自民・麻生氏、夫・子皇族案に難色 「皇位継承の伝統守る」【時事通信】&自民・麻生太郎氏「皇位継承に関心を。伝統引き継ぐのが保守政党」【朝日新聞】

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自民党の福岡県連大会(5月24日開催)での麻生氏の発言を、時事通信が報じています。

自民・麻生氏、夫・子皇族案に難色 「皇位継承の伝統守る」【時事通信】

皇族数確保策の一つである女性皇族が結婚後も皇室に残る案を巡り、「女系天皇」につながり得るとみる夫・子への皇族身分付与に改めて難色を示した発言だ。

読売新聞の提言にもある「夫・子を皇族に」は、立憲民主党の主張している言説であり、朝日新聞は「野田代表は女系天皇を認める案を主張」と報じていました。

その朝日新聞は、さらに詳しく、同大会での麻生の発言をまとめて伝えています。

自民・麻生太郎氏「皇位継承に関心を。伝統引き継ぐのが保守政党」【朝日新聞】

関心を持っていただきたいのは皇位継承だ。長く続いた126代、皇紀2685年。歴史、伝統をきちんと引き継いで行かなければならない。それが自由民主党という保守政党のあるべき姿だ。私たちの歴史とか伝統とか文化とか、世界に誇れる日本の輝かしい伝統をきちんと思い続けていただきたい。

どうやら、皇紀という紀年法(年を数えたり、記録したりする方法)は、歴史的に、2685年間、ずーっと使われていると誤解しておられるようなので、すぐに調べられるところをみてみました。

神武天皇即位紀元(じんむてんのうそくいきげん) 通常は略して皇紀(こうき)という。
日本では明治5年(1872年)に神武天皇即位紀元を制定するまでは、紀年法として元号や干支を使用(あるいはそれらを併用)していた。明治維新後、政府は西洋に倣って、暦法を改め太陽暦を採用するとともに、紀年法として紀元を採用することにした。明治5年(1872年)、政府は太陰太陽暦から太陽暦への改暦を布告し、その6日後に神武天皇即位を紀元とすることを布告した。
ウィキペディアより

現在では目にすることもあまりない皇紀という言葉が、伝統と歴史の根拠として述べ立てられた党大会に、朝日新聞は目を剥いて記事にしたと思われます。

明治時代に採用された皇紀を現在もカウントし続けることが保守政党のあるべき姿と思っておられるようですが、それは保守ではなく、明治懐古主義(明治時代のものを懐かしみ、良いものとして、アップデートできないこと)といえるでしょう。

「愛子天皇への道」サイト運営メンバー まいこ

2 件のコメント

    ふぇい

    2025年5月25日

    何が伝統なのか。
    皇室を滅ぼしても、自分に票をくれる人の方を向くことが、自民の「伝統」なんですかね。

    SSKA

    2025年5月25日

    違法献金、統一協会に加え、さらに国の根幹を揺るがす男系固執による皇統消滅と3つ重なった罪は全て党の判断が招いた結果で、しかも現在に至るまで何の反省の色も感じられません。
    一部の違いを除けば読売提言からは稀に見る気骨ある保守の姿勢を感じたのに対し、彼等は全く意に介さず産経に従い自滅の道を選ぶつもりなら天皇陛下や国民を心中して巻き込まずに自分達だけで勝手にやれと思います。
    幾度かのトップ会談において当事者のご意向に沿った皇族数確保策をと提案されているのに、完全無視を決め込んで各地の支援者と気勢を上げて反逆を示すのも最早救い様の無い末期状態です。

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