グリル厄介者vol.5(その3)

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シン・サトルです。
前回その2‥までは、倉山氏のSPA!記事について、

・制度論
・政局分析
・支持者向けメッセージ
・戦況演出

が混在しているのではないか?という視点から、本文を整理してきました。今回は、倉山氏が繰り返し使う、「先例」という言葉について、少し整理してみます。

まず最初に確認したいのは、

「先例を参照すること」と、「先例だけを絶対基準にすること」は、同じではないという点です。

ここは、かなり重要な点だと、私は思います。倉山氏は記事中で、

を、女系派敗北の大きな要因として挙げていますし、そう読めます。

また、

とも書いています。

つまり倉山氏は、「先例」を、かなり重い基準として扱っています。

もちろん、皇室制度において歴史や先例を軽視してよい、という話ではありません。私は、むしろ逆に、皇室は長い歴史の連続性を持つ存在だからこそ、歴史的経緯や制度の蓄積を慎重に参照する必要があると考えます。

しかし、と同時に、

「先例がある」
   ↓
「だから現行制度でも妥当」

とは、必ずしもなりません。私は間違ってますか?
ここを分けないと、議論がかなり危うくなると考えます。

たとえば今回議論になっているのは、

・「現行憲法下」
・「象徴天皇制下」
・「国民主権下」

での制度設計です。

つまり、そうであるならば、平安時代や江戸時代の制度を、そのまま現代へ移植できるわけではありません。

歴史上、何らかの事例が存在したとしても、

を検証する必要があります。

最近、元宮内庁書陵部編修課長の鹿内浩胤氏が、「旧宮家養子案を前例とされる宇多天皇の事例は、当時でも特例だった」という趣旨を指摘していますし、報道されてます。

元とは言え、宮内庁書陵部…しかも、編修課長の職を務められた方の発言…が

皇室において、どのような位置付けで、また重みがあるのかは、私なんかより、皇室研究家の倉山氏なら、十分過ぎるほどおわかりになると思いますが…如何でしょうか?

ここは、かなり重要だと思います。

つまり、

さらに重要なのは、「先例」という言葉は、使い方によってかなり印象が変わることです。

たとえば、「先例がある」と言われると、「昔から普通に行われてきた」ように聞こえる場合があります。

しかし実際には、

・極めて例外的
・政治的非常措置
・その時代でも異論があった
・制度として定着していない

可能性も、否定しきれないままあります。

だから本来必要なのは、

の検証が必要になります。

ここを飛ばして、

「先例がある」
   ↓
「だから問題ない」

へ行くと、検証としても、かなり雑にならないでしょうか?先例を尊重すればこそ。

しかも今回、倉山氏の文章では、

という強い言葉が、かなり連動しています。

すると読み手によっては、

「先例に反する」
   ↓
「伝統破壊」
   ↓
「国体毀損」

へ、一気に接続してしまう可能性があります。しかし、本来の制度論は、そこまで単純ではないはずですし、単純に扱うべきなんでしょうか?

さらに少し気になるのは、氏は以前は、「血統」そのものを、かなり絶対的な基準として説明していた論調が、今回は、「先例」へ、やや軸移動しているようにも見える点です。

つまり、

「血統絶対」
  ↓
「先例絶対」

へ、測定軸が変化している印象も受けます。わたしの勘違いなら良いのですが…。
もちろん、先例参照そのものが悪いわけではありません。

ただ、本来必要なのは、「その当時の制度が、現行憲法下で、将来にわたり安定的に成立するのか?」という検証のはずです。

たとえば現在でも、

・女性皇族の婚姻後の立場  ・配偶者や子の身分 ・皇族数減少
・象徴天皇制下での皇室活動 ・国民の理解    ・憲法14条との整合性
・皇室典範9条       ・皇籍取得の客観性

など、複数の論点が絡んでいます。特に少なくない、独身皇族女性の方々の人生を大きく左右します。これは特に見逃すべきではありません。
………

つまり、

「先例があるか否か」だけで処理できる話ではありません。むしろ必要なのは、「現行憲法下で、将来にわたり、安定的に制度運用できるか」という視点だと思います。

ここで少し気になるのは、倉山氏の文章では、「先例」が、かなり“勝敗判定装置”として使われているように見えることです。

つまり、

「先例に基づく」
   ↓
「保守側の勝利」
   ↓
「女系派敗北」

という構図です。しかし本来、先例とは、

「相手を殴る棒」ではなく、「制度検証材料」のはずです。そして、検証材料である以上、

・本当に類型化できるのか?
・現代制度へ接続可能か?
・例外なのか恒常制度なのか?
・憲法秩序と整合するのか?

まで見なければならない。

少なくとも、「先例がある」だけで、制度論は終わりません。
逆に言えば、「先例がない」だけでも、即座に否定できるわけでもありません。

重要なのは、「なぜその制度が、現代の象徴天皇制下で安定的に成立するのか」を説明できるかどうかです。

そして、ここを説明するには、

・歴史   ・憲法  ・制度運用
・国民統合 ・立法事実・実効性

などを、総合的に見る必要があります。

だからこそ、いま必要なのは、「どちらが勝ったか」ではなく、「本当に制度として持つのか」を、静かに、真剣に、基準をもって確認していくことだと思いますが、どうでしょうか。

長くなりました。

次回は、倉山氏の文章で繰り返し出てくる、

・「国体」
・「国民の理解」
・「伝統」

といった言葉が、具体的に何を指しているのか、もう少し整理してみたいと思います。言葉が強くなるほど、逆に定義や制度接続を確認する必要があるからです。

つづく

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