皇室と英霊,神さまに対しての”恋闕心”と 男系オカルトスピリチュアルの”昏倒心”の違いを考えました

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夏になって愛子さま祭り到来の最中、ふと男系オカルトとスピリチュアルについて考えたことがありました。

昔、興味ある分野にて、占術の本を学んだことがあり、易経や風水、タロット、カバラ、占星術、等片っ端から読んでみたのですが、中々楽しく自分で運試し、または色々計算するのが楽しくありました。

一種の知識として使う、あるいは、プロの生業として使う分には害はないのですが(性根が堕ちなければですが…)、

(たぶん)中には、他人に承認欲求して欲しく、カルト教祖ばりの振る舞いに昏倒していく人あり、あるいは自分で決められず、全て神(教祖)頼みになってしまう人もあります。

また、スピリチュアルは神さまを敬愛し、自分や他者に癒やし与えるの意味があると思いますが、自分を律する心がなければただの癒やしを求めて周りにお構いなしに神社等に突撃する変な人になります。さらに、カルト・男系オカルト方向に突き抜けますと、周りからは危険・不審な人になります。

その一方、普通に心のバランスを取り、相手を尊重し、敬愛して祈りや願う心は皇室と英霊、神さまに対しての恋闕心と重なる部分があり、カルト等に依存し、魂を売る心と違うなと思いました。

それを踏まえると、

男系絶対Y!

のカルトに与した堕ちた面々に負けない為には恋闕心と義侠心・胆力・自分で考える頭が大事だと改めて思いました。

文責 神奈川県 神奈川のY

4 件のコメント

    神奈川のY

    2023年7月9日

    いつも皆様、閲覧とコメント
    ありがとうございますm(_ _)m
    松平様の遠藤周作の名に
    “おお、カトリックの日本と欧米の違いに
    悩んで考え抜いてた人”と
    改めて知りました。
    宗教・信念の難しさと考える根気さを考えさせられます。

    松平

    2023年7月8日

    Y様、こんばんは。
    遠藤周作にハマっていた学生時代を思い出しながら読ませていただきました。丁度その頃は”神様なんているのかな”と思ってしまうような経験をしていた時期でもありました。
    未だにスピリチュアルな人が憧れるような”悟り”など感じもしませんし、かと言ってオカルティックな権威に縋るには、自分は我が強すぎることも、今更ながら分かり始めてきています。
    遠藤周作は「信仰というのは九十パーセントの疑いと十パーセントの希望」と表現しましたが、皇室の方々は日々の「現実」で、例え”自称保守”からいくら不可能だと言われても、希望を少しでも100に近づけようと努力し、伝統とも向き合い、自己変革し続けているのだと思います(その対極がカルト宗教のドグマ)。
    それはある意味、カルトなんかより遥かに険しい道のりだとも思いますが、やっぱり私も結論としては「(皇室の方々に)お供させてください」ということになります。あと不遜ですが、そっちの方が生き甲斐を感じるんです。先の見えないワクワク感があるというか…。男系絶対Yのような「未来永劫ドグマに従え!」など絶対つまらないし、とても従えません…。
    私も自分のエゴを他人や外側の権威に投げっぱなしにしないよう、バランスを意識して日々過ごしたいと思います。
    長々と失礼致しました。

    基礎医学研究者

    2023年7月8日

    (編集者からの割り込みコメント)占星術など、昔から人は生年月日という数字に何か神秘的な意味を感じていたのですね(個人的には、当たるかどうかは別にしておもしろい気がしています。これは、血液型占いも入ってきますかね(^_^)。しかし、「予言を実行する」というアブナイ考え、あるいはYさんも書かれている”カルト”にはまってしまうと、「公」の心などはどこかにいってしまうのでしょうね。”男系絶対Y”などは、その典型かと自分は思った次第です。

    京都のS

    2023年7月8日

     Y様、力強い論考でした。「恋闕心と義侠心・胆力・自分で考える頭」は全て必要ですね。恋闕心=理念だけじゃない実体を伴った尊皇心、義侠心=誰もが納得してしまう正義を求める心、胆力=大舞台で大胆に振る舞える度胸、自分で考える頭=理想だけを追わず、現実だけに流されず、各々の現場に応じてバランスの取れた対応策を考えて実行できる地頭の良さ…と解釈しました。

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