天皇制と立憲主義を考えてみる…(その6)「伝統」とは、何なのか

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サトルです。

ここまで、

・立憲秩序は、どういう時に弱るのか?
・制度正統性は、何によって支えられているのか?
・「国民の総意」とは何なのか?
・象徴天皇制は、何によって支えられてきたのか?

などについて、ワイマール憲法、小室直樹氏、井上達夫氏などの論考も足掛かりにしながら、少し整理してみました。

今回は、「“伝統”とは、何なのか?」について、少し考えてみたいと思います。

【「伝統を守れ」という言葉】

皇位継承問題では、「伝統を守るべきだ」という言葉が、かなり頻繁に出てきます。

実際、男系維持、皇統、万世一系、歴史などを重視する議論では、「伝統」という言葉が、大きな意味を持っています。

ただ一方で、ここで難しいのは、「伝統」という言葉自体が、かなり幅を持っていることです。

例えば、

・昔から続いてきた慣習なのか?
・制度そのものなのか?
・価値観なのか?
・振る舞いなのか?
・国民側の受け止め方も含むのか?

このあたりは、必ずしも整理され切っているとは限りません。

そもそも「伝統」とは、完全に整理し切れる性質のものでもないのかもしれません。

【「変わらないもの」と「変わってきたもの」】

皇室制度は、長い歴史を持っています。ただ、その長い歴史の中では、制度も、呼称も、継承順位も、政治との距離感も、かなり変化してきました。

例えば、

・側室制度 ・譲位 ・女性天皇 ・院政
・皇族数  ・皇室と政治権力との距離

なども、時代によって考え方も、また慣習もかなり違っています。

つまり、「一度も変わっていない制度」として皇室を理解しようとすると、実際の歴史とは、少しズレる部分も当然出てくる。

むしろ歴史を見ると、「何を維持し、何を変えてきたのか?」を、その時代ごとに調整し続けてきた側面も見えてきます。

【「男系」は、どこに位置づくのか】

もちろん現在でも、「男系維持」を重視する考え方は、一部にかなり強く存在していることも事実です。実際、「男系こそが皇統の核心である」という考え方には、いくらかの長い蓄積もあるようです。ただ一方で、現在の象徴天皇制は、日本国憲法の下で実施されている。

つまり、

・国民主権 ・象徴天皇制 ・国民統合 ・立憲主義

などとも接続しながら、制度全体を考えていかなければならない。現代から未来へ渡せる「皇位の安定的継承」を考えるならば。
 それは、過去の先人たちの積み上げた歴史に敬意を示しながらも、現代に生きる私たち自身が引き受けなければならない課題でもあり、同時に未来への橋渡しでもあるように思います。

だから現在は、単に「昔から続いてきた」だけではなく、

・現代の象徴天皇制と、どう接続するのか?
・制度として、どう安定させるのか?
・国民統合と、どう両立するのか?

まで含めて、議論が求められているように思えます。

【「伝統」と「慣習法」】

前回、小室直樹氏の「憲法は本質的には慣習法である」という問題提起にも触れました。私は、この視点は、「伝統」を考える時にも、かなり重要なように考えています。なぜなら、伝統というものは、単に昔の形を固定保存することだけではなく、

・社会の受容 ・共通理解 ・振る舞い・制度への信頼

なども積み重なりながら、維持されていく側面があるからです。

例えば現在の象徴天皇制も、戦後すぐに完成されたというより、

・慰霊 ・被災地訪問 ・国民との距離感 ・「語りすぎない」自制

などを、2代に渡る、天皇皇后両陛下だけでなく、皇族の方々が長い時間をかけて積み重ねることで、「象徴」として受け止められてきた部分があるように見えます。つまり、「振る舞いの蓄積」もまた、一つの伝統になっていく。そのような側面も、あるのかもしれません。

【「心柱」は、なぜ倒れにくいのか】

私は最近、伝統というものは、単に「昔から変わらないもの」というより、むしろ、社会全体が揺れる中でも、全体を崩壊させず支え続ける「ひとつの構造」に近い側面もあるのではないか、と考えるようになっています。例えば五重塔の「心柱(しんばしら)」は、各層を完全に固定するのではなく、適度な“あそび”や余裕を持たせながら、揺れのエネルギーを分散させる構造だとも言われています。強く固定することで揺れに耐えるのではなく、揺れそのものを受け流しながら、全体の崩壊を防ぐ。

現代の象徴天皇制にも、どこかそれに近い側面はあるのかもしれません。政治、社会不安、国民感情、価値観の変化など、人間社会は常に揺れ続けます。その中で、権力そのものとしてではなく、「社会全体が極端に傾き切らないための基準点」のような役割を、象徴がある程度担ってきた。

だからこそ、単純な権力論だけでは測り切れない部分が、象徴天皇制には存在しているようにも見えます。

【「制度として、どう持たせるのか」】

最近、私は、「誰が正統か?」だけではなく、「制度として、どう長く持たせるのか?」という視点が、かなり重要になってきているように感じています。もちろん、現段階で完全な答えがあるわけではありません。しかし少なくとも、現在の皇位継承問題では、

・伝統 ・国民の総意 ・象徴性 ・立憲主義
・制度正統性 ・長期安定性

などを、どう整理し、接続していくのか。そこが、かなり重要な論点になってきているように思います。

また長くなってしまいました。ここは、一旦終わりにします。

【次回予告】

次回は、「“男系”とは、何を意味しているのか?」について、

・血統 ・制度 ・歴史 ・擬制 ・象徴天皇制との接続

なども含めながら、少し整理してみたいと思います。

2 件のコメント

    SSKA

    2026年6月8日

    伝統の定義は難しくて説明出来ませんが、必須の条件として担い手が欠けては次に繋がらないのが皇統の問題を考える上での本来の核心だと思います(地域のお祭り等の氏神と氏子に近いです)。
    「何を」残すかと「誰が」遺すか、両方揃って続ける妥当性、整合性と共に人が生きるのに必要な感性が伴わなければ、容易に途絶えてしまいかねない複雑でデリケートな類のものと本来認識すべきなのでしょう。

    少し話がずれますが、先日プラダを着た悪魔2を鑑賞して来ました。
    ファッション業界を取り巻くビジネスと斜陽化する出版界の話で上映中故に細部には一応触れませんが、主要人物の発言で「伝統」と言う言葉やそれを象徴する場面が作中に出て来ます。
    形のある建造物や美術品や衣服やそれらを追う流行でも、形の無い慣習や制度であっても文化は本来価値観の異なる人間の内面を様々に表現するもので当然変化があって然るべきだし中身が無ければ何の意味も無いのと同じです、逆にその対照として分かり易いのは映画「猿の惑星」の廃墟の自由の女神等の様なもので生きる人間が存在しなければ価値は何も残らず単なる瓦礫の山、無機質な物の集まりにしかなりません。

    話題を戻しますが、先日の昭和100年祭で両陛下への無礼に対し怒りや憤りよりも心底ゾッとし寒気がしたと言うのが正直な感想です。
    昭和天皇のお孫様であられる今上陛下のご出席を賜りながら、全く意に介さず心から抹消してバカ騒ぎに興じられる姿に文明も文化も人間軽視から始まり滅びるものだとまざまざと突きつけられましたが、現行の制度議論と繋がって見えたのは多くの人も同じだったと思われます。
    皇族も国民も人間として、技術が進歩してもあまり明るくない不穏な未来の中でどう必死に生きるか真剣に考えなければ文化は残らず文明も著しく衰微するものと構え、人間不在の狂騒(X上の男系派の底無しのバカさ等)を尻目にしつつ皇統議論の対峙する伝統もそこから決して揺らいではならないと強く感じています。

    サトル

    2026年6月8日

    掲載再開ありがとうございます。

    連載開始時にコメント欄にも書きましたが、次の(その7)は、ワタクシ軽く爆発笑しています。また、過去一番長い文章…にもなりますm(_ _)m💦

    今回は、全11回…になっておりますm(_ _)m

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