今上陛下の御即位後1年以上が経過した現在でも、「愛子皇太子」は実現していません。
これは、「男系男子による皇位継承は絶対維持すべき伝統」という一部勢力の主張が存在するからです。
今回はその「伝統」に一貫した本質的な意味が存在するのか、その中身を確認したいと思います。
1.「伝統」の中身は本当に一貫しているのか?
男系男子絶対派は「女系天皇が実現すると王朝が変わる」と考え、皇統維持のため、旧宮家男子を女性皇族との結婚などにより「皇籍復帰」させることを主張しています。
https://www.sankei.com/politics/news/191021/plt1910210005-n1.html
この主張は、伝統と呼ぶにふさわしい確固としたものなのでしょうか?
皇位継承者を男系男子に限定する規定は明治の旧皇室典範に由来し、当時の官僚・井上毅の意見が採用されたことによります。
井上は伊藤博文に提出した「謹具意見」の中で、この主張の根拠の一つとして、女系継承の場合父の姓に従って王統の名称が変更され王朝が交代した英国の例を挙げており、現在の男系派と主張が一致します。
しかし、井上は同時に、女帝が臣籍降下した者を皇夫に迎えその子供が即位する場合も姓が易わるとしています。
つまり、現在の男系派が望むとおり旧宮家であるX家男子の皇籍取得が実現しても、その子供が天皇になると皇室はX家となり王朝交代につながるというわけです。
このように、男系男子絶対派が主張する「伝統」は、その時々によって内容が変わり都合の悪い部分は隠されています。
変えてはならない伝統と言いながら、自分たちがその中身を変えているのです。
この検証、次回に続きます。
(文責:東京都 りょう)
2 件のコメント
花谷香史郎
2020年7月19日
リンク先の記事では継体天皇の例を挙げていますが、
あれは一夫多妻が認められていたからこそ可能だった
即位だと思います。
その証拠に妻の数が9人と、それ以前では応神天皇と並び
最多。
手白香皇女が即位しなかったのは、女帝一人では子供
(=皇統子孫)を何人も産めないであろうこと(皇統子孫が
極端に減っている時期だったので)、皇后を経ずに即位
する慣例がなかったこと(飯豊青皇女を天皇に加える向き
もありますが)、もしくは仁賢天皇系に何か混乱があった
(手白香皇女は”あの”武烈天皇の”同母”妹)、といった
ところでしょう。
そもそも継体天皇による王朝交代説もあるのですが、
これも男系固執派の都合の悪いところかな。
JACKER
2020年7月19日
男系男子絶対派って、最近”女性には天皇は心身ともに負担がある、だから男系男子だ”とやけに”男女の役割”に関して熱く語っているけど一方で”一般国民”として生まれ育った旧宮家の皇籍取得を叫ぶと言うダブルスタンダートを平然と使うんですよね。(役割云々を語るなら、皇族として生まれて育った愛子様を天皇、皇太子にするほうがずっと理にかなうのに。)