愛子天皇論の連載第五回目で早くも話が本格的に深まり始めたのか早くも書くことが急激に多くなり、楽しさが一気に急上昇するとともに感想を纏めるのも一苦労となってしまいました。
今回の章では予想外にも男野系子が「皇統男系絶対」に固執するまでの成り行きが描かれていて、この内容に過去の自分が当てはまるところがチラホラと見られます。
まず、男野系子の夢についてですが、おそらく男野系子の世代にとってCA(スチュワーデス)は女性の憧れの職業だったのではないのでしょうか?
現在は分かりませんが、当時は英語が女性に極めて人気があり、英語で欧米の白人と対等に話せる女性はまさに花形中の花形であり、女性の職業や生活においても英語圏の海外で生活し、英語を生かせる職業に就くことが成功の証でした。
ちょうど、昭和から平成へと元号が変わり、バブルが終わるころの時期です。英会話教室であるNOVAや今は無きジオスが流行りだす直前の時代です。
この時代は就職氷河期の時代でもある事から恐らく、男野系子もCAどころか就職そのものに事実上失敗してその空虚感を産めるために右寄りな男と出会う事を契機に専業主婦を選んだのだと思います。
しかし、人間はかつて周囲の根強い影響によって半ば齎された夢を忘れ去る事などできません。
これは本人が気が付かない限り、いくら周囲の助けがあったとしても同じことです。
自分が諦めた夢を娘が叶えてしまった事、右寄りな人にありがちな人の手柄を自分の手柄にして、自分の不始末を人に押し付ける夫の態度がこれまで忘れ去られていた自分の空虚感をより一層、深めて自分を苦しめることになり、国粋主義を名目にネトウヨ(ネットバカ)へと自分の依存度を深めていったと考えます。
長くなりましたが結論として、男野系子は周囲の身勝手な価値観ともいえない風潮に流され続けて個性を磨き上げてこなかったところにあります。
英語、CA、専業主婦、そして国粋主義(ネトウヨ)も結局はその時々における大衆の尺度であって、常識における尺度ではありません。
たとえ生活範囲が狭くとも常識を持ち合わせていれば職業や立場に苦しむくらい空虚感を感じるほどに固執したりしませんし、世間の風当たりが強く、苦しもうとも時間をかけては自分の個性に基づく生活に戻っていくものなのですが、男野系子には世間の尺度に奔走され、固執するあまりに空虚感が自分では抑えきれないほどに肥大して自分の人生を肯定しようと躍起になったりするわけです。
英語が得意であればそれだけ国語力もあり読解力もあるのでゴー宣や思考を深める書物に出会える機会はあったと思いますが家庭からして勉強はできても本は読まない家庭だったのだと思います。
故に視野も驚くほど狭く、些細な突込みに奔走されてはすぐさま前章における「固執亭」に駆け込んでは「固執亭」の暇そうな人々に弄ばれてしまうわけです。
私は幸いゴー宣をきっかけに自分で思考を深めていくことを模索して男野系子にならずに済みましたが、一歩間違えれば男野系子と似たような道を歩んでいたことも十分にあります故に本章も所々でゲラゲラと笑いつつも内心、他人事と言えなかったりします。
ゴー宣に出会っていなければいまはどんな価値観の元で、どのような思考を持ち合わせていたのだろうと考える機会が愛子天皇論を読み始める前よりも増えました。
本章の最後で男野系子がとうとう私も一度は嵌った「Y染色体」を出してきましたね。直系よしりんがどのように突っ込むか次回が楽しみです。
この「Y染色体」ですが歴史および皇位の正当性として立証するには致命的な欠陥があります。
それは、「Y染色体」が歴史としても科学としても認定がなされていないからです。
皇統が「Y染色体」によって継承されてきたならば旧譜皇統譜や日本書紀、古事記などの一次資料に「Y染色体によって継承されてきた」と記載されていなければなりませんし、皇位の正当性でも「Y染色体」と記載されていなければなりません。
現在はネットの普及で一次資料に基づいて作成された論文はもちろん、資料の原文も調べれば回覧が可能ですので皇統における皇位継承に「Y染色体」が正当性として記載されているか以前よりも比較的に容易に調べられるはずですが、疑問を持たなければそのような発想が浮かばないのが人の浅はかさであり、悲しい所でもあります。
「Y染色体」が歴史として認定されていない以上は科学的に立証しなければなりませんが当然、考古学を含む科学的調査によっても「神武天皇のY染色体」はおろか、神武天皇の実在すら立証されていません。
故にもし、「Y染色体」の有無を皇統および皇位の正当性を立証する為の争点として挙げるには神武天皇から歴代126代全ての天皇のDNA鑑定をして科学的に証明されねばならず、神武天皇の実在及び遺体の有無も立証されねばなりません。
歴史は伝承、史実、科学的調査結果の融合体で伝承、または史実において立証されていれば歴史として成り立ち、研究が進むことによって修正されていきますし科学的調査もこの修正に大きな役割を果たしていますが、伝承、史実で立証できていない以上、または立証が不可能な場合は科学的調査による立証しかなく、イギリスのリチャード3世も数々の伝承が遺体の発掘とその後の科学的調査によって伝承が史実として立証された実績があります。
これらの実績の積み重ねが皆無である「Y染色体」を果たして直系よしりんがどのように裁き、男野系子と愉快な仲間たちがどのように立ち振る舞うのか、次回も楽しみにしております。
4 件のコメント
magome
2023年2月14日
さとがえるさん
私も「天皇論」の最終ページを読み終えるまでは「男系絶対」「旧宮家復帰絶対」でした。その認識が揺らぎ始めたのが「天皇論」の最終ページであり、完全に考えを女系公認の双系に改めたのが「新天皇論」でした。それまでの自分は本当に心から皇室を敬愛し、自然とときめく日本人だったのかと今でも自責の念に駆られる時があります。
基礎医学研究者さん
「お前の信念はその程度か?」これは子供の時から少なからず見てきた人が殆どなのではないのでしょうか?私自身、「世間」「大衆」に啓蒙した大人のその程度の認識を数え切れぬ程見てきて、何度も失望させられてはその時に出来た空虚感は今でも身に染みて心に残っています。そして、そんな浅はかな大衆に載ってしまった自分自身、後悔しても後悔しきれぬ時期が長らく続いていました。そして、終戦によって態度を180度変えた大人たちの態度を見てきた子供たちも似たような経験をしたのではないのかとこの時は戦中派の人間に少なからず同情心が湧いたものです。「Y染色体」については便宜上と言うよりも遺伝について語る時にどうしても遺伝についての認識が中途半端に浅はかなので本来は「Y染色体」も使うべきではないと思うのですが、より深く遺伝について勉強した人の認識についてももっと視野を広げるべきだと基礎医学研究者さんのコメントを読んで思いました。もっと、皆さんの感想を読んで視野を広げなきゃならんですね。
れいにゃんさん
常識と大衆の尺度は一見似ているようですが、よくよく洞察してみると全くの別物です。よしりんは瞬時に見極めていますが、日常生活を送っている庶民は日頃から洞察力を磨いて意識していないと一瞬にして常識から大衆へと尺度が挿げ替えられて飲み込まれてしまいます。自分がいま、常識の尺度で考えているのか大衆の尺度で考えているのか?日々、なんらかの方法で意識して習慣化しないと男野系子のように「保守旦那」や固執亭の人々に振り回されてしまいますので、そんな世の中に活を入れるためにも愛子天皇への道へよしりんを筆頭にみんなで邁進しましょう!
れいにゃん
2023年2月13日
常識における尺度ではなく、その時々における大衆の尺度で図られた風潮に流された系子。magomeさんの洞察力と語彙力が凄いです。
時代の風潮を体感した者からみれば、系子の物語は他人ごとではないので、愛すべきキャラに見えるのかもしれません。
基礎医学研究者
2023年2月11日
興味深く読ませていただきました・「一歩間違えると、ダンケー」。これは、自分も人のことはいえないような気が(;^_^A。でも、そこで踏みとどまって”思考した!”というところが、よかったのでしょうね。ゴー宣道場で言われる「公論を形成する」とは、そのようなことかと思います。あと、これは自分の感想に書かなかったのですが、ある意味、この章で出てきた「保守旦那」の罪がもっとも重いかもしれませんね。子供がCAになることを認め、しかも近所の人に自慢するって、”お前の信念はその程度か?”とマジメに思います(# ゚Д゚)。きっと、「ダンケー」の方々の信念なんてこの程度のもので、(私たち”心ある国民とは)覚悟の質が違うのだと思います。
あと、Y染色体。科学者として言わせてもらうと”NG”で終わりなのですが、次回が楽しみです。
さとがえる
2023年2月10日
感想読ませていただきました。
自分も深く考えず男系を受け入れていた時期もあるので、自分もひょっとすると固執亭に影響を受けていた一人かもしれません…
男系固執から離れられたのは小林先生の新天皇論や、それ以後の上皇様の生前退位のおことば、そこに対するゴー宣道場の意見などを読み考え、安定的な皇室となるためにはと考えられたからでございます。
固執亭は今皇室にいらっしゃる方々のことを考えていないと、改めて思いました。
Y染色体論の課題、非常に参考になりました。
次回以降の愛子天皇論、ますます楽しみになりました。ありがとうございます。