが。
私が好きなのは、袋小路とのカレー対決。茶魔シェフの先発メニュー、あんカレーは、自分でレトルトを温めて作って食べた思い出があります。これは美味しかったです。でも、その時は正直、大自然カレーよりも、私は万札カレー欲しいなあと思ったことも明かしておきます。それから茶魔の1ヶ月の小遣いが1500万と知った時も、ありえね~!と思いながらもケタが違うと思い、うらやましか~でした。
ちなみに、小学卒業時の遠足では、笠間焼を作る機会があり、私は粘土を平たくのばして茶魔の顔皿を作りました。出来映えは、とても見せられた物ではありませんが。
その後、時が流れて、書店で東大一直線のセレクションコミックを手にする機会もあり、何だこの絵は~っ!!と驚愕した思い出もあります。その下手さに(よしりん先生すみません)。しかし、何だこのヤローは~っっ!と、度肝を抜かれる面白さで、更に驚きました。通が「クソして飲む、コーラはうまい!」の言葉には心から共感して、私もそう言いながら飲みて~!と思いました。
そして、ゴー宣との出会いは大学生の時。もちろん、えっ!?おぼっちゃまくんの作者?と、またまた驚かされたのは言うまでもありません。
よしりん先生は、まさしく先生以上の先生とです。感謝です。
オモチ・B
2025年3月1日
私のはじめてのよしりん
コロコロコミックのおそらく読み切り漫画で、
大オチが「おっぱい吸うプレックス」(?)の作品でした。
当時コロコロを読んでいる女子は少数派だったと思われますが、兄の影響で身近にありました。
なんだか恥ずかしいムズかゆい感じと、女の子の絵が可愛いなぁという印象があり、後におぼっちゃまくんが始まったとき
「あ、あの作者さんの漫画だ!」となり読んでいました。
しかしコロコロ自体、自分の年齢に合わなくなってきたことや、他の少女漫画雑誌との両立が、おこづかい的にも厳しくなり離れていました。
そしてまた兄なのですか帰省時に持って帰ってきた雑誌の中で、著名人との対談の漫画を目にして
(たしか美輪明宏さんの回)
「あれ?!こんなところによしりん先生の漫画が」と私としては感動の再会。
そこから、ゴー宣、戦争論と、どんどん深く読むようになり、目からウロコの連続でした。
周りから「信者」と言われることを嫌ったり
自分自身が「純粋まっすぐ君」ではないかと自問自答しながらも
今では、思想する楽しさ快感を味わい、自分の頭で考えている自覚を持って、ゴー宣言DOJOにも参加できるようになりました!
KO
2025年2月26日
「はじめてのよしりん」ではありませんが、ハタ!と気がついた事を。
よしりん先生が東大一直線と並行して
月刊少年ジャンプにて描いていた
2作目に当たる作品。
「救世主ラッキョウ」
「中華楽会」という楽の思想を掲げる宗教団体を結成するラッキョウとその信者を中心とする学園ギャグ漫画ですが、東大一直線を一歩進めて読書参加型の第一作ではないでしょうか。東大一直線も作品の中に「いちょう会」がありますが中華楽会は読者参加型なので私も乗ってしまったひとりでした。小学生ですが。これが「おぼっちゃまくん」の茶魔語、ゴー宣、ゴー宣道場、公論イベント、と発展したのかな?と、ふと思ったのですがいかがでしょうか?これから先どうなるのか?思えばワクワクします。ふと思ったので抜け落ちなどありましたら失礼しました。
mt
2025年2月16日
小林よしのり作品との出会いは、中学生の時にNHKの番組で『ゴーマニズム宣言』単行本を紹介していたのを偶然見たことがきっかけです。
なぜか心に引っ掛かり、すぐ近所の本屋へ走って店頭に並んでいた『ゴーマニズム宣言』1・2巻を買いました。
自分はいわゆるおぼっちゃまくん世代にあたるんでしょうが、「おぼっちゃまくん」の漫画・アニメを見たことがなかった(『少年ジャンプ』一辺倒で、『コロコロ』を手に取ったことがなかった)ので、今でも小林よしのりと言えば『ゴーマニズム宣言』の作者だというイメージが強いです。
自分は絵が得意だったので(今も絵に関する仕事をしています)、ページをめくった第一印象は、「俺の方が絵はうまいな」でした(失礼)。
さらに読み進めると、アクの強い作者の分身がグイグイと出てきて読者との距離を詰め、「ゴーマンかましてよかですか?」と訛ったセリフを言います。
もしこういうキャラクターが身近にいたら、きっと苦手だろうなと思いました。
しかしなぜかその言葉や情念がグサリと突き刺さるのですから、不思議です。
以来ゴーマニズム宣言シリーズを買い続け、今も影響を受けています。
高校の時には同級生にゴー宣を貸したことがありました。
ゴー宣読者なら共感していただけると思いますが、誤読によって自身が誤解を受けるリスクを考えると、実はなかなか勇気のいる行為です。
彼とは今も年賀状を交わすくらいの関係が続いていますが、当時どう思っていたのか怖くて訊けません。
大学生の頃に歴史教科書問題が話題になって、明治生まれの祖母は孫が自虐史観に染まっていないかと心配して尋ねてきたことがありました。
小林よしのり先生の『戦争論』を読んで当時の日本の立場を理解していると答えたら、ずいぶん安心した様子でした。
数少ない祖母孝行の想い出です。
西部邁について知ったのもゴーマニズム宣言でした。
大学院で論文を書くにあたり、早速西部の著作から引用して格好つけたのを白状します。
でもお二人の共著『本日の対談』は、毎号とても楽しみにしてたのは本当です。
就職してからは、職場の上司といわゆる従軍慰安婦問題や南京虐殺について議論したこともありました。
戦争論シリーズなどを通じて学んだ知識を基に反論しましたが、予想通り全く噛み合わないまま終わりました。
今思えば、筆を動かしながら話すテーマではなかったですね。
JPジョッキプリン
2025年2月16日
僕の「はじめてのよしりん」は
「おぼっちゃまくん」です。
今月で五十才になるのですが「超大笑い!!」で思い出す事が二つあリます。
たぶん小四ぐらいだったと思うのですが、友達の家にコロコロが置いてあって
その友達にすすめられて読んだのが
「おぼっちゃまくん」でした。
話しの内容は沙麻代ちゃんにプロポーズして追いかけ回し 、沙麻代ちゃんがトイレの扉を開けるとそこにはなんと!!
ハダカの茶魔が観音さまの様な格好で
立っているではありませんカッッ!!
もうそれを見た瞬間、大爆笑ですwa!
笑い転げました。転げ笑いました。
死ぬかと思いました。
死ななくてよかった〜
・・・数年後、中学生になった僕が誕生日プレゼントにおぼっちゃまくんの単行本1〜3巻をもらうとは・・・
まいこ
2025年2月14日
うれしはずかし、はじめてのよしりんは、雑誌の書評で雑誌の書評に掲載されていた表紙が超絶格好良かったので購入した95年発行「差別論スペシャル」です。福岡LIVEで設営に参加させていただいた際に話しかけて下さった女性も「『差別論スペシャル』が最初なんです」と仰っていたので、あの先生の御姿に悶絶した方は多いのではないでしょうか?
「差別論スペシャル」を読んだ後、幼い子供を連れて先生の登壇された名古屋の講演会に赴くことができました。当時は、子連れで参加できるイベントは皆無、ましてや政治的なイベントに参加できるのは、奇蹟的なことで、男性ばかりで、怒号が飛び交う国会のような雰囲気のなか、素敵なお召物で色白の先生が明晰な御声でお話になる様子がますます素敵に見えたのを鮮明に覚えています。
「差別論スペシャル」の第79章「傷つける作品」で、イタリアで襲われた女性たちの描写についての批判記事に対して「わしは女の敵である」、第80章「わしはミスをする天才じゃい」に「わしは男尊女卑の男」と描いておられました。近年、「男尊女卑ではなくなった」と仰っておられる先生は、以前から女性を敬っていらっしゃると思います。「愛子天皇論2」『愛子さまの誕生』で、男性が妊婦健診に同行するという風潮に変化したのは、天皇陛下がその姿勢を示されたから、ということが描かれました。愛子さまの御誕生は2001年、先ほどの90年代後半で子連れで講演会へ参加できたのは、当時から先生が女性を敬っておられたということ。それゆえに女性を敬う天皇陛下の姿勢に繊細に感応されたのではと拝察いたします。
ひょうろくだまノ介
2025年2月14日
「はじめてのよしりん」について。『東大一直線』については存在を知ってたものの、連載作品の1話を最初から最後まで読んだのは『いろはにほう作』でした。泳げないほう作が友人達に頑張って泳げるようになることを誓う回でした。「親子三代のれんにかけて!十字架切って誓うとば〜い!!」とくるくる表情を変えて力いっぱい宣言する顔、山寺に籠もって精神統一の修行をするも全然うまくいかず、和尚さんに確か「クビじゃー、お前はクビー!」と激怒されると、追い込まれたほう作が、あの「どんどどどぼちて、どんどどどぼちて」というセリフを口にしながら増殖し、それに恐怖した和尚が「ほとけちゃま〜!」と絶叫して逃走するという一連の流れ、それらを良く覚えています。結局は泳げるようになれず、しかしプールの中で縁に捕まりながら高速移動することで「泳げてる」と強弁するほう作に、当然ながら友人達が総ツッコミするオチだったと記憶しています。ほう作が水中を動く絵(その時の擬音が「しゃかしゃかしゃか」だったか「しゃこしゃこしゃこ」だったか、全然違ったのか、思い出せないのが残念ですが)、他のギャグ漫画では味わえない何とも言えない面白さでした。
突撃一番
2025年2月11日
そーいえば、思い出した。
まだ幼稚園の頃だったから薄ぼんやりだけど、アニメ「おぼっちゃまくん」の、恐怖の記憶。
【ムカデヘビ】のトラウマを!!!!
後から文庫本で読み返したら、原作の方がよっぽど怖ぇェ~~!!
ともピー
2025年2月11日
小学生の時にコロコロでなんとなくおぼっちゃくんを読んだりアニメも見ていましたが、ハマっていたのはキン肉マン、ハイスクール奇面組、ジョジョの奇妙な冒険など80年台の少年ジャンプで連載されていた漫画でした。
高校生一年の頃だと思いますが母親と一緒にスーパーに買い物に行った時に立ち読みしたコロコロにゴー宣の原型の漫画、「おこっちゃまくん」が掲載されていて、なんでおぼっちゃまくんの作者がこんな漫画を描いているんだろ、と思いながら読んだ数ページが印象に強く残っていました。
高校2年の時に薬害エイズ問題をテーマに描かれたSPA!を友達が読んでいるのを横から覗き見ていたのですがものすごく気になり、お金がなかったのでコンビニなどでSPA!のゴー宣をたまに立ち読みするようになりました。
そして大学生になってバイトするようになり、稼いだお金でゴー宣の単行本を購入して読むようになり、よしりん沼にハマっていきました。
なのでゴー宣からの読者というのが正直なところです。
オウム事件関連での坂本弁護士一家拉致事件の推理は地下鉄サリン事件の後、麻原も逮捕され少し落ち着いてきてから単行本でまとめて読んで、よしりん先生の推理はほぼすべて当たっていたんだなと思ったのを覚えています。VXガスを持って尾行してくるオウム真理教の信者の話もその後、漫画で描写され小林よしのりという漫画家はマジで命がけで戦って言論しているのだと理解しました。その後はもう目が離せなくなってしまい今に至ります。
すごいのはその洞察の深さです。常軌を逸している動物的な勘の鋭さからくる洞察はちょっと他の人には真似できない天才的なものです。それにプラスして情も深いのでよしりん先生の考えること自体が斬新的でありかながら共感を得ることが可能で、身の回りで起きることも劇的で漫画にしても面白いのだと思います。
社会人になりSAPIOの連載になったゴー宣は発売したらすぐに買って読んでいました。毎回のゴーマン発言に何度も元気をもらってきましたし、戦争論などからもいろいろ教えられて来ました。戦争で散っていった英霊に対する尊敬の念は戦争論を読んでいなかったら自分の中に生まれていないだろうと思います。
ということで、いま自分の中にある常識感覚の半分以上はよしりん先生のゴー宣から学んだもので形成されています、たぶん。ゴー宣に出会っていなかったらただでさえしょうもない人間が、もっとしょうもないことになっていた気がします。
はくぎょう
2025年2月10日
私の”はじめてのよしりん”は「東大一直線」です。少年ジャンプで出会いました。ただあまりにも昔すぎて、どの話がどうだったとかは覚えてないのですが、「パーペキ」と「パープリン」を友達同士で言いあったことを覚えていて、今でも思わず使ってしまいます。
それから、「黒猫の単語」を片手に持ち、鉛筆を舐めている東大通のコマがいまだに脳裏から離れません。「黒猫の単語」を読みたい願望が当時あって、それが今も続いているんだなぁとしみじみ思ってます。英和辞典なのか国語辞典なのか?機会があったらDOJOで質問したいです。
ただし
2025年2月10日
「はじめてのよしりん」は小学校低学年のころに、兄が買っていた少年ジャンプで目にした『東大一直線』でした。正直、絵が嫌いでほとんどの回を読まずに飛ばしていました。「黒ネコの単語」のギャグだけは今もおぼえていました。
二十代後半のころにオウム事件があり、「暗殺されかけた漫画家」として小林先生がワイドショーに出てきたのを見て、「あっ、東大一直線の人だ!」と驚きました。首が太く、愛想笑いも一切せず、憮然とした表情で話す先生のお顔や雰囲気と、高い声が印象的でした。
麻原を茶化した『ゴー宣』も紹介され、「あれっ、絵が上手くなっている!」と驚きました。
三十代になって見た「朝ナマ」で、田原総一朗の真向かいの席で堂々と自分の意見をのべ、誰よりも圧倒的に説得力があり、田原や他の出演者からも一目おかれ輝いていたのが小林先生でした。
小林先生の漫画が読みたくなり、本屋で『ゴー宣』シリーズを見つけパラパラめくると、可愛らしい絵と内容ぎっしりなお得感に惹かれました。ケチくさいわたしはブックオフへ行き、『戦争論』と『よしりん戦記』を購入しました。
家で最初『よしりん戦記』を開いたのですが、大百科みたいな企画でまとめられた本が好きなわたしは勿体ない気がして、少しずつ読むことにしました。
そして『戦争論』を開くと、夢中で一気に読み終えてしまいました。このような体験は初めてでした。まさに衝撃と感動。価値観の大逆転。
後に『天皇論』で2度目の経験をしました。
なお、『ゴー宣』で印税の回を読んでからは、正式に本屋さんで買っています。
三味線
2025年2月10日
残念ながら『おぼっちゃまくん』が流行った頃はハタチを越えていたので、さすがにコロコロや子供向けアニメを見ることもなく、いまDOJOなどでバリバリ活躍している世代とは少し外れています。^^’;
よしりん作品とのはじめての出会いは、就職して間もない頃、深夜に24時間営業のTSUTAYA(だったかな?)でたまたま手に取ったSPA!に掲載されていたゴー宣でした。ちょうど薬害エイズやオウムの頃で、ナニコレ!?めちゃオモロいやんけ(≧▽≦;!!と、出たばかりの『差別論』をはじめ既刊の単行本を慌てて買い揃え、夢中になって読み耽りました。当時からすべてが大納得の大ガッテンで、魅了されまくりでした。
それから転職を経て、『戦争論』発売!サヨク全体主義が席巻する中、よくぞ描いて下さった!!と超絶感動しました。大きな現場を指揮する際には、『戦争論』に登場した高村武人さんの「俺は指揮官なんだ!」に大いに勇気づけられ、ここ一番の難所では、いつもこの一言を自分に言い聞かせて乗り切りました。もちろん「最も自由にしてくれる束縛」も同様で、「臓腑の腐り止め」になっています。その頃、朝ナマで見る(動く&話す)よしりん先生や西部邁には、ときめいていました。
その後独立して、しばらく経ってからゴー宣DOJO(旧ゴー宣道場)が始まり、数年くらいはネット視聴のみでしたが、第33回からだったか?年に何度か参加するようになりました。初めてナマで見たよしりん先生には、まばゆい後光が射してました。
たぶんですが、これほど魅了されたのは、幼い頃近所にあった下宿のお兄さん達によく遊んでもらい、そこで良いことも悪いことも色々教えてもらった影響でしょう。よしりん先生のイメージは、いまだ下宿の(悪い)お兄さん感がどこかに残っています(笑)
安奈になりたい
2025年2月8日
還暦の女です。
はじめてのよしりんは
甲斐バンドのファンクラブビートニクの会報の4コマ?マンガです。
たぶんその頃子育てをしながら
行ける範囲で甲斐さんのコンサートに一人で行っていた。CDやVHSや書籍は必ず、グッズも買える範囲で買っていた。高校の時初めて行ったコンサートが甲斐バンドだった。ラジオのサウンドストリート?もカセットテープで録音して今でも持ってます❤️
今でも行ける範囲でライブ行ってます❤️
そんな私がビートニクでよしりんの存在を知りました。なんと甲斐さんと同級生というではありませんか!
毎回の4コママンガは甲斐バンド愛に溢れていて、しかもクソ面白くて
いつもとても楽しみだった。
そして次にゴー宣に触れ、熱烈に買いまくり読みまくりました。
甲斐さんのご友人というだけでもすごいのに、マンガはクソ面白くて
ゴー宣はすごくて感動します。
始めは甲斐さんのご友人という認識から入った私ですが、すっかりよしりんの虜になってしまいました。
九州福岡というところは
とてつもなくすごいお人を輩出するのですね。
ありがとう福岡❤️よしりんありがとうございます。
焙煎珈琲
2025年2月7日
https://tver.jp/episodes/epmpaw60l6
昨日放送のマンガ沼↑
夢の最強ラインナップを考案!コロコロコミック編でした。
「おぼっちゃまくん」当然紹介されてましたので是非見てください。
山内の1位2位はドラえもん、おぼっちゃまくんでしたよ。
58歳になった私の「はじめてのよしりん」は小学校4年のとき
金持ちの同級生の家(ジャンプ、マガジン、サンデー全部買っていた)
で読んだ「東大一直線」です。
マークシートで「100」なるように塗りつぶしたら100点だったという
よく覚えてますね。
ぼいからぼいからぼいからぼっか
ちゃいやんちゃいやんちゃいやんやん
後の茶魔語につながる独特のセリフ?は当時から健在です。
パワーホール
2025年2月6日
前に掲示板に書いたものと同様ですが、やはり「おぼっちゃまくん」です。弟がまず嵌り私もアニメを見るようになりました。なかでも袋小路君が怪獣となり茶魔も巨大ヒーローになり戦うエピソードを覚えています。
そして、大学の図書館で「SAPIO」掲載の「ゴーマニズム宣言」と出会い衝撃を覚え大学の図書館で読むようになったのを思い出します。しかし、大学卒業間近に心身の不調によりいったん離れてしまったことが残念です。大学時代には、「よしりん戦記」も購入しています。
そして、つい最近嵌った「その着せ替え人形は恋をする」という漫画があるのですが、その漫画の主人公の女の子がなんと茶魔と同じ言葉を使っていました。皆さんも覚えているでしょうが「しゅき」という言葉です。さらに、小林先生そっくりな漫画家も登場しています。もしかすると原作者が小林先生の影響を受けているのかもしれません。できれば、「着せ恋」と「おぼっちゃまくん」のコラボが見たいです。
ベース弾きの亀ZOMBIE
2025年2月6日
初めて読んだよしりん先生の作品ですが、実はよく思い出せないのですが気付いた時にはいつの間にかハマっていたという事です。
印象に残っているのはびんぼっちゃまのお母さんが亡くなってサイボーグ母ちゃんを拵えた話や茶魔が雷に打たれて頭が良くなり攫われてさいならっきょう爆弾を作った話や、メカ茶魔の話など上げたらキリがないです。
ゴー宣を読み出したのは書店に行ったら新ゴー宣1巻が置いていて読み出したのが社会や思想などを意識した瞬間なので初めてのよしりんは新ゴー宣1巻という事にします。
天乃川シン
2025年2月6日
「はじめてのよしりん」40代男性の場合
コロコロコミックで読んだ「おぼっちゃまくん」がよしりんとのファーストコンタクト?です。あの頭のツノは髪の毛なのか鬼太郎の妖気アンテナ的な現象なのか?非常にインパクトがありましたし、移動手段が亀って何だよ!(しかもピエールって)と爆笑したのを覚えています。
ちなみに我々の周囲の連中はコミックもアニメも含めて「茶魔」と呼ぶのが通常で、アニメの場合、「昨日、茶魔みた?」的に会話してました。
アニメついでに付け加えると、アニメ茶魔は19時半の「ポーン!」という時報が鳴った刹那、「かーめもち、かーねもち、いーたらきもち!」と、例のあの歌で景気よく始まるのですが、茶魔の観過ぎで我々少年たちはパブロフの犬状態になっており、19時半とか関係なく何処でも時報を耳にすると即座に、「かーねもち、かーめもち、いーたらきもち!」と、まるで精密機械か何かのように、完全に我を忘れて競い合うように歌い始めたものです(マジだから。ネタじゃないから)。これ、当時の小学生あるあるだと力強く思っています。
ゴー宣について言えば、高校3年生の夏?コンビニでSPA!を立ち読みしてたときでした。その回のゴー宣はフォレスト・ガンプのパロディで、よしりん先生がガンプに扮し、阪神淡路大震災を巡る時の政府の対応についてギャグ満載で斬り込んでいるものだったかと思います。
「何だ、このクソ面白れぇマンガは?」「ってか、これよしりんじゃねぇか!」と武者震いしてしまいました。
期せずしてあの(生ける)伝説の鬼才と邂逅した私はその足で古本屋に走り、ゴー宣の単行本たちを本棚の端からゴソッとをふんだくるようにして両手に抱え込み、レジに投げ捨てるようにして店員さんにドン引きされながら一気に購入したのでした(えぇ、あの時は狂っていました)。
これが、私のよしりん先生とのセカンド・インパクトまでの出来事です。
556
2025年2月5日
現在53歳の「はじめてのよしりん」は、購読していたSAPIOへの移籍からです。
タイトルは聞いたことあるな、程度からたちまち夢中になり、薬害エイズで盛り上がり、ついに謝罪を引き出し勝利だ、となった瞬間の「若者よ、日常に帰れ」。
今これを言えるのか、と衝撃を受けて、小林さんは正しい、信じて良いと確信して今に至るのです。
がんT
2025年2月4日
「はじめてのよしりん」―そう聞かれると「昭和55年男」の私は、多くの同年代の例に漏れず『おぼっちゃまくん』と回答します。いつ読んだかというと「小学1年生頃」、何で見たかというと「友達が読ませてくれた『コロコロコミック』」、どんな回だったかというと「伊勢志摩子ちゃん登場の回」だったと記憶しています。少なくとも発売直後に読んだものではありませんでした。じゃあ印象はどうだったかと聞かれると、大変申し訳ないのですが「汚い絵やなぁ」というものでした。それまで藤子不二雄先生風の余白の多い絵を見慣れた私にとっては、描き込まれた異質な絵のマンガでありました。まだまだマンガ読みとしては経験不足、いやはやお恥ずかしい。してみれば、山上たつひこ先生のフォロワーとしてのよしりん先生とのファーストコンタクトとも言えましょう。
「はじめてのよしりん」の印象はあまり良くないものでした。それから7年程で「人生の師」と言える尊敬の対象になるとは、この時点で夢想だにしませんでした。その過程もいつか書いてみたいものです。
或るファン
2025年2月4日
2016年、夏。
私(当時中学3年生)は『ゴーマニズム戦歴』に夢中だった。
ただエッセイや自伝の類が好きだからではない……社会問題といわれる事柄についてであっても、型にはまったポジションにとらわれずに表現するおとなが、カッコよく思えたのだと回想する。
“戦歴” を読みながら、『戦争論』前後に学生だった両親へインタビューすると次のようなことがわかった。
・母は『おぼっちゃまくん』や『ゴー宣』を読んだことはなかったが、西日本新聞に掲載されていた
“おぼっちゃまくんは風刺漫画である” という内容の記事が印象に残っている
・父は学生時代を中心に『ゴー宣』を読んだりスペシャル本を数冊購入したりした
この話を聴いた私は、ますます、”戦歴”で紹介されている作品や、作者・小林よしのり先生へ関心を向けることとなった。
2016年、秋-冬。
学校の英語の授業で、人物紹介の自由英作文が課された。
授業中にコンピュータを使用して情報を集めてよく、はじめは当時関心を持っていたとある政治家の名前を思い浮かべたが、思い直して “小林よしのり” を紹介することにした。
その過程で 「ゴー宣道場」(当時)のウェブサイトを閲覧するに至り、東京だけでなく関西でもイベントの実績があると知った。そのタイミングで、「もし福岡でやってくれたら絶対に行くぞ」と心に決めたことを記憶している。
一方、その頃から、公共図書館や大型書店を通じて『ゴー宣』の単行本やスペシャル本を読み漁るようになった。
また、家で『脱正義論』や『台湾論』を探し出し、繰り返し読んだ。
そして2017年。新発売の『天皇論平成29年』をひと晩で読んでしまった私は、偶然立ち読みしたSAPIO連載の『ゴー宣』欄外で九州ゴー宣道場の開催を知り、応募。
それが、”はじめての<生>よしりん” となったのだった。
それから8年の月日が流れようとしている、今。
私は『ゴーマニズム戦歴』の続きを読みたくて、仕方がないのだと思う。
「よしりん先生の思想の背景」を、作品群を考察する読者の視点で、少しでも掴み取ってみたくなるのである。
例えば、皇室や憲法の話題と比較すると、『日本人論』に描かれているような “人権”に対する叙述については私はいまだ読み取りきれていない気がしている。
この点は、『ゴーマニズム戦歴』を読んだ当時から変わっていない。
これから先、『ゴー宣』や「ゴー宣DOJO」がどのような広がりをみせてくれるのか、楽しみである。
智之丞
2025年2月4日
別の方でも書かせて頂きましたが、自分の「はじめてのよしりん」は、大学時代に近所の図書館で何気無く手に取った「ゴーマニズム宣言15」です。
当時自分は政治や社会問題に興味を持ち始めていた頃でした。それに自分自身は結構リベラル寄りの人間なので、
始めこそ「何言ってんだろうこのオッサンは?」みたいな失礼極まりない気持ちで読んでいたのですが、読み進めていくうちに小林先生の「熱さ」「豪快さ」「心意気」が自分の胸の中に段々と伝わってきて、結局はそこの図書館にあるゴー宣の本は全て読んでしまいました。
そして当時左翼に変わって台頭して来た自称保守ネトウヨ連中に対して「あんな連中が愛国者な訳が無い!」「お前らみたいな差別主義者は絶対に許さん!」という姿勢をはっきり見せてくれた事で
「ああ、この人は右翼とか左翼とか関係無く本当に信用出来る素晴らしい人だ!」と確信しました。
ただの正論だけなら誰でも言えますが、小林先生の様に「心ある正論」が言える人は今の世の中には滅多にいないでしょう。
それからはもうすっかりファンになり今に至ります。
右も左も思考停止して腐り切っている今の日本で、「思考する楽しさ」を日々刺激してくれる小林先生には感謝しかありません。
小林先生、これからも頑張って下さい!
神奈川のY
2025年2月4日
転載と加筆しています。
はじめてのよしりん。私の場合、小さい頃にテレビで観たおぼっちゃまくんだったと思います。当時は”何かお金持ちの子が亀に乗ってへけけっとしてるな”と思いました。
そして、おぼっちゃまくんの狡くも憎めないような行動などの性格が私の性格と重なっているのを感じ、幼少時は絶対、私はかわいい賢いさまよちゃんだ!と思っていました。今は、おぼっちゃまくんが他人事に観えないです。
2回目の出会いは香港の本屋で情報雑誌を求めてサピオを買った時です。確かイラクで日本の外交官が亡くなったニュースの時かと思います。そこで、よしりん先生のゴー宣を読み、遡ってゴーマニズム宣言や戦争論を買って読み始めました。軍人さんや戦争について興味持ったきっかけと思います。また、大陸に戦争論やゴー宣を持ち込む際、税関でドキドキしてました。そのさい、無言で女性の税関の人にピンク雑誌を取り上げられた日本人のおっさんが泣きそうな面をしてたのがいた気がします。馬鹿だなあと思ってました。
よっしー
2025年2月3日
私の初めてのよしりんは、東大一直線です!
小学生の頃、父がどこからか東大一直線の単行本を3冊買って来てテーブルの上に置いてありました。
当時少年漫画を読んでいなかった私が何気なくテーブルの上の漫画を読んでみたら、もう止まらない面白さ!
パーペキ!ぼいからぼいからぼいからかっか!ちゃいやんちゃいやんちゃいやんやん!などのよしりん語がツボにハマり家中転げ回って笑っていた小学生の私。
ハチャメチャなんだけど、最後のラスト一コマに凝縮された哲学的な東大達の一言に、何か得体の知れない凄みを感じてすっかりよしりんワールドの虜になりました。
その後、おぼっちゃまくんにハマり、大人になって駅で見かけたゴー宣にハマり、今に至ります。
私はよしりん先生のギャグと哲学と思想の融合が大好きなのです。
酔いどれカエル坊主
2025年2月3日
(前の掲示板からの転載です)
私の「はじめてのよしりん」は、『炎のカンちゃん』です。
『おぼっちゃまくん』の半年前くらいにコロコロコミックで掲載された作品ですね。
絵柄や登場人物の表情、迫力あるギャグに読み手として度肝を抜かれました。
中でも主人公・カンちゃんの必殺技、「お乳吸うプレックス」は、対戦相手の男の乳を吸って乳を大きくさせるという、今考えるとぶっ飛んだ発想ですが、当時は無邪気に大爆笑してしまいました。
「あたしのも大きくして」と、クラスの女子が乳丸出しでカンちゃんの前で列を作るというラスト、今だったら完全アウトですね(笑)
『おぼっちゃまくん』もぶっ飛んで面白かったのですが、当時は”作者が小林よしのりだから”という意識はしてなくて、爆笑のギャグマンガがある!という認識でした。
そのため、『おぼっちゃまくん』が連載されてからだいぶ後になって『おぼっちゃまくん』の作者が『炎のカンちゃん』の作者だと知ってびっくり転げたことはいまだに記憶に残ります(笑)
名もなきpunk
2025年2月3日
昭和56年生まれで、
うる覚えですが、
おぼっちゃまくんをTVで見たのが初めてのよしりんだと思います。
父親の家庭内暴力が吹き荒れる中、周りの友達の家庭や、茶魔がとても羨ましかったです。
ギャグよりも家族の絆が強いのがとても印象に残ってます。
コロナ禍でコロナ論読んでた感覚に近いです。
今YouTubeで見返してますが、ギャグも最高だし、感動するシーンも心に染みます。
こんな漫画他にはないぜ!
こん
2025年2月2日
私は、コロコロコミックとコミックボンボンを友達と貸し借りしながら、1文字残らず広告の隅々まで全部読んでいた、1988年ごろのおぼっちゃまくんです。当時小学4年生ぐらいだったと思います。
ともだちんこはちょっと恥ずかしいな、とそわそわしながらも、貧ぼっちゃまの登場で度肝を抜かれ、「落ちぶれてスマン」「しぎゃぴー!」とか、「そんなバナナ」とか、友達とゲラゲラ笑いながら茶魔語を日常会話に取り入れていました。
またおぼっちゃまくんは、学校の給食の時間の定番の話題で、牛乳飲んでるときに、茶魔のギャグを使って笑かして、牛乳ふきださせてましたね。あの頃は笑かせる奴がヒーローで、好きな女子を笑かすため必死で茶魔語を覚えまくっていました。
不純な動機込みですが(笑)茶魔は今でも間違いなく私の中のヒーローです。
yuki
2025年2月2日
「はじめてのよしりん」は確か戦争論の前の慰安婦問題を扱っていた新ゴー宣だと思います。
当時は、テレビで散々慰安婦のことをやっていたが、何か報道に対して腑に落ちない感覚をもっていました。そんな時、新ゴー宣に出会いました。
その時に読んだゴー宣は、衝撃的だったと思います。
まず、説得力が並はずれて凄いこと
そして、ここまで世間から誤解を受けるようなことを徹底的に闘う姿をみて何て強い人なんだ!と思いました。
思えばあの時に学習した、証言自体はそのまま証拠にはならないということは現在でも大変な教訓となって役に立っています。
今のジャニーズや中居さんのトピックを見ても、自分みたいな者でもヒステリックにならず、いつも冷静に客観視できるのは、ゴー宣に出会ったことが一番大きいと思います。
ゴー宣の本に出会う前に、小林よしのりさんの名前はもちろん知っていました。
薬害エイズを扱った朝生テレビだったと思いますが、当時はまだ政治の話もよく分からないまま観ていたのですが、よしりん先生の話だけはすんなり頭に入ってきた記憶ががあります。
よしりん先生は、漫画以外で
喋りの方も又超一流だと思っています。
かわじ
2025年2月2日
自分は昭和55年生まれなので「おぼっちゃまくん」世代ですね!
はじめてかどうかは覚えてないんですが、とにかく頭に焼き付いてるエピソードが「びんぼっちゃまへの詫びの印として『御坊家最高の食事を食わせろ!』という要求に、『お茶漬け』が出てきたエピソード」ですかねぇ~。
当然、最強の金持ち御坊家ですから、国産最高級の選別米「ひとつぶごとに釜ひとつずつ」使って、アルプス五万年前の雪解け水を空輸して、他もなんかとりあえず考えられる限り最強の素材と調理法を使った「お茶漬け」を茶魔&おとーちゃまが美味そうにすするのを見て、びんぼっちゃまがあぜんとする回、だったと思います(笑)
当然僕もあぜんとしたわけですが(笑)あれは「最高のものは原点に回帰する」という、児童誌コロコロコミックにも関わらず、よしりんセンセの思想が色濃くにじみ出た驚異の回だったんじゃないかと思います^w^
DAN
2025年2月2日
厳密に言えば、私のはじめてのよしりんは多分、こち亀の最終コマに出てきた東大通を単行本で見たのが最初だったかと(当時ジャンプは読んでいなかったので)
https://x.com/maxaydar/status/1152554838418309120?s=46&t=lAPC5xU8hCpp6cvMoYZk2w
とは言え、実質的なよしりんデビューは間違いなく「厳格に訊け!」です。
当時高校生でしたが、今でもかなり内容は覚えていますね。
特に中盤の八苦の塔編とか、相談者も御安心軍団も兎に角出てくるキャラが多彩でめちゃくちゃ面白くて、ウイーンナ少年合唱団とか腹抱えて笑った記憶があります(厳格にエロいものを見せられて全員同時に第二次性徴を迎え皮付きから皮なしになってしまう)。
また、当時の世相が分かるネタも多く、学園編では天安門事件で戦車の前に立ち塞がる女性を想起させるシーンが出てくるし、最終話は警察に連行される宮崎勤に「悩んでるタール人、お前は‥」と投げかけて結んでおり、強く印象に残りました。
こういう、後のゴー宣に通じる思想の一端が垣間見えるところもいいですね。
そういえば、原発反対のネタもありました。
「チンポがチャイナシンドロームを起こしとる!」
「お前の冷却水で冷やせ!」
「ああーん、原発反対!」
「たまげとるな〜たまげとるな〜人として〜」
確かこんな感じだったかと。
面白いので周囲の人にも是非薦めたいですが、いかんせんかなりアダルトな内容が多いので、小学生の息子にはまだちょっと読ませられないかなとは思います。
のりお
2025年2月2日
私の場合は「Will」で小林先生が書いた記事を読んだのが初めてですね。
私は当時ネトウヨで、毎月Willを定期購読していました。
小林先生の記事を読んだ時は、田母神論文への批評(Willでは田母神論文肯定派の意見ばっかりでしたが)が毎月ありました。
そんなWillが一回、田母神論文否定派の意見を載せました。
そしたら当然のごとく、次の号からは、その田母神論文否定派の記事への批判記事ばっかりになったのを覚えています。
そんな中で、一番説得力のあった記事が小林先生がWillに書いた田母神論文を擁護する記事で、それを読んだ私は「こんな凄い人いるんだ。わしズムって雑誌を作ってるのか、今度わしズム買ってみよう」と思い、Willの定期購読を辞め、わしズムの定期購読を行い、ゴー宣の読者になりました。
L.K
2025年2月2日
現在42歳、平成とともに小学校に入学した世代です。
そんな私の「はじめてのよしりん」は、もちろん『おぼっちゃまくん』です。
たしか、その頃読んでいた雑誌「小学○年生」(1年か2年の頃)で、コロコロに遅れて連載が始まったときの告知を見たのが初見です。
ちょ~豪勢なお坊家宅に、ゲームセンターさながらの大画面でゲームを遊べる茶魔の暮らしがとても裏山鹿でした。当時、私は親からゲームを禁止されていましたので。
今でも思い出すたびに涙が出そうになるのが、お母ちゃまにまつわるエピソードです。
過去に飛んで生前のお母ちゃまと対面する回の他、お父ちゃまが美々美さんと再婚する際にお母ちゃまへの想いが募り、反発し、葛藤し、少しずつ乗り越えていく展開が胸アツです。
また、茶魔が主要キャラと一緒に旅行中、悪天候に見舞われて遭難し、漂着した無人島で「世界を支配する」と言い伝えられる冠を奪い合う話も面白かったです。
子ども向けの漫画で、友だち同士でここまで欲望むき出しで争い合う話って、思い返してみればあまりなかった気がします。私が知らないだけかもしれませんが。
キャラのかわいさ、ギャグのおかしさ、スケールの壮大さを背景に、人間のリアルな心理・業の深さが描かれた稀代の名作だと思います。
さらうどん
2025年2月2日
私もたぶん「東大一直線」だと思います。
リアルタイム連載時期は小学校1年くらいの頃かな。でもその時は特にそんなに好きじゃありませんでした(失礼)。
続編の「東大快進撃」の方で「おおっ!」と思いました。
ハマッたのは大学生時代に読んだ「厳格に訊け!」からで、
その後、新社会人の頃に読んだ「ゴー宣」から本格的にハマりましたが、
熱量がもっとハンパない方々がいらっしゃるので、それに比べたら随分ヌルい読者です。
京都のS
2025年2月2日
(転載します)
私は家が極貧(世間はバブルなのに!)だったため「コロコロコミック」など買えるはずが無く、クラスメートに見せてもらったコロコロ掲載の『おぼっちゃまくん』がファーストインパクトです。茶魔の給食ラブ回でした。給食はダサいという空気の中で給食を擁護する茶魔の前に給食のおばちゃんが現れ、「いもの煮っころがしだよ、食べてくれるかい?」と言うシーンが記憶に残っています。空気に流されず美味しいものを美味しいと言う茶魔、軽く見られていたおばちゃんに敬意を払う茶魔、金持ち設定なのに凄いなぁと感じたのを覚えています。
セカンドインパクトは高校のクラスメートに見せてもらった「SPA!」の『ゴーマニズム宣言』でした。西部師匠と格闘しておられました(思いっきりおちょくりながらw)。サードインパクトは大学の学生生協に売っていた『差別論スペシャル』です。「ザ・部落ウルトラ開放フェスティバル」に只管ワクワクしたのを覚えています。そこから掲載誌も単行本も買うようになりました。そしてフォースインパクトは長期入院中に差し入れしてもらった『戦争論』です。病身には堪えましたが、全く目が離せず読破し、何度も繰り返し読みました。
以後、よしりんゾーンから全く抜けられずにいます(笑)。
あしたのジョージ
2025年2月2日
掲示板に石破茂のように回りくどく書いてしまったので、書き直します。
真の意味でよしりん先生の作品に最初に嵌ったのは、やはりゴーマニズム宣言だと思います。
私の中でよしりん先生が関わった作品がちらほらと引っかかっていましたが、ゴーマニズム宣言が始まってすんなりと嵌りました。
最初の頃は、今の絵の感じとは違っていて軽い感じがする絵のタッチだったと思います。
回を追うごとにオウム真理教などの宗教問題や薬害エイズ問題などワクワクするような感じがありました。
早く次が見たいと当時思ったものでした。
家庭の事情で途中から離れてしまった期間が実に悔しいです。🥺
だふね
2025年2月2日
私の「はじめてのよしりん」は、週刊「SPA!」で『ゴー宣』が連載が始まった1年後の、1993年2月頃? 第40章「自分の言葉で祝うとこーなった」を読んだ時のことです。(『ゴー宣』①所収)
小林先生が、天皇陛下(当時皇太子)のことを「皇太子っていいやつじゃん」と評価なさっていた、あの率直さ、あの衝撃は今でも忘れられません。
私が陛下と雅子さまのご婚約会見を見た直後の、感想そのままで。そこから、毎週読むのが楽しみになりました。(『おぼっちゃまくん』の作者と同じと知ったのは、実は後になってからです。)
出産・育児など慌ただしかった一時期は『ゴー宣』から離れていましたが、戻ることができたのは『天皇論』と『新天皇論』がきっかけ。
その時小林先生は既に皇統問題をテーマに「ゴー宣道場」を開催しておりました。私も平成29年から、遅ればせながら門下生としてお手伝いを始めたわけですが、そこに不思議な運命を感じております。
いわば、天皇皇后両陛下が、私と『ゴー宣』をつないでくれたようなものですから。
そして、「はじめて」から30年以上経って、『ゴー宣』にも思いがけず登場させていただいたことは、読者として光栄の極み。読み始めた当初はまったく想像もしていなかった展開に、「人生って、おもしろいなぁ」と身に沁みて感じている、今日この頃です。