サトルです。
前回は、日本国憲法第14条に出てくる「門地」という言葉を手掛かりに、法の下の平等とは何なのか?そして、どのような区別が許されるのか?について、少し整理してみました。
そこで見えてきたのは、平等とは単に区別を否定する原理ではなく、「説明できない区別を許さない原理」として理解した方が近いのではないか?ということでした。では、ここで一つの疑問が出てきます。
もし、ある区別が「伝統だから」という理由で続いている場合、それだけで正当化できるのでしょうか。
今回は、この問題について少し考えてみたいと思います。
【伝統とは、変わらないものなのか】
伝統という言葉を聞くと、「昔から変わらず続いてきたもの」というイメージを持つ人も多いと思います。しかし、実際の歴史を振り返ると、伝統は常に変化してきました。
制度も変わりました。慣習も変わりました。社会そのものも変化してきました。そして皇室制度もまた、長い歴史の中で様々な変化を経験しています。
女性天皇も存在しました。側室制度も存在しました。皇位継承のあり方も、時代ごとに少しずつ姿を変えてきました。
つまり、私たちが現在「伝統」と呼んでいるものも、決して一枚岩ではありません。
それは、変化と継承を繰り返しながら受け継がれてきた歴史でもあります。
伝統について考える際、私は上皇后陛下のある例えを思い出します。
サッカー日本代表は、「サムライBLUE」と呼ばれています。
しかし選手たちは髷を結っているわけではありません。刀を差しているわけでもありません。「ござる」と話しているわけでもありません。それでも私たちは、その姿勢や振る舞いに「サムライらしさ」を感じます。(要旨)
もし伝統とは、過去の形をそのまま保存することだけを意味するのであれば、サムライBLUEは、サムライではないことになります。しかし実際には、多くの人がそうは考えません。
私たちが受け継いでいると感じるのは、形そのものではなく、その奥にある役割や精神、あるいは価値観だからです。
伝統とは、「変わらないこと」そのものではなく、何かを維持しながら変化してきた歴史でもあるのかもしれません。
【平成の有識者会議は、何を考えていたのか】
平成の有識者会議資料を読んでいると、興味深いことに気付きます。有識者会議は、伝統を軽視しているわけではありません。むしろ、伝統をどのように継承するのかという問題に正面から向き合っています。
しかし同時に、その議論の出発点は、「男系だから維持する」という形にはなっていないように見えます。
むしろ、
国民の支持と敬愛を持続できるのか?
(*伝統を踏まえた)象徴天皇制を将来にわたって維持できるのか?
安定的な継承を実現できるのか?
そうした問いが先に置かれているように見えるのです。
*この視点は、「平成の有識者会議報告書」の”II. 基本的な視点”と、ほぼ一致します(外してません!)。なお、「愛子さまトーーク」でもお伝えしましたが、この報告書の特徴は、一端は「皇位は男系で続く」を出発点にはしながらも、それを前提とはせずに、”なぜ男系なのか?”を検討した後に、結論を出しています(by基礎医)
私は、ここに一つの特徴を感じています。それは、「伝統を守るために制度がある」というよりも、「制度を維持するために、伝統をどのように継承するのか?」という発想です。
何を残したいのか?
何を未来へ引き継ぎたいのか?
その問いから議論が始まっているように見えるのです。
【令和の議論は、何を維持しようとしているのか】
一方で、現在の有識者会議や国会での議論を見ていると、男系継承の維持や、旧宮家系男系男子の皇籍取得案、養子案などが議論の中心となっているように見えます。
もちろん、それぞれに問題意識や背景事情はあるでしょう。また、それらの議論自体を完全否定したいわけでもありません。
しかし私は、ここで結論の違い以上に、問いの置き方の違いが気になっています。
平成の議論が、「何を維持するのか」という問いから出発しているように見えるのに対し、現在の議論は、「何を維持しようとしているのか」が、やや見えにくくなっているようにも感じるのです。
象徴天皇制なのか? 男系継承なのか?
国民統合なのか? 制度の持続可能性なのか?
もちろん、それらは互いに重なり合う部分もあるでしょう。しかし、だからこそ、「何を維持しようとしているのか?」その説明は、より重要になるように思います。
【伝統と平等は対立するのか】
ここで、もう一度、前回の話に戻ります。もし、「伝統」という言葉だけで、あらゆる区別が正当化できるのであれば、憲法第14条は、ほとんど意味を持たなくなってしまいます。一方で、伝統を全て否定してしまえば、共同体や、先人たちが積み重ねてきた歴史や記憶も失われてしまうでしょう。
だから問題は、伝統か平等か、という単純な二者択一ではないように思います。
小室直樹氏は、「伝統主義とは、永遠の昨日を生きること」と、その著書で述べています。私はこの言葉を、伝統を守ることと、過去の形をそのまま固定することは同じではない、という警鐘として読むこともできるように思います。
むしろ重要なのは、
その伝統は何を支えているのか?
その伝統は、現代においても説明可能なのか?
そして、象徴天皇制や国民統合と、どのように接続しているのか?
そうした問いなのではないでしょうか。
【現在地】
ここまで整理してきて、私は一つのことを感じています。皇位継承問題とは、単に血統や継承順位をめぐる問題ではありません。また、単なる伝統論でもありません。
それは、日本社会が何を維持しようとしているのか?その問いでもあるように思うのです。
国民統合とは何なのか?象徴とは何なのか?そして私たちは、何を未来へ引き継ごうとしているのか?
次回最終回は、ここまで整理してきたことを踏まえながら、改めて、象徴天皇制とは何なのか。そのことについて、少し考えてみたいと思います。
1 件のコメント
京都のS
2026年6月13日
サトル様、お疲れ様です。いよいよ核心ですね。「何を維持しようとしているのか?」を見えにくくしているのは、「男尊女卑感情を隠したい」との本音を持っているからでしょうね。
小室直樹氏の「伝統主義とは、永遠の昨日を生きること」は至言です。150年前(明治期の始まり)でも600年前(伏見宮系が天皇家から分岐)でもなく、昨日だという点が重要です。昨日から明日へ何を受け継ぎ何を受け継がないかを絶え間なく考え続ける営みそのものが「伝統(保守)主義」ですよね。