5月27日(水)放送「報道1930 なぜ‥“男系男子”が議論の中心/女性天皇は?皇室典範改正が大詰め」で百地章氏が使用していた「天皇系図」、どこかで見たように思い、調べたところ、令和の有識者会議の説明資料として提出されていたものと同じでした。

百地 章 国士舘大学特任教授 説明資料(PDF/2,308KB) 10頁目
宮内庁HPに記載の「天皇系図」と比較したところ、
37代斉明天皇と34代舒明天皇の婚姻を示す=二重ラインと
37代斉明天皇から38代天智天皇への皇位継承を示す-ライン
さらに
43代元明天皇と草壁皇子の婚姻を示す=二重ラインと
43代元明天皇から44代元正天皇への皇位継承を示す-ライン
すなわち、女系天皇の存在を示す重要なラインが
百地氏の説明資料から消去されていることが分かりました。

さらに「報道1930」で示された資料とも比較してみます。

番組で表示された資料は、「宮内庁HPを基に作成」となっていますが、
女性天皇をオレンジの人型で表しているのは
「女帝に〇」となっている百地氏の資料の反映と考えられ、
婚姻と女系継承ラインも消去されています。
松原氏:ちょっとですね、系図を見ておきたいと思います。先ほど VTR の中でも出ましたが、人型になってるのが天皇になられた方。そして色が付いてる、オレンジが女性天皇で。見るとですね、確かに女性天皇は時々、見られるんですが、女系は ないんですね、この神武天皇以来ので言う と。
番組キャスターの松原耕二氏をはじめ、この系図をパッと見た方々にとっては
確かに女性天皇は時々、見られるんですが、女系は ない と思わされるのは道理。
明らかに宮内庁が掲載している天皇系図とは違う説明資料によって
令和の有識者会議のヒヤリングで百地氏は女系天皇を否定していました。
・天皇の系図を見ると、直系継承ばかりではなく、非常に複雑である。これは
「男系による皇位の継承」を維持するためであった。「直系」が長く続いた例
は、初代神武天皇から第13代成務天皇までや、第119代光格天皇から第
126代今上天皇までなど数少ない。それ故、「直系」を優先し、結果的に女
系をもたらすやり方は、皇室の伝統を否定するものである。
百地 章 国士舘大学特任教授 説明資料(PDF/2,308KB) 1頁目
男系固執派の維新の会における勉強会においても、百地氏は
同じ資料を使っています。
2019年6月18日(火) 日本維新の会政調会 役員会並びに憲法改正調査会 勉強会(「皇位の安定的継承」について)開催のお知らせ
憲法改正調査会 勉強会資料 皇統譜.pdf
国会議員をはじめとする男系固執派が、なぜ頑なに
女系天皇を認めないのか不審に思っていましたが、
大元は、女系天皇ラインが消去された資料だったのかもしれません。
小林よしのり先生が、非常に明解に、女性天皇について解き明かした
素晴らしい場面を改めてご紹介します。

新たなる有識者会議の際は、この卓越した説明資料によって
男系固執派の迷妄を覚ましていただきたいと思います。
「愛子天皇への道」サイト運営メンバー まいこ
4 件のコメント
mantokun
2026年5月29日
何にも知らないネトウヨさんは、古代史学者に学ばずにエセ専門家から、皇位継承ではなく「男系血統の接続」を前提に作り上げたこんな系図を刷り込まれるから、男系固執派になっちゃうんですね。
百地の系図では元正天皇が即位できた理由が説明できません。事実、男系固執派は元正天皇は聖武天皇即位までの中継ぎだとしきりに言い立てますが、元正天皇即位の時点では首親王(聖武天皇)の皇位継承は未確定です。
持統天皇にとっては草壁皇子はただ一人の子供なので、天武天皇崩御後にただちに最大のライバルである大津皇子を葬り去る必要がありました。しかし、文武天皇から母の元明天皇に皇位が渡った時点で、皇統の起点は持統天皇でも草壁皇子でもなく、元明天皇になります。元正天皇は元明天皇の直系だからこそ即位できたのです。
この時代は皇太子制度がまだ確立しておらず、首親王(後の聖武天皇)の皇位継承は既定路線ではありません。後世の人間はその後に起きた出来事を知っているから、無意識のうちに奈良時代当時の人々は草壁皇子の男系子孫で皇位継承しようとしていたと考えがちですが、それは誤りです。
本当に草壁皇子の男系子孫で繋ごうとするなら、文武天皇崩御の時点で首親王を皇太子にし、元明天皇は首に直接皇位を譲ればよかったのであって、娘の氷高内親王に皇位継承させる必要がありません。
元明天皇が次女の吉備内親王の子を母方から数えて二世王の待遇にしたのも、娘の吉備内親王からも自身の子孫に皇位継承させたいという考えがあったからです。しかし、元明天皇のその狙いは、長屋王の変で吉備内親王が息子たちとともに自殺に追い込まれて頓挫しました。
百地は、直系である愛子さまの皇位継承を否定するために「『直系』を優先し、結果的に女系をもたらすやり方は、皇室の伝統を否定するもの。直系は伝統ではない」と嘯いているのでしょうが、人為を挟むことは、皇位という公的な立場の客観性が揺らぐという鹿内氏の指摘は、まさにこうした詭弁を打ち砕いています。
ゴロン
2026年5月29日
この記事を利用してBS-TBSに意見投稿してみました(既にされたかもしれませんが)。
・・・
皇位継承問題に関する報道、ありがとうございます。国民が理解できない旧宮家系子孫の養子案に否定的な構成で安心しました。所功氏の談話が一番刺さりました。
さて、松原氏も騙されていましたが、「初代の神武天皇から126代にわたり、男系で継承されてきた」という理念の出どころの一端と思われる情報をみつけましたので、共有したいと思います。令和の有識者会議で、百地章国士館大学特任教授が、天皇系図を示して、男系継承を説明したようですが、これが、宮内庁HPに記載の「天皇系図」を捏造し、女系継承の存在を意図的に隠したものだったようです。以下に2つの天皇系図のリンクを示しますので、比較して頂ければと思います。
宮内庁天皇系図
https://www.kunaicho.go.jp/learn/about/kosei/keizu.html
百地氏説明資料p10
https://www.cas.go.jp/jp/seisaku/taii_tokurei/dai4/siryou5.pdf
詳細は、こちらのサイトに説明されています。
https://aiko-sama.com/archives/72157
この百地氏の天皇系図が世の中に広まって、皇位継承の記録が歪んでしまったものと考えられます。これが広まった時点で、宮内庁がクレームを入れる案件だったと思います。そもそも、古代は合議制で天皇を決めており、欠史八代もあり、男系の血統を継承する意識などあるはずがないのです。天皇系図は、むしろ皇祖天照大御神の五世孫の神武天皇から今上天皇に繋がっているという文化を示すもので、血統図ではないと思います。
今後とも、皇位継承問題を取り上げて頂き、世論を喚起するとともに、国会議員が無視できないくらいに国民の声を広めて頂きたいと思います。
SSKA
2026年5月29日
一つ書き忘れた事、彼等は脳が拒否するんだと思います。
アップデートがなされず最新を受け付けない古いOSみたいなものです。
SSKA
2026年5月29日
奈良の継承例は本当に都合が悪いんですね、百地の史料だと草壁没後にどのような経緯で継がれて行ったかちっとも分からないです。
個人的には奈良の皇位の過程はプレ男系期間だったと推定しています。
天武から草壁、更にその息子に継がせたい男系継承の理想ならあったのでしょう、しかし彼が早逝した為に当時の現実的な都合=元からの日本人古来のしきたり(原理と呼んで良い)に沿って対応せざるを得なくなった、律令下の継承の慣習が定着する前で最大国唐を理想に仰ぎながら東アジア儒教ルールへの順応を試行錯誤している期間です。
男系はシナ文化の吸収と模倣によってこの時代に徐々に「創出」されて後の京を中心とする朝廷で定着したものでグラデーションが時代を境に濃くなるのが分かります、従ってそれまで日本に確固たるものとして存在しなかった証拠とも言えるのでしょう。
男系と女系で継承の際に人々の要請がどちらにあったのか両者を並べて比較すれば自ずと一辺倒でないのが明示されます、だからと言って片方を隠すのは学者と呼ぶには相応しくない愚行です。