
10月5日の「英雄たちの選択」がキリシタン大名の有馬晴信を採り上げていました。島原半島の小領主である有馬晴信が竜造寺(佐賀)・大友(豊前)・島津(薩摩)に囲まれても存続できた理由は、自身がキリシタンとなり、自領内の寺社を破壊しつつ教会やセミナリヨを建て、領民も改宗させ、引き換えにイエズス会を介してポルトガル商人から軍事支援(鉄砲・弾薬)を受けたためでした。天正遣欧少年使節4名は欧州で歓待され、ローマ教皇にも謁見しました。やがて豊臣秀吉が伴天連追放令を出しましたが、晴信は各地で追われた宣教師を自領内に匿い、なぜか秀吉は黙認したようです。『日本諸事要録補遺』によれば、当時の大名はポルトガル商人(withイエズス会)を介する日明貿易で金銀交換レート(銀産出量↑↑の日本では金高銀安)によって儲けており(※「菊も刀も~」「C 19th season」参照)、そのために晴信もポルトガルとの関係を切れずにいました。
関ケ原合戦(1600)を経て徳川家康が次の天下人となりましたが、明国産生糸の需要は依然として高く、ポルトガル商人の介在しない貿易を望む家康は台湾で直に明国商人と取引する方法を模索し、そのために朱印船貿易を幕府が一括管理して有馬晴信に実践させました。しかし、有馬の家臣を含む40名以上がアンドレ・ペソアの率いるポルトガル商人にマカオで殺害される紛争(1608)が起こり、長崎港に来航したペソアの船を有馬は家康の許可を得て撃沈(1610)しましたが、その恩賞を過大に要求したために有馬は仲介者の岡本大八と共に処刑されました(1612)。キリシタンを取り締まる禁教令(1612~)を幕府が出した頃だったため、目立ち過ぎるキリシタン大名の有馬を排除したとも、ポルトガルとの紛争解決のために有馬の処分で手打ちしたとも言われています。やがて幕府は貿易相手を清とオランダのみとし、江戸中期から生糸などを国産化して輸入超過(金銀流出)を漸減させました(※「C 34th season」参照)。
以上の経緯から連想されるのは、有馬が竜造寺の圧力下で生きるためにイエズス会に国を売った件は、自民党議員候補が統一協会(キリスト教と儒教との合体カルト)による選挙支援を受け続けた件でしょう。旧統一教会が解散命令を受けて宗教法人格を失った件は禁教令に該当するため、自民党議員は棄教しない限り有馬晴信のように排除されて然るべきでしょう。尊皇家で愛国者なら出来るはずです。
文責:京都のS
1 件のコメント
京都のS(サタンのSでも飼い慣らすし)
2026年10月11日
ふぇい様、掲載ありがとうございます。
男系固執派は自分が「平家物語」の登場人物になっているかもしれないと自覚した方がいいでしょうね。「驕る竹田は久しからず」とか「男系に非ずんば人に非ず」とか…。