愛子天皇論第7回感想:16.自問自答を繰り返しています。(magomeさん)

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「愛子天皇論」連載第7回を楽しく読ませていただきました。

初回から連載が進むにつれて面白さがどんどん増していって次回への楽しみも連載が進むにつれて上昇し続けています。
これは恐らく、単行本を読み終えてからも止まらないのではと思えてなりません。
今回特に印象に残ったのが最終頁の直系よしりんの台詞「『男女平等』が脳髄まで染み込んでる」でした。

直系よしりんの台詞を読んで「戦争論2」の最終章を読み終えた時の気持ちが再び自分の中で甦ってきました。それは

「わしはもちろんわし自身も含めて戦後民主主義で育った人間だと思っている(中略)わしは『反・左翼』『反・朝日新聞』の者たちもしょせんは戦後の色に染められてかつての日本人ではなくなっていると思っている(中略)現代に生きる日本人は相当に卑小である何より自分を振り返ればわかる臆病で見栄っ張りでかっこつけていて甘えていてわがままで助平で人を騙してばかりでけちで姑息でスケールが小さすぎる」

という小林先生の主張を読み終えた時の気持ちです。

当時は「新しい歴史教科書をつくる会」に加わり、保守論壇誌も愛読書として定着していた時期でもあり、心境は今でいうネットバカ(ネトウヨ)に近い存在でした。

先ほど述べた「戦争論2」の小林先生の台詞を読み込んで考えていなければ男野系子や固執亭の方々と同じく自分自身を完全に棚上げして「戦後民主主義者」と蘊蓄の有無だけで同じ国民である他人を見下し、自分を根拠のない自信で特別視して完全に自分を見失っていたことでしょう。

幸いなことに周囲が無関心、もしくは嫌韓、嫌中に走る中でどちらからもなんとか超えてはならない一線を踏みとどまる事が出来ましたが、もし小林よしのりの著書に出会わなければ固執亭に出入りしていたか、出入りしている人を何の根拠も無く無条件で崇めていたのではと思えてなりません。

固執亭の方々は分かりませんが、男野系子は自分が他人に対してはもちろん、自分の先祖を含む自分の歴史に対しても自信が持てないからこそ固執亭の方々の勢いにあっさりと流されてしまうのでしょう。
あまりにも自信が持てない人ほど自分自身を特別視してほしいという抑えきれないほどの自己承認願望が強くなりますし、著名とされる人に認定してもらう「名誉○○」になりたがるものなのです。

私自身も数え切れないほどの経験がありますし今でももしかしたら無意識の内にやっているかもしれないので男野系子の気持ちが痛いほどわかります。

そんな自分を受け入れればよいのですが、自己肯定をするにも世間しか眼中になく世間の目だけを気にしてしまうために視野が狭く、どう受け止めて良いのか気持ちの整理が全くつかない為に見たくもない自分から逃避するために「固執亭」に逃げ込んでしまうわけです。
「脱正義論」でも書かれている運動に陥る人間の本質は左翼、保守問わず何らかの社会運動に嵌る人は基本的に今でも何も変わっていないという事なのでしょう。

今回の最終頁を読み終えて思い浮かんだ感想は「『戦争論』および『天皇論』は自分に大東亜戦争肯定や皇室の蘊蓄ではなく、歴史や皇室と読者の心を向き合わせてくれた」でした。
良書は読み込めば例外なく様々な形で自分の内心に大きな良き影響を与えてくれます。
おそらく読書に限らず音楽や芸術も同じなのでしょう。

「愛子天皇論」も例にもれず小林よしのりにあって、全く読む気も起きない保守論壇などの論壇誌にないのは歴史や皇室を読者の内心と向き合わせることができる芸術的ともいえる優れた感性にあるのです。
男野系子や固執亭の方々を含む「皇統男系絶対」を叫ぶ人々に決定的に欠けているのは蘊蓄を闇雲にため込むことに心が偏り過ぎて感性が疎かになりがちとなる、いわば左脳ばかりが膨らむ頭でっかちな人であるという事なのです。

心と向き合う良書は自分自身の否定や間違いとも向き合う事になるわけですから葛藤が生じますがこの葛藤が新たな心境へと成長させる促進効果があります。
男野系子は直系よしりんと直接向き合っているので葛藤は避けられないでしょうが、どのように物語が展開していくのか全く予想が付きません。

これは小林先生の著作を読み込んだ時に自分自身はどのように心情が変化しているのか全く予想が付かない時と同じ心境です。

恐らく良書は読んだ時の感想が星の数ほどありますが予想のつかない心境の変化という点では共通しているのでしょう。

これから「愛子天皇論」を読み進んでいけば、これまで忘れていた小林先生の著書を読み終えた時の心境を思い出す時が度々あるからなのでしょう。
これまで読んできた小林先生の著書を振り返るようにもう一度読み込む日がもうすでに来ているのかもしれません。

いつだったか小林先生が著名な構造改革やグローバリズムを無警戒に推奨する保守論壇の人々を指して

「あいつらには歴史の知識はあっても心に歴史は存在しない(間違っていたら申し訳ありません)」

と述べて自分の心に突き刺さった事があります。
今回の「愛子天皇論」を読み終えて

「果たして、自分の心の中に歴史、皇室は存在し続けているのか?蘊蓄に偏り過ぎていないか?」

と笑い楽しみつつ、自問自答を繰り返しています。

次回はどのような展開になるか全く予想がつかぬ物語の予想もつかぬ内心の変化の期待も含めて楽しみにしております。

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