関西で活躍されている高野英子さんから愛子さまを身近に感じるエピソードをいただきました。
私ふぇいの考えるキーワード
「お天道様は見ています」
ご覧ください。
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ある日、ふと外でペットボトルゴミを専用ゴミ箱に捨てようとした際、なぜか愛子さまに見られているのを想像してしまいました。
何となく私はその時、ペットボトルを軽く踏んで捨てました。
謎の行動なんですが、恐らく、「まあこのゴミ箱がかさばらないようにはなるかな…猛暑とか溢れとるし…別のゴミ捨てるまである人いるし…」という感覚によるものだと思います。
あとは何か…ご馳走様的な儀式(?)をしたくなったのか…いや、
だったら捨てた後、ゴミ箱の前で手を合わせて御馳走様でしたって言えばいいんですけどね。
少し気恥ずかしいですね…。
忙しい時はしませんし、正直コレほとんど意味のない行動なんですが、
何となく外でペットボトルを踏んでから捨てるようになりました。
この行動は今となってはむしろ、愛子さまを思い出したい口実の様なものとなっております。
これ以降生活の中で、時々愛子さまに見られているようなところを想像して行動を考える事が増えました。
勿論全く大した事はしておりません。足元の引き出し…足で閉めたくなる…いや、でも愛子さまが見ていらしたら?
しかし時々つい足で閉めてしまい、心の中で愛子さまに謝ったり言い訳を重ねる自分…
私の心の中の愛子さまは、私を律するために、無限に存在していただいているのでありました 。。
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皆さま似たような経験ありませんか?
お天道様は、皇室の皆さまは私たちを暖かく見守ってくださってます。
愛子さまに皇室に残っていただきたいと高野英子さんのエピソードを拝見して強く思いました。
(本文:高野英子 ナビゲーター:ふぇい)
8 件のコメント
高野英子
2022年6月28日
みなさん、コメントありがとうございました!
愛子さまを思うことが日々の小さな幸せに繋がります(●´ω`●)。
藤澤
2022年6月25日
現在はお天道様はどこかに行ってしまい、代わり監視カメラに変わりました。
見られたら誰かに怒られるかも?とイヤイヤやるよりも、誰かに喜んでもらおうと考えてやるほうが後味もスッキリしますね。
自発的な敬愛心を促される皇室の在り方の素晴らしさを改めて感じました。
殉教@中立派
2022年6月24日
ウイルス騒ぎでは「お天道様が見ている。マスクを外すのは悪だ。しっかり見ているぞ~」という感覚に囚われ、自縄自縛に陥った日本人。一方こちらは「具体的な、愛子さまのお顔」を思い出し、更に「常識+良心」を合わせ、(自分なりの)良い生活習慣に繋げた・・というお話。
普段からだらしなくしていると、肝心な時に人前でボロを出すもの。そうした良き振る舞いを(日常レベルで)重ねる事は、やはり陛下や皇族方の、右に出るものはなし。それを庶民が見習うには、高野英子さんのように、具体的な「敬愛心」をスタート地点にするのは、日本人の精神に合っていそう。
・・まずは、(ウイルス騒動で)盛大にはき違えた、現在の「公」を直してからだろうなあ・・・
ただし
2022年6月24日
分かります。
(*^^*)
高野さんが、とても可愛らしく感じました☆彡
ダダ
2022年6月24日
面白かったです!
確かに、公共心と尊皇心は近いところにありますね。そして日常からでも、象徴される側の国民とは?を考えていけますね。
ありがとうございました!
ookkuuy
2022年6月24日
皇室のことを考えるようになって、皇室の皆様、特に愛子様が学び会得されたであろう公共心を、ほんのちょっと意識するようになりました。高野様のようにゴミを捨てるときや、落ちていたゴミを目にしたとき、瞬間的に「面倒!」と無視しようとした邪心に「愛子様ならどうなさるか」との思いが覆いかぶさり、良い行動をしてしまうようになりました。少しだけですけど。
京都のS
2022年6月24日
なるほろ~。日本人が己を律する時は、世間(に属する生者)の顔色を伺うか、若しくは死者の顔を思い出す(お天道様を意識することに相当)かだと思っていました。そして、生前には尊敬できていた方(死者)が思いのほか少なく、顔も思い出せなくなっていることに気付くと、自分を律することも難しくなっていくような感覚になっていました。
高野さんの「愛子さまに見られている感覚」というのは、日本国民の理想像の典型として皇族方を捉え、自らの振る舞いを皇族方に倣うような感覚だと感じました。そのことは、死者や死を意識しづらくなった現代日本においては、己を律する方途として愛子様を思い浮かべるというのはアリかもしれません。
それは基礎医さんも書いている「公共心」であると共に素朴で純粋な「尊皇心」だと感じました。己の振る舞い方を考える時に愛子様を思い出すという方法、私も試してみたいと思います。
基礎医学研究者
2022年6月24日
共感して読ませていただきました。「公共心」とは、きっとこの高野英子さんのエピソードのような、身近なところから出てくるものなのだと、改めて思いました(けっして、いきなり「天下国家」のような感覚からでてくるものではないと)。そして、その頂点にいるのはまさしく「皇室」であり、弥栄を祈り続けてくれている、と思う次第でございます。