タテ(権威主義)とヨコ(世間主義)が織りなす日本国と皇室の危機(上)

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「歴史の縦軸と社会の横軸の交点に現在を生きる自分がいる」という言い方は良くされますが、その縦軸とは先祖から繋がる日本国民の歴史であり、当然その中心には天皇がいます。

また、社会という概念が無かった前近代(後述)では横軸は「世間」だったと思われます。
本稿では、日本の世間(私的な人間関係の環)を貫くルールとしての縦軸(長幼の序)と横軸(冠婚葬祭や贈答における相互扶助としての互酬)について述べ、それに由来する日本の危機を炙り出したいと思います。

『「世間」とは何か』(阿部勤也)によると、「世の中」の生き辛さを詠んだ万葉歌人が多くいたことから、おそらく「世間」は神代の時代から、その暗部(年長者に服従・逸脱に非寛容・空気に逆らえない)と共に存在していたと思われます。

またエマニュエル・トッド氏の家族システム論によれば、直系(男系)家族システムに由来する権威主義(親・夫・上司に服従)が日本に定着するのは江戸期からだとされますが、世間の縦ルール「長幼の序」の起源はそれより古いはずです。
なぜなら、大昔から大規模な地震や水害といった自然災害が多発してきた日本列島では、災害を避けるために集落の長老が語る伝承や経験則に拠るところが多かったと考えられ、従って「長幼の序」は自然発生したと思われるからです。
近世に本格導入された朱子学による権威主義(上位者に無謬性を要求・無責任の結果として前例踏襲…を含む)は、古代から世間に胚胎してきたルール「長幼の序」を助長・強化したと思われます。

さらに、農耕・採集・漁労を共同で行う村(かなり世間と重なる)で生きるには世間との関わり(狭い範囲の人間関係)を密にする他なく、相互扶助としての互酬性も強くなります。
従って「グローバル化」対策としての「共同体の復活」という社会科学的テーマには当然ながら世間(暗部を含む)の強化という側面を孕むことになります。

さて、故西部邁氏が「知識人は村外れの狂人」と語った理由は、世間に属していては学問的に誠実な言論など出来ないとの意図だと思われます。
西部氏は皇統問題では女系容認の立場でしたが、その高弟は男系派世間に首まで浸かっており、つまり公的な社交を目指した西部氏の教えより男系派世間への帰属が強かったと言え、これは世間が皇室と日本国を窒息させる「世間禍」の象徴的事例だと言えましょう。  

(下に続く)               

文責:京都のS

6 件のコメント

    京都のS

    2022年6月21日

     殉教様が出した公サポの話題にも触れるなら、現場の生産者(無責任に振る舞うことも多い「世間」に属す市井の生活者=庶民)でもある公論サポーター諸氏が、それでも公論サポーターズという組織に属す以上は責任者が不在では立ち行かないので、隊長は決めるべきだという意味でしょう。こうした組織は多少の権力も行使できる代わりに責任も問われる主体でしょう。
     無責任な世間禍としては、例えば戦中なら世間が好戦的な空気を醸し出して為政者の意思決定を狂わせたでしょうし、戦後なら反戦平和な戦後民主主義の空気を全開にしていたでしょう。右に振れるか左に振れるかの違いは有れど、世間の成員は何処までも無責任だという世間ファシズムです。為政者(軍部)の代表7名に戦争責任を全てを押し付けたのが世間ファシズムの「なれの果て」だったと考えられます。おそらくコロナ禍でも為政者(の中の下位層)に全てを押し付けて世間ファシストは逃げ切るはずです。そう、名乗り出て「どーぞどーぞ」と言われるのは為政者(責任者)の中の下位者です(竜ちゃんにも合掌)。

    京都のS

    2022年6月21日

     殉教様、これは大変に面白い指摘をいただきました。ありがとうございます。
     まず村の長老には権威が有っても権力は無いと思われます。この役割は誰々とか、田に水を引くのは誰が先だとか、そういう決め事みたいな実際的な権力を行使する主体は「村として」であり、世間(村)の空気で決まっていくのしょう。この空気が集団無責任体制の正体です。例えば百姓一揆の時は連判状に〇を描き、その○を囲むように名を書いていき、誰が首謀者か判らないようにしました。
     これが武士の謀反の場合なら、首謀者が切腹したら他の諸将は無罪放免となり、配下の者は仕える相手を変えるはずです。こちらは責任の所在がハッキリしています。つまり、朱子学的思考を導入するより前は無責任な空気で決まる上下関係で、導入以後は責任が問われることになったと思われます。この場合は下位者が上位者に無謬性を要求し、失敗したら責任が問われることになります。上位者は責任を逃れるために無難な前例踏襲(続いてきた制度を変えない・前任者の決定を変えない)に走ります。それでも(作為による失敗か不作為かを問わず)責任を問われそうな場合は部下に押し付けることもしばしばです(秘書がやりました…)。
     このように上(為政者や経営者、社会的影響力を持つ者)は責任を問われることになりましたが、下(市井の生活者)は相変わらず無責任な世間のままです。
     ところで、私は門下生ではないので公サポの人間関係のことは知りません。

    殉教@中立派

    2022年6月20日

    「権威と責任」についての疑問です。
    小林先生が、ボン氏を設営隊長に任命する際に、ひと悶着があったようです。隊長候補者たちは「仕事優先、現場優先」のスタンスであり、隊長職については「まずは君から」「どうぞどうぞ!」という状態。小林先生は(個とは、生産の現場にあり!という立場から)理解を示しますが「それでも、責任者がいないと秩序も無い。誰か責任者を、必ず決めるべし」と諭しました。その呼びかけに応え、ボン氏が責任職に就きました。

    「権威を持ち、責任ある立場の年長者」がいるのに、この国が「集団的無責任主義・責任の所在があいまい」という状態に陥ったのは、どうしてでしょうか。年長者(の権威)の前に、その誤謬を指摘する者がおらず・・裏では「お前が、長老様の過ちを指摘しろよ」「どうぞどうぞ!」などとやっていたのでしょうか・・・実際、宮沢孝幸氏も「その説を支持したら(権威者に)干される」と怯えていたので、ありえるかもしれません。

    京都のS

    2022年6月20日

     ダダ様、リチャード様、ありがとうございます。本来なら縦軸は時間軸で横軸は空間軸なのに、絶対服従の上下関係と”もたれ合い”の人脈ネットワーク(横の繋がり)とに成り果てているのが日本的世間です。「どっちも空間軸やないかい!」とツッコんでおきましょう(笑)。「村外れの狂人」については初期ゴー宣でも触れていましたよ。
     本論は、これまでSが山本七平、エマニュエル・トッド、大石久和、阿部勤也、施光恒、上田篤、柳田国男らの著書を引きながら投稿してきた日本人論の集大成となっているかもしれません。
     そうそう、左上の「キーワード検索」に「京都のS」と入れて検索したら過去の投稿がズラーッと出てきました。この機能は便利です。「L.K」と入れたら重厚な読み物が多く出てくるので飽きませんね。

    Richard Tiger

    2022年6月20日

    「縦軸」を勘違いしている人が、多い気がします。
    本当は歴史の積み重ねが縦軸なのに、権威を縦軸とする人が多いですね

    ダダ

    2022年6月20日

    世間のなかでの縦と横ですか!
    そこまで考えたことはなかったですね~。
    今回も勉強になりますφ(..)メモメモ

    西部さんのことは何も知らないのですが「知識人は村外れの狂人」とは言い得て妙です!

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