【論破祭り】女は「皇長子」じゃない!?小物ronpaに学ぶ、「シナ男系」 (中編)

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前回ブログの末尾でも触れましたが、元々律令導入以前の倭国には、「男女で称号を分ける」という風習自体がありませんでした。

有名な事例を上げると、万葉集の歌人として有名な「額田王(ぬかたのおおきみ)」がいます。

大海人皇子との間に娘をもうけ、のち中大兄皇子の後宮に入った女性ですが、この人も万葉集では、女王ではなく「王」と表記されています。

また、継体天皇の出自を記した史料として知られる『上宮記』でも、天皇の子孫は男女の区別なく、人名の下に「王」と表記されたそうです(赤坂p2)。

※ 実際、『上宮記』逸文にみえる、継体天皇に至る系譜の中には「践坂大中比弥王(ほむさかのおおなかつひめみこ)」という女性王族の名前も登場しますが(笹川p56)、これに関してはどうにも、「比弥王(ひめみこ)」という女性向けの称号だった可能性もあるんじゃないかと、自分の中でまだ疑問が払拭出来ていません。

ここで話題を変えますが、『古事記』敏達天皇条によると、異母妹の炊屋比売(のちの推古天皇)も含めた四人のキサキとの間に、男女合わせて「十七王」をもうけた事が記されています。 子沢山ですねww

うち女性の内訳は10名ですが、これらの女性は殆どが「貝蛸王」「坂騰王」「桑田王」など、女性であるにも関わらず「女王」ではなく、男性御子と同様に「王」と表記されています。

これがもしシナであれば、男女によって称号が厳密に区別されていたので、皇帝の男子は「王」、女子は「公主」と表記されます。 従って『古事記』や『万葉集』等のように、女性が「王」と称せられる事は、あり得ないのです(義江p60)。

※ 余談ですが、これらの御子達は全て、古事記では同母子単位で括られています。

天皇のキサキ達はそれぞれ別の宮で生活し、生まれた御子達もまた、それぞれの母親の宮で生活する為、父親よりも母子間の結びつきが強かった事が、「通い婚」を基盤とする双系社会の特徴だったのでしょう。

※ ※ さらに余談ですが、『昭和天皇論』の最後の方に書いてあった「目方王(めかたのおおきみ)」はドツボだった!!wwwwwwww

文責 北海道 突撃一番

参考文献

・『万葉集』岩波書店2013年1月16日p60、61
・義江明子『女帝の古代王権史』ちくま新書2021年3月10日
・笹川尚紀「継体天皇ー母方に関する事柄を中心にー」新古代史の会『人物で学ぶ日本古代史 1 古墳・飛鳥時代編』 吉川弘文館2022年8月10日
・小林よしのり『ゴーマニズム宣言SPECIAL 昭和天皇論』 幻冬舎2010年3月20日

・赤坂恒明『「王」と呼ばれた皇族』吉川弘文館2020年1月10日
※ これ、断っておきますけど、前書きからしていきなり「ガチダンケー」の本です!
 それを踏まえた上で読めば、内容自体は濃ゆいので、まあそれなりに勉強にはなるかと思います。 しらんけど。

2 件のコメント

    突撃一番

    2025年3月8日

    掲載&コメントありがとうございます!
    愛子様トークも視聴しました!

    律令前後で、もしかしたら「礼服」の男女差も大きく変わっていった可能性はありますね。
    平安時代以降の服装は、『光る君へ』でも明らかなように、男女で大きく変わりますから。
    その辺の「有職故実」についても、興味はあるけど深く調べるには時間かかるかも。

    ふぇい

    2025年3月8日

    今日の愛子さまトークで取り上げた
    礼服の話にもつながってきますね、

    古代は男女同権(というか、特に分けてない。分ける概念が存在しない)
    ありがとうございます。

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