天皇制と立憲主義を考えてみる…(その7)「“血統継承”と“象徴継承”は、同じなのか」

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サトルです。
ここまで、

・立憲秩序は、どういう時に弱っていくのか?
・制度正統性は、何によって支えられているのか?
・「国民の総意」とは何なのか?
・象徴天皇制は、何によって支えられてきたのか?
・「伝統」とは、何なのか?

などについて、ワイマール憲法、小室直樹氏、井上達夫氏などの論考も足掛かりにしながら、少し整理してみました。今回は、「“男系”とは、現代制度において何を意味しているのか?」について、少し考えてみたいと思います。

・女性皇族への負荷 ・直系と傍系   ・象徴天皇制
・国民主権     ・憲法との整合性 ・制度持続性

など、避けて通れない問題へ入っていきます。

【「男系男子」は、本当に制度を安定させるのか】

現在の皇位継承問題では、「男系男子維持」が、非常に強く主張されています。もちろん、長い歴史の中で、男系継承が重視されてきたこと自体は事実でしょう。ただ私は現在、逆に、「男系男子へ強く固執することで、本当に制度は安定するのか?」という疑問を、強く持っています。

なぜなら現在は、戦後直後とも、昭和中期とも、制度条件そのものが大きく違うからです。

【戦後と現在は、条件、状況が違う】

戦後直後から昭和40年前後までは、男子皇族も比較的多く、宮家数にも、ある程度余裕がありました。そのため、「男系男子維持」という原則が、制度運用上、そこまで極端な圧力になりにくかった側面もあったように見えます。

しかし現在は違います。

・皇族数の減少   ・女性皇族の婚姻による皇籍離脱
・高齢化      ・継承資格者数の逼迫

などが、目に見える形で進行しています。そしてそのような状況下の中でも、直系のお子さまがおられる。にもかかわらず、「男系男子」を維持するため、傍系・養子・准皇族などの議論が、前面化し始めている。

私は、ここに制度矛盾を感じています。

【なぜ「直系」より、「傍系」なのか】

これは、避けては通れない問題です。しかも今上陛下は沖縄、慰霊、被災地訪問、各種公式行事などへ、可能な限り直系長子のお子様を同行させ、その姿を国民へ見せ続けている。これは単なる偶然ではないでしょう。

つまり現在の象徴天皇制は、実際には、「直系による象徴継承」を、国民へ可視化し続けているようにも私には見える。少なくとも、国民側に印象づけ…受け取られてる可能性がある。

国民は今、「次の象徴とは、どなたなのか?」を、日常的に“目に見える形”で経験し始めているのではないか?しかし現実の政治空間での制度議論になると、突然、「男系男子」を維持するため、傍系や養子案が前面化する。

すると当然、「なぜ直系より、傍系なのか?」という疑問が出てくる。

しかも現在問題になっているのは、単なる血統論だけではありません。

・象徴としての振る舞い ・国民との接続 ・慰霊の継承
・非権力性       ・国民統合の姿勢

など、長い時間をかけて皇室が積み重ねてこられてきた、「象徴としての継承」と、制度側が進めようとしている、「男系男子による血統維持」が、少しずつズレ始めているようにも見えるからです。

つまり現在は、「血統継承」と、「象徴継承」が、完全には一致しなくなり始めている可能性がある。私は、ここが現在の皇位継承問題における、大きな論点になっているように感じています。

【「男系維持」が、逆に“新制度”を作り始める可能性】

しかも現在は、「男系男子」を維持するため、

・養子案  ・旧宮家案  ・准皇族案

なども議論され始めています。しかし、ここには別の問題も発生しています。

例えば、

・どの家を迎えるのか?
・その家は、実質的新たな皇統中心にならないのか?
・国民は、それをどう受け止めるのか?
・「旧宮家」は、将来的に特別な家柄として固定化されないのか?

などです。

つまり、「伝統維持」を掲げながら、逆に、

・新たな身分構造 ・新たな皇統中心  ・血統選別
・家柄固定化

などを、制度内部へ持ち込む可能性もある。しかもそれは、戦後象徴天皇制が維持してきた、「一君万民」的感覚とも、新たな緊張関係を生み始める可能性があります。

私は、この問題は重いと思っています。

なぜなら現在は、「伝統を守る」という言葉そのものが、逆に、「戦後象徴天皇制を変質させる方向」へ作用する可能性すら出始めているからです。つまり、「制度を守る」つもりで進めているものが、逆に、「現在の象徴天皇制そのもの」を変えていく可能性すらある。

【女性皇族へ、負荷を押し込み続けるのか】

さらに深刻なのは、ここです。現在の制度では、

・結婚  ・出産  ・皇籍離脱  ・子どもの身分問題

など、人生そのものへ関わる負荷が、女性皇族側へ集中しています。

しかも今後さらに、「男系男子」を厳格化しようとすれば、

・男子出産への圧力  ・結婚問題  ・家族内での身分差  ・子どもの扱い

など、その負荷はさらに女性側へ集中しかねません。私はここを、危険視しています。なぜなら、皇族の方々も、“人間”だからです。現実問題として、男性は比較的高年齢でも子をもうける可能性があります。

しかし女性は、妊娠、出産、年齢、身体負荷などの問題を、どうしても避けられない。
これは感情論ではありません。制度設計上、無視できない現実です。

しかも現在は、「直系のお子さまがおられる」にもかかわらず、制度側は、「男系男子」を維持するため、さらに女性側へ負荷を集中させる方向へ進み始めているようにも見える。この構造は、女性皇族方へ、「男子を産まなければならない」という、極めて強い無言の圧力を発生させやすいからです。

しかも仮にお子さまがお生まれになっても、

・その子どもは皇室に残れるのか ・身分はどうなるのか
・家族はどうなるのか ・直系なのに、なぜ継承できないのか

など、新たな問題が発生している。私は、ここは制度論としても、重い問題だと思っています。

【制度が、“人間”を押し潰し始める時】

私は最近、これは単なる「女性負担論」では済まないように感じます。

つまり問題は、制度が、人間存在そのものを、制度維持へ従属させ始める時、何が起きるのか?ということです。

本来、制度とは、人間社会を支えるためのものです。もちろん、制度そのものを否定したいわけではありません。しかし逆に、制度維持のために、

・結婚  ・出産  ・ご家族の人生 ・身体への負担 ・基本的な家族形成

などへ、過度な圧力をかけ始めると、今度は制度そのものが、人間側から支えられなくなっていく可能性もある。しかも現在の象徴天皇制は、「国民と共に在る」ことを、長い時間をかけて積み重ねてこられました。

だからこそ、「人間としての苦悩」を無視した制度設計は、現在の象徴天皇制そのものとも、少し衝突し始める可能性がある。

【「皇室は国民と共に在る」】

戦後の皇室は、

という姿勢を、長い時間をかけて積み重ねてこられました。慰霊、被災地訪問、障害を抱える方々、苦しい環境に置かれた人々……。そうした、社会の中で“見えなくなりやすい人たち”へ、実際に足を運び続けてこられた。しかも、それは政治運動としてではなく、「象徴として、共に在る」という形で、積み重ねられてきた。

少なくとも、上皇上皇后両陛下、天皇皇后両陛下、皇族方は、「象徴とは何か?」という憲法からの要請へ、真剣に応答し続けてこられた。

私は、そのように見ています。

だからこそ今度は、国民側もまた、「国民も皇室と共に在る」という姿勢を、問われ始めているのではないか?

【憲法第2条は、「世襲」としか書いていない】

ここで、改めて確認しておきたいことがあります。日本国憲法第2条では、「皇位は、世襲のものであつて」と、規定されています。

しかしそこには、「男系男子」とは、直接書かれていません。もちろん、だから即座に、「男系に意味がない」と言いたいわけではありません。

ただ少なくとも、

などについては、現代立憲国家として、主張する側に説明責任が発生する。私は、そう考えています。しかも皇室典範は、憲法の下位法です。

だから当然、

・象徴天皇制 ・国民統合 ・国民主権 ・立憲主義 ・法の下の平等

など、現代憲法秩序からの要請に対して、応答責任を負う。これは、男系維持論だけではありません。女性天皇論も、女系容認論も、養子案も、准皇族案も、すべて同じです。

つまり現在は、「どの制度案が、現代憲法秩序へ、どこまで応答可能なのか?」が、問われ始めている。

【国民主権とは、「制度責任」を引き受けること】

現在の象徴天皇制は、(強く不敬な言い方ですが…)「血統保存装置」なんかではありません。「日本国及び日本国民統合の象徴」なのです。
 そして国民主権とは、本来、「国民が、制度責任を引き受ける」ということでもあるはずです。

つまり、

「皇室が何とかしてくれる」
「政治が何とかしてくれる」
「熱量だけ出していればよい」

ではなく、国民自身もまた、

・女性皇族への負荷

・制度正統性 ・国民受容 ・立憲主義 
・象徴天皇制 ・長期安定性

などについて、引き受けて考えなければならない段階へ来ているはずです。

さらに言えば現在は、「主権者自身が、どのような制度を未来へ渡すのか?」つまり、皇室任せでも、政治任せでも、陣営任せでもなく、国民自身が、「象徴天皇制を、どう維持するのか?」へ、責任を持って参加し始める段階へ来ている。

「国民主権」とはそういうことなのではないでしょうか?

【「熱量だけ」では、もう済まない】

実際、小林よしのり氏は、現在、違憲訴訟や憲法整合性の問題へ踏み込み始めています

つまり今は、単なる、「好き嫌い」「勝った負けた」

ではなく、

・国民主権 ・象徴天皇制  ・制度正統性  ・女性皇族への負荷
・国民受容 ・立憲主義   ・長期安定性

などを含め、「現代制度として、象徴天皇制は本当に持続可能なのか?」が、問われ始めている。だからこそ今は、感情だけでも、権威だけでも、伝統だけでもなく、「制度として、どう未来へ持たせるのか」を、国民自身が真剣に考えなければなりません。

1 件のコメント

    サトル

    2026年6月9日

    過去最長の文章…編集掲載ありがとうございました。
    約2週間前に書いた論考ですが、今現在…を考えると複雑な気持ちです。

    また、昨日の記者会見での、朝日新聞 北野記者の質問は素晴らしく。
    森議長の○○ぶりが露になりました。

    ちなみに、そこからの、次回以降になっております。奇しくも。
    ※その7は、一気に書いたので予告?がなく。

    (その8)「どのような区別が正当化されるのか」
    (その9)法の下の平等とは何なのか?…門地から考える。
    (その10)私たちは何を維持しようとしているのか

    …となっておりまするm(_ _)m

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