文芸春秋の記事、「秋篠宮家 佳子さまからの警告 なぜ独り暮らしを決意されたのか」を今週初めに読み終えました。正直、想像以上に皇室では皇族の方々が過酷な日々を送っていて、自分の国民としての皇室への配慮が足りなかったと悔やむこととなりました。
7月に開催された「愛子さま応援祭」に参加し、愛子さまが皇太子になれるように皇室典範を改正するだけではなく、皇室を天皇及び皇族方にとって風通しの良い環境にする事こそが最終目標なのではと考えるに至りましたが、佳子様を始め、皇族方の心情を考えますと明日にでも皇籍を離脱されてもおかしくないと今回の記事を読んで思うに至りました。
「愛子さま応援祭」ではまだ何も終わっていない事は百も承知であり、佳子様を始め、皇族方には皇室に残って我々国民の為にも日本、そして世界人類の幸せを祈り続けてほしい事に変わりありませんが、仮に皇室の方々が全員、皇籍を離脱され、政府が共和制を公表したとしても国民として皇室への敬う気持ちは変わりません。もし、皇室制度が廃止されたとしても、少なくとも天皇、皇族方が生きてる間は、皇室で御公務をなさっていただいたことに感謝し続け、内心では「陛下、殿下」と呼び続ける気持ちです。
その一方で、本記事を読み終えて浮かび上がったのが法務死される前の東条英機の言葉でした。
「敗戦により、国家と国民が被った打撃と犠牲を思えば、僕が絞首台に上がるがごときは、むしろもったいない。八つ裂きにされてもなお足りない。君が生き残っても、僕について少しも弁解してもらいたくない。僕はただに絞首の辱めを受けるだけでなく、永遠に歴史の上に罵りの鞭を受けなければならないのである。」
「敗戦」を「不手際」、「国家と国民」を「陛下と皇族方」に置き換えれば見事に現在、皇室の方々の苦しみを無視し続けた政府を含む国民に当て嵌まると思えてなりませんし、その国民の中に自分も含まれているのだと思わざるを得ません。天皇及び皇族方が国民に罰を与えることはありえないにしても道義的に罰を受けるくらいの不始末をしでかし続けた事実に変わりなく、それ相応の懺悔をする覚悟は持ち続けなければならないのではと思いました。
記事を読んで、完全に新しく生まれ変わった皇室とその皇室を敬う自分の希望を持ち続けていくことこそが今後の「愛子さまを皇太子に」の原動力になると確信した記事でした。皆さまともどもと皇室に希望という光を照らせることを目標に頑張り続けたいと思います。