愛子天皇論第12回感想:22. 三十年の時を超えて実体化!(magomeさん)

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「愛子天皇論」第12回感想です。

「愛子天皇論」第12回目の連載を読み終えてまず初めに思い浮かんだ言葉。
それは、
「ついに一億層『ゴーマン』の時代が到来した!」
でした。

なぜなら名も無き男野系子取り巻きの女性が最後にゴーマンをかましてしまったからです。
これは「ゴーマニズム宣言」の序章である連載の第一回目でよしりんが、「諸君、勇気を持て!勇気をもってゴーマンをかますのだ!」が三十年の時を超えて実体化した貴重な一頁なのでした。

今回の「愛子天皇論」を読み終えて真っ先に「ゴー宣」の序章を思い出して文庫版「ゴー宣」1巻を本棚から取り出しては堪え切れずに爆笑してしまったわけです。

今回の「前例」と「伝統」について、側室を例に出したのは「ナイス」の一言です。
そもそも、明治に限らず皇室は歴史からして改正に次ぐ改正で歴代天皇を見ても明治以降では歴代に数えられた天皇と外された天皇が飯豊天皇、神功天皇と把握しているだけでも10人程度いて現在の126代に定着したのは昭和になってからでした。

これは初代天皇にしても同じで明治時代においても神武天皇を初代にするか邇邇芸命を初代天皇とするかで大激論が繰り広げられ、どうにか現在の神武天皇を初代にする事で収まった経緯があります。

なお、史実だけを言及すれば最古の天皇は推古天皇とのことですのでいっそのこと個人の見解としては初代天皇を推古天皇にしても良いのではないのかと思います。

現在で言う「保守」というと「保守点検」や「保守的」など「保身」や「現状維持」と同じ意味で使われていますが思想、哲学においての「保守」は全く違う意味合いで使われていることはちょっとでも論壇に触れればわかると思っていましたが現在の論壇誌に寄稿する論壇人が思想、哲学における「保守」について全く理解せずに記事を書いては寄稿しているという事なんでしょう。

そもそも「前例」がなければだめなら初代天皇からして天皇に即位するという前例無き事例を作っているから駄目になってしまうという基本中の基本に気が付かない時点で人としての思考能力が完全に積んじゃっています。

今回の連載最後のページで女性が「わかるわ。負けられないもの?」と言っていましたが本来、議論に勝ち負けは存在せず、それぞれの発言に正当性があるか否か参加者自身が自分の発言を含めて疑問視し再評価するために存在するはずがなぜか「勝ち負けも固執」するという謎ルールが何時の間にやら出来上がっています。

しかも、その理由が「年月が長すぎた」というこれまた根拠がない意味不明な理由と来ています。

結構、自分で自分の首を絞めている謎ルールがそこかしこに存在していて、これが人間の思考停止に歯車をかけています。

私が子供のころには「頑固者」「頑固一徹」と言える性格、生き方をしていた人が多くいて今でも職人気質の職業を持つ人々の間にも存在しますが、それ以外の界隈では「頑固」が死語となり、謎ルールだけが残りました。

「伝統」は中身がなくなり形骸化すればそれは「因習」とすら呼べない謎ルールにしかならず、実施しても奇行による珍事しか生じません。

「皇統男系」を信じている人は恐らく、実生活でも「伝統」の名の下に形骸化した謎ルールで身も心もがんじがらめにされてしまっているから
「政治家も私もメンツがあるから」
と根拠不明の「メンツ」に囚われているわけです。

「一億層ゴーマン」の時代が到来したのなら、根拠がないものに依存なんてしていられません。
思想信条とて例外じゃありません。

「一億層ゴーマン」の時代を受け入れられる度量を「愛子天皇論」を読んで身に付けていきましょう!

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