シン・サトルです。
前回その2‥までは、倉山氏のSPA!記事について、
・制度論
・政局分析
・支持者向けメッセージ
・戦況演出
が混在しているのではないか?という視点から、本文を整理してきました。今回は、倉山氏が繰り返し使う、「先例」という言葉について、少し整理してみます。
まず最初に確認したいのは、
「先例を参照すること」と、「先例だけを絶対基準にすること」は、同じではないという点です。
ここは、かなり重要な点だと、私は思います。倉山氏は記事中で、
«「先例に基づく議論を行え」との論が広がったこと。»
を、女系派敗北の大きな要因として挙げていますし、そう読めます。
また、
«「養子」は皇室の歴史で多くの先例があるから、皇室典範で恒久法化して良い。»
とも書いています。
つまり倉山氏は、「先例」を、かなり重い基準として扱っています。
もちろん、皇室制度において歴史や先例を軽視してよい、という話ではありません。私は、むしろ逆に、皇室は長い歴史の連続性を持つ存在だからこそ、歴史的経緯や制度の蓄積を慎重に参照する必要があると考えます。
しかし、と同時に、
「先例がある」
↓
「だから現行制度でも妥当」
とは、必ずしもなりません。私は間違ってますか?
ここを分けないと、議論がかなり危うくなると考えます。
たとえば今回議論になっているのは、
・「現行憲法下」
・「象徴天皇制下」
・「国民主権下」
での制度設計です。
つまり、そうであるならば、平安時代や江戸時代の制度を、そのまま現代へ移植できるわけではありません。
歴史上、何らかの事例が存在したとしても、
・その時代背景は何か
・当時の法体系はどうだったのか?
・現在の憲法秩序と接続可能なのか?
・現代の国民統合原理と整合するのか?
・現在の皇室典範と矛盾しないのか?
を検証する必要があります。
最近、元宮内庁書陵部編修課長の鹿内浩胤氏が、「旧宮家養子案を前例とされる宇多天皇の事例は、当時でも特例だった」という趣旨を指摘していますし、報道されてます。
元とは言え、宮内庁書陵部…しかも、編修課長の職を務められた方の発言…が
皇室において、どのような位置付けで、また重みがあるのかは、私なんかより、皇室研究家の倉山氏なら、十分過ぎるほどおわかりになると思いますが…如何でしょうか?
ここは、かなり重要だと思います。
つまり、
「前例が存在した」ことと、「安定した制度類型として確立していた」ことは、別問題です。
さらに重要なのは、「先例」という言葉は、使い方によってかなり印象が変わることです。
たとえば、「先例がある」と言われると、「昔から普通に行われてきた」ように聞こえる場合があります。
しかし実際には、
・極めて例外的
・政治的非常措置
・その時代でも異論があった
・制度として定着していない
可能性も、否定しきれないままあります。
だから本来必要なのは、
「先例があるか」だけではなく、「その先例は、どのような条件下で成立していたのか」が、「安定的な皇位継承の制度に現憲法下でも、接続可能か?」
の検証が必要になります。
ここを飛ばして、
「先例がある」
↓
「だから問題ない」
へ行くと、検証としても、かなり雑にならないでしょうか?先例を尊重すればこそ。
しかも今回、倉山氏の文章では、
・「先例」
・「伝統」
・「国体」
という強い言葉が、かなり連動しています。
すると読み手によっては、
「先例に反する」
↓
「伝統破壊」
↓
「国体毀損」
へ、一気に接続してしまう可能性があります。しかし、本来の制度論は、そこまで単純ではないはずですし、単純に扱うべきなんでしょうか?
さらに少し気になるのは、氏は以前は、「血統」そのものを、かなり絶対的な基準として説明していた論調が、今回は、「先例」へ、やや軸移動しているようにも見える点です。
つまり、
「血統絶対」
↓
「先例絶対」
へ、測定軸が変化している印象も受けます。わたしの勘違いなら良いのですが…。
もちろん、先例参照そのものが悪いわけではありません。
ただ、本来必要なのは、「その当時の制度が、現行憲法下で、将来にわたり安定的に成立するのか?」という検証のはずです。
たとえば現在でも、
・女性皇族の婚姻後の立場 ・配偶者や子の身分 ・皇族数減少
・象徴天皇制下での皇室活動 ・国民の理解 ・憲法14条との整合性
・皇室典範9条 ・皇籍取得の客観性
など、複数の論点が絡んでいます。特に少なくない、独身皇族女性の方々の人生を大きく左右します。これは特に見逃すべきではありません。
………
つまり、
「先例があるか否か」だけで処理できる話ではありません。むしろ必要なのは、「現行憲法下で、将来にわたり、安定的に制度運用できるか」という視点だと思います。
ここで少し気になるのは、倉山氏の文章では、「先例」が、かなり“勝敗判定装置”として使われているように見えることです。
つまり、
「先例に基づく」
↓
「保守側の勝利」
↓
「女系派敗北」
という構図です。しかし本来、先例とは、
「相手を殴る棒」ではなく、「制度検証材料」のはずです。そして、検証材料である以上、
・本当に類型化できるのか?
・現代制度へ接続可能か?
・例外なのか恒常制度なのか?
・憲法秩序と整合するのか?
まで見なければならない。
少なくとも、「先例がある」だけで、制度論は終わりません。
逆に言えば、「先例がない」だけでも、即座に否定できるわけでもありません。
重要なのは、「なぜその制度が、現代の象徴天皇制下で安定的に成立するのか」を説明できるかどうかです。
そして、ここを説明するには、
・歴史 ・憲法 ・制度運用
・国民統合 ・立法事実・実効性
などを、総合的に見る必要があります。
だからこそ、いま必要なのは、「どちらが勝ったか」ではなく、「本当に制度として持つのか」を、静かに、真剣に、基準をもって確認していくことだと思いますが、どうでしょうか。
長くなりました。
次回は、倉山氏の文章で繰り返し出てくる、
・「国体」
・「国民の理解」
・「伝統」
といった言葉が、具体的に何を指しているのか、もう少し整理してみたいと思います。言葉が強くなるほど、逆に定義や制度接続を確認する必要があるからです。
つづく