見つかったのは女性の有力者!? 古墳時代の石棺2基出土 人骨と副葬品も 熊本市の江津湖遺跡群【熊本日日新聞】

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古墳時代中期の江津(えづ)湖遺跡群について、熊本日日新聞が記事を出しています。

見つかったのは女性の有力者!? 古墳時代の石棺2基出土 人骨と副葬品も 熊本市の江津湖遺跡群【熊本日日新聞】

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概要
・江津湖遺跡群は、下江津湖の東側に広がる縄文時代から近世にかけての遺跡。1972年から本格的な調査開始。
・今回新たに約1600年前の古墳時代中期の石棺が2基並んだ状態で見つかり、人骨は頭以外は不完全な状態で、それぞれ1体ずつ確認され、いずれも女性とみられる。
・副葬品は木を加工する道具が多く、埋葬者は工芸関係者だった可能性

熊本県といえば、熊襲 (くまそ 肥後国 (現在の熊本県)の 球磨 (くま)と 大隅国 (現在の鹿児島県)の 曾於 (そお)一帯)とヤマトタケルの逸話を思い起こします。

「神功皇后論」-「クマソは蛮人ではない」で描かれたように文化的にも洗練されていること、さらには女性も重んじられている土地柄であることが、二つの石棺の発見からも伺えますね。

「愛子天皇への道」サイト運営メンバー まいこ

1 件のコメント

    突撃一番

    2025年8月22日

    1600年前だと丁度、「倭の五王」の時代と重なりますね。
    ハッキリと西暦に直す事は出来ないけど、さしずめ允恭〜雄略天皇くらいか?

    冊封体制の影響を、まさにダイレクトに食らってた時代にあっても、豪族集団の中で女性が力を持つ事はあったようです。

    もっとも「首長」とまで言い切れるかどうかは、まだ判断しづらいです。
    参考までに言うと、古墳時代後期の男性リーダーの副葬品は、矢じりとか甲冑みたいな武具が中心だったらしいから。

    雄略の次代・清寧天皇の死後、飯豊青皇女が一時的に政務を執ったとされるのも、そこから少し時代を下った頃なので、シナの影響がもし無ければ、彼女も「倭王」として扱われていたかも知れませんね。

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