2 倭の五王と推古天皇、決定的な違い
「ゴー宣DOJO」に御集りの皆さんの中にも、NHK『英雄達の選択』推古天皇回をご覧になった方も多いとは思いますが、視聴してて、なんかおかしいと思いませんでした?
古墳時代以前の倭国って、卑弥呼に代表される如く「男女双系社会」だった筈ですよね?
よしりん先生がこれまで、あらゆる機会を捉えて薫陶してこられたように、初期の古墳に埋葬された豪族リーダーの5割近くを女性が占めていたという話も、まさにこの番組にインタビューで登場した義江明子氏が、『女帝の古代王権史』で指摘されている事です。
日本が父系社会へと傾いていくのは、7世紀末~8世紀初頭の、シナ律令導入以降の事だった筈ですよね?
なのに番組の序盤では、「天皇は、軍を率いて戦う男性が継ぐのが、100年以上続く不文律だった」と解説しています。 穴穂部皇子・物部守屋を誅殺する事で「丁未の役」を鎮圧させたのに、推古=額田部皇女がすぐには即位できず、崇峻天皇が擁立された背景には、こうした「男帝不文律」が存在した事も、ほかならぬ義江氏が分析されている事です。
6世紀後半の倭国は、どうやら「男女双系」ではなかったみたいですね??
古墳時代前期くらいまでの「男女双系」から、4世紀末~推古即位直前まで続いた「男帝不文律」へ。
律令すら未導入だった頃の古代倭国のジェンダー観を、ここまで男性優位へと変貌させた要因は、何だったのでしょうか?
なぜ、額田部皇女は当初、即位できなかったのでしょうか❓
その最大の要因こそ、番組内で磯田道史氏が解説していた、「冊封体制」です。
「使持節都督倭新羅任那加羅秦韓慕韓六国諸軍事安東大将軍倭王」(しじせつととくわしらぎみまなからしんかんぼかんりっこくしょぐんじあんとうだいしょうぐんわおう)
ほぼ確実に雄略天皇と同一人物だと言われる「倭の五王」最後の一人・倭王「武」=ワカタケル大王が、南宋の皇帝から授かった「称号」です。
ボケ予防も兼ねて、暗記してみますか? 俺はムリだけど(笑)。
『宋書倭国伝』に明らかですが、ここまで長ったらしい称号名をもらえるようになるまでに、讃からはじまり、珍・済・興・武と続く倭の五王は、大変な苦労を重ねます。
讃の頃は、確実に与えられたとみられる称号は「倭国王」ぐらいだったようです(河内p58)。 これなら覚えやすいね(笑)
それ以降、新王即位の度に朝貢を繰り返し、東アジアにおける、特に高句麗との関係性を優位にすべく、さらなる称号をねだり続けた結果、ここまで長くなっちゃったみたい。
「軍事安東大将軍倭王」という称号名からも察しはつくかと思いますが、こと「ジェンダー」という目線で見た際に、倭国に大きな影響を与えた要素が、ガチガチの男系社会であるシナ(南宋)の皇帝からこういった称号をもらえるのが、男性だけだったという事。
「武」を最後に、南宋との冊封関係は途切れるものの、その影響は天皇を推挙する側である群臣達の間にも根強く残り、「オオキミ=男でなければならない」という固定観念は、なかなか払拭されなかったようです。飯豊皇女が、記紀神話において明確に「天皇」としては扱われていないのも、武烈天皇の男系血縁が途絶えた後も手白香皇女が即位せず、「継体天皇のキサキ」という地位に留まったのも、冊封時代に起因する「男帝不文律」が影響している可能性は高いと思われます。
不文律というか慣習というか、もはや明治初期の「男を尊び・・・」と同様の、 “時代の空気” とでも言うべきかも知れません。まさに番組のエンディングで磯田さんが指摘した、「なんとなくしきたりだから」で6世紀までやってきちゃった感じですかね(笑)。
そんなシナ由来のしきたりを、類まれなるリーダーシップで破壊してくれたのが、額田部皇女改め推古天皇ですが、彼女が派遣した遣隋使がそのような「称号」を要求する目的ではなかった事は、番組内で解説されている通りです。
シナ皇帝から権威をもらう事によって箔をつけ、豪族を従えるのではなく、あくまで「争いごとなく国を統治する手段」としての仏教導入であった事は、本ブログの前編でも述べたので、ここでは繰り返しません。
もし推古天皇が「倭の五王」同様、隋からの冊封を受けていたら、どうなっていたでしょうか?
女性であるが故にそもそも「安東大将軍倭王」みたいな称号すら、もらえなかったかも知れません。
それが影響して、のちに編纂される記紀神話にも、明治以降の歴史教科書にも「天皇」としては記述されず、飯豊皇女同様、「聖徳太子が一人前になるまでの暫定統治」みたいな扱いで、即位の事実すら、後世に伝えられる事もなかったかも知れませんよ?
「日出づる処の天子・・・」という国書は確かに、義江氏の言う通り、隋とタイマンを張るような意図ではなかったのかもしれません。
しかし、男性限定の称号に頼らず、「女性」が統治者として君臨する事自体がまさに、シナ冊封体制からの独立を意味すると言えるのではないでしょうか!?
最後に番組全体を通しての感想ですが、基本的には義江明子さんの『女帝の古代王権史』・推古天皇章のおさらい、という感じの内容でした。義江氏の、とても70代後半とは思えないエネルギッシュなインタビュー映像も含め、主張の要点を的確に捉え、わかりやすく反映した番組づくりに好感が持てました。
今度は是非、持統天皇についても、今回と同じスタンスでもう一回やり直してほしいな。
群臣推挙をはねのけ、「天つ神の委(よさ)し」によって即位した史上初の天皇という扱いで!!
文責 北海道 突撃一番
参考文献
河内春人『倭の五王 王位継承と五世紀の東アジア』中公新書2018年1月25日
義江明子『女帝の古代王権史』ちくま新書2021年3月10日
1 件のコメント
京都のS
2026年3月31日
突撃様、続きを待っていましたよ。
「男性限定の称号に頼らず、『女性』が統治者として君臨する事自体がまさに、シナ冊封体制からの独立を意味すると言える」の一文に静かな感動を覚えました。
「使持節都督倭新羅任那加羅秦韓慕韓六国諸軍事安東大将軍倭王」は、倭王が朝鮮半島に拠点(任那日本府etc.)を持っていた事実に依拠した称号だと思われますが、それは神功天皇(そう敢えて呼ぶ)が新羅を屈服させた事実に起因するはずです。
推古帝の対シナ政策は、男王がシナポチ志向だったのに対し女王は独立志向という鮮やかな対比となっていますね。まぁ女性だったら何でも良いわけが無く、高市早苗はアメポチ志向が安倍と同等かソレ以上と来ています。ヤレヤレです(笑)。