天皇制と立憲主義を考えてみる…(その10)私たちは何を維持しようとしているのか

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サトルです。

前回は、日本国憲法第14条に出てくる「門地」という言葉を手掛かりに、法の下の平等とは何なのか?そして、どのような区別が許されるのか?について、少し整理してみました。

そこで見えてきたのは、平等とは単に区別を否定する原理ではなく、「説明できない区別を許さない原理」として理解した方が近いのではないか?ということでした。では、ここで一つの疑問が出てきます。

今回は、この問題について少し考えてみたいと思います。

【伝統とは、変わらないものなのか】

伝統という言葉を聞くと、「昔から変わらず続いてきたもの」というイメージを持つ人も多いと思います。しかし、実際の歴史を振り返ると、伝統は常に変化してきました。

制度も変わりました。慣習も変わりました。社会そのものも変化してきました。そして皇室制度もまた、長い歴史の中で様々な変化を経験しています。

つまり、私たちが現在「伝統」と呼んでいるものも、決して一枚岩ではありません。

それは、変化と継承を繰り返しながら受け継がれてきた歴史でもあります。

伝統について考える際、私は上皇后陛下のある例えを思い出します。

サッカー日本代表は、「サムライBLUE」と呼ばれています。
しかし選手たちは髷を結っているわけではありません。刀を差しているわけでもありません。「ござる」と話しているわけでもありません。それでも私たちは、その姿勢や振る舞いに「サムライらしさ」を感じます。(要旨)

もし伝統とは、過去の形をそのまま保存することだけを意味するのであれば、サムライBLUEは、サムライではないことになります。しかし実際には、多くの人がそうは考えません。

私たちが受け継いでいると感じるのは、形そのものではなく、その奥にある役割や精神、あるいは価値観だからです。

伝統とは、「変わらないこと」そのものではなく、何かを維持しながら変化してきた歴史でもあるのかもしれません。

【平成の有識者会議は、何を考えていたのか】

平成の有識者会議資料を読んでいると、興味深いことに気付きます。有識者会議は、伝統を軽視しているわけではありません。むしろ、伝統をどのように継承するのかという問題に正面から向き合っています。

しかし同時に、その議論の出発点は、「男系だから維持する」という形にはなっていないように見えます。

むしろ、

国民の支持と敬愛を持続できるのか?
(*伝統を踏まえた)象徴天皇制を将来にわたって維持できるのか?
安定的な継承を実現できるのか?

そうした問いが先に置かれているように見えるのです。

私は、ここに一つの特徴を感じています。それは、「伝統を守るために制度がある」というよりも、「制度を維持するために、伝統をどのように継承するのか?」という発想です。

何を残したいのか?
何を未来へ引き継ぎたいのか?

その問いから議論が始まっているように見えるのです。

【令和の議論は、何を維持しようとしているのか】

一方で、現在の有識者会議や国会での議論を見ていると、男系継承の維持や、旧宮家系男系男子の皇籍取得案、養子案などが議論の中心となっているように見えます。

もちろん、それぞれに問題意識や背景事情はあるでしょう。また、それらの議論自体を完全否定したいわけでもありません。

しかし私は、ここで結論の違い以上に、問いの置き方の違いが気になっています。

平成の議論が、「何を維持するのか」という問いから出発しているように見えるのに対し、現在の議論は、「何を維持しようとしているのか」が、やや見えにくくなっているようにも感じるのです。

象徴天皇制なのか? 男系継承なのか?
国民統合なのか?  制度の持続可能性なのか?

もちろん、それらは互いに重なり合う部分もあるでしょう。しかし、だからこそ、「何を維持しようとしているのか?」その説明は、より重要になるように思います。

【伝統と平等は対立するのか】

ここで、もう一度、前回の話に戻ります。もし、「伝統」という言葉だけで、あらゆる区別が正当化できるのであれば、憲法第14条は、ほとんど意味を持たなくなってしまいます。一方で、伝統を全て否定してしまえば、共同体や、先人たちが積み重ねてきた歴史や記憶も失われてしまうでしょう。

だから問題は、伝統か平等か、という単純な二者択一ではないように思います。

小室直樹氏は、「伝統主義とは、永遠の昨日を生きること」と、その著書で述べています。私はこの言葉を、伝統を守ることと、過去の形をそのまま固定することは同じではない、という警鐘として読むこともできるように思います。

むしろ重要なのは、

その伝統は何を支えているのか?
その伝統は、現代においても説明可能なのか?
そして、象徴天皇制や国民統合と、どのように接続しているのか?

そうした問いなのではないでしょうか。

【現在地】

ここまで整理してきて、私は一つのことを感じています。皇位継承問題とは、単に血統や継承順位をめぐる問題ではありません。また、単なる伝統論でもありません。

それは、日本社会が何を維持しようとしているのか?その問いでもあるように思うのです。

国民統合とは何なのか?象徴とは何なのか?そして私たちは、何を未来へ引き継ごうとしているのか?

次回最終回は、ここまで整理してきたことを踏まえながら、改めて、象徴天皇制とは何なのか。そのことについて、少し考えてみたいと思います。

2 件のコメント

    SSKA

    2026年6月14日

    何回か前のコメントで映画の話題等にも触れましたが、伝統とは何なのか具体的に説明するのはどうしても難しく感じてしまい以下は個人的にですが、国家に属する様々な立場の人の生きる目的の為に必要とされるものでなければ成り立たず、国民統合(憲法1条)やその他法規制(同14条等)に著しく反し維持出来ないものは相応しくない、と言うのが大変漠然としていますが大まかな理解です。
    男系主義や旧宮家子孫は、①当事者である皇室および旧宮家系統の意思を排除して制度考案されている、②皇室制度は社会の精神的安定を支えるものであるにも拘わらず①の当事者のみならず国民も無視されている…制度としての根幹や必要性から大きく乖離し過ぎていて、誰の為に何の為に守るんですかと言う動機の部分が極めて薄弱過ぎて、まともに相手にされないのは誰にも分かる事でしょう。
    一般の法律そのものも国ごとに立法を行う機関には外部から干渉されない独立性を保たせようとし、それが各国自身の独立性とも深い関係があり重要な意味を持ちます、法秩序の安定した持続は対外的な国家の存立基盤です。
    我が国では一例として死刑制度が分かり易いと思います、人権を理由にした廃止の流れが世界的な趨勢であっても国民の社会不安の懸念から高い支持は変わらずに制度存続の重要な根拠となっていますし、それが主権者にとって自国の在り方を決める法治への間接的関与を表す意味から存廃や是非について頻繁にメディアを中心とした調査が行われ参考にされています。
    皇室もまたそれに近似した意味を持つものとして位置付ければ、国民の間接的関与=皇室への敬愛を欠いたものは完全に反しますから、対象の天皇や皇族の資格を決める法律(皇室典範)に(a)法秩序と公益性、(b)国民の心情を伴う理解、が必須とされるのは当然の結論ですし、法と伝統が互いに矛盾せず補完し合う事で人心が安定し国家が守られ続けるので、その基礎として天皇を必要とする要請や期待(古代社会における推戴に近い、世襲はその延長上の制度)があって成り立つのが我が国独自の国情であると言えるのではないでしょうか。

    京都のS

    2026年6月13日

     サトル様、お疲れ様です。いよいよ核心ですね。「何を維持しようとしているのか?」を見えにくくしているのは、「男尊女卑感情を隠したい」との本音を持っているからでしょうね。
     小室直樹氏の「伝統主義とは、永遠の昨日を生きること」は至言です。150年前(明治期の始まり)でも600年前(伏見宮系が天皇家から分岐)でもなく、昨日だという点が重要です。昨日から明日へ何を受け継ぎ何を受け継がないかを絶え間なく考え続ける営みそのものが「伝統(保守)主義」ですよね。

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