(編集者より)
SPA!「愛子天皇論」連載は、第211章で現在止まっていますが(「日本人論」の連載との兼ね合いのため)、この間「皇位継承問題」は新たな展開を見せております。そして、昨日、小林先生より12月の「ゴー宣道場のテーマ」についても、発表されました。ですので、自分、ある意味実に良いタイミングで、だふねさんより「愛子天皇論」の感想が寄せられたと思います。では、どうぞ<(_ _)>
第211章「佳子さまからの警告・前編」には、複雑かつ深刻な心境になりました。「文藝春秋」の記事は予(あらかじ)め読んでいたものの、正直、最初は受け止められなかったのです。それほど女性が出て行きたがる場所なら、嫁いでこられる女性など尚更いるわけがない。「天皇制は必要か?」という原点回帰の問いを再度冷厳に突きつけられたような。暗澹たる思いです。
記事の内容は信憑性が高かったし、「親にも祝ってもらえていない」と眞子さまが涙されたことも、事実であれば重い。人間誰もが抱く気持ちとして充分ありえることです。マスコミと大衆、日本全体の罪業を見せつけられた気がして、怒りが湧き上がります。
私たちにとって「女性宮家創設」は、性別に拘(こだわ)らない継承によって皇統の安定化を図るとともに、現代を生きる女性の意思を最大限に尊重したい、せめてご本人に選択させてあげたいという「祈り」でした。…しかし、それが眞子さまや佳子さまにとって、残酷なことだったとは。
秋篠宮家の姉妹は、伯父である今上陛下に世継ぎができる前に誕生しました。秋篠宮さまにとって、兄夫婦に男の子が誕生することは既定路線。父である秋篠宮さまからは「おまえたちは結婚すれば皇室にはいられない」と幼い頃から言われていたことでしょう。まさか東宮が長らく不妊で悩むことになるなど、秋篠宮家を含めた周囲の誰もが予測できなかったのだから。
妊娠・出産とは、思うようにいかないもの。高齢の秋篠宮ご夫妻に3人目の悠仁さまが授かったことも奇跡的な確率のはずなのに、当時の政権がこれに浮かれさえしなければ。美智子さまや雅子さま、皇室の方々がいかに人権を踏みにじられているかの問題とも向き合った上で、政治家が皇統問題についての議論から逃げなければ。皇室を取り巻く現状も、少しは変わっていたかもしれない。眞子さまや佳子さまも、ここまで苦しむことはなかったかもしれない。何の力もない私が、悔やんでも仕方のないことですが。
目先の快楽に飛びつく日本人の愚かさ、浅はかさ。私としては、自戒の念しか湧きません。11月12日の道場では、よしりん先生を初めとする登壇者の方々が、日本人の堕落に喝を入れてくださることを期待します。
また、佳子さまの気持ちを、私なりに想像してみました。
――特殊な世界の中、親の方針で比較的自由に育ったけれど、それでも完全に自由というわけではない。所詮は籠の鳥。窮屈な人生。成長とともに責任が大きくなることへのためらい。
絶えず人の注目を浴び、好きなこともできず、行きたいところにも行けない。そのような生活が続くことは、これからの人生で予定していない。早く区切りをつけたい。皇室の外で生きる覚悟も、とうの昔にできている。幸せになるのも不幸になるのも、自分で決めたい。私は両親や伯父たち(天皇家)とは違うの、と。
眞子さまは、マスコミや大衆が尋常でないバッシングを執拗に繰り返したことで、PTSDを患ってしまわれた。ずっと近くにいた佳子さまが心を痛めなかったはずはない。そして、悠仁さまもどのような胸の内だったか、私は考えずにおれません。
――姉たちが皇室から去った後、自分はどのように運命に立ち向かっていけばいいのだろう。自分が生まれた意味とは何だろう。いとこ(愛子さま)は今までたくさんの葛藤があったようだけれど、もう覚悟を決めたようだ。自分はいとこを守れるだろうか。一緒に皇室を支えられるだろうか。国民と苦楽をともにできる存在になれるだろうか、と。
「佳子さまの女性宮家は諦めた。安心してほしい」というよしりん先生の言葉、佳子さまに届いていることを祈ります。佳子さまに皇室に残っていただくことは望めない以上、愛子さまと悠仁さまが皇室の行方を握る鍵となります。
最悪のケースとして、愛子さまが立太子できず、人権真理教によるキャンセルカルチャーで皇室が滅び、悠仁さまが一般人になる未来も想定しなければならないでしょう。(そうなってほしくはないです、もちろん!)
12月3日の道場は、テーマが「愛子さまと悠仁さま」とズバリ感があり過ぎです。岸田首相の動向も気になりますし、真剣この上ない回になりますね。ぜひ現地で参加させていただきたいです!
よろしくお願いいたします。
2 件のコメント
reinyan
2023年10月31日
12月3日の道場は、テーマが「愛子さまと悠仁さま」
一部の国民がSNSやネットメディアで「愛子さまか、悠仁さまか」と対立を煽り、宮内庁の発信に二の足を踏ませて、我こそは皇室の味方ですわ!と酔いしれる姿が、日の丸や菊や薔薇で装飾して見られます。皇室の安寧のためには、いつか、その中に入って諭す必要があるのかと思うだけで鬱になりそう。でも、その必要はないと、このテーマは教えてくれているようです。
『愛子さまと悠仁さま』今後の皇室を担ってくださる可能性があるのは、このお二人。だふねさんのように、全国民が、お二人の胸の内を、我が事に引き付けて想像すれば、ありもしない対立は霧散するのに。皇族として生きていく覚悟を持った方を、全員お支えしたい。国民に一番必要なのも、その覚悟のように思います。
基礎医学研究者
2023年10月30日
(編集者からの割り込みコメント)12月の「ゴー宣道場」を考えるうえで、自分は多くの人が読んだほうが良い感想、と思いました。それは、皇室の、秋篠宮家の皇族の方々の内面が、深く表現されていると思うからです。特に、思いましたのは、いくら「聖域」で育たれているからといっても、将来皇室を出なければいけないことが決まっている、ということを聞かされ続ければ、「女性宮家」の話がでても「何をいまさら・・・」という心境になりますよね。こういうことを想像できるかどうかが、皇室に寄り添って、皇族の方々の人権を考えられるか?ということになるのだと思います(「男系継承」のことを言っている人には確実にない感覚、と自分には断言できます。これって、果たして人として信頼できる方々なのでしょうか?)。
それから、12月に向けて今回のだふねさんの感想を読んで感じたことは、「皇族の中でも、皇室に残れる方、あるいは皇室を出る方ということが、男女で区別されている」というのは歪んでおり、外から婚姻を介して「皇族」になられるのも女性のみ、というのも基準がよくわかない。それが、「伝統」だからで到底すむハズがない「歪み」なのだと、私見では思います。では、「皇位の継承権」とはどのような基準であるべきか?「皇族」が過ごしやすい「皇室」とはどのようなものなのか?「愛子さまと悠仁さま」というテーマには、そのようなことを考えるポテンシャルがある、と自分は思った次第です。