〈記事紹介・感想〉第11弾 森暢平成城大教授の警鐘(これでいいのか「旧宮家養子案」)

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森先生のこれでいいのか「旧宮家養子案」第11弾です。

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サンデー毎日:皇嗣不足の江戸時代でも側室増員をしなかった訳 社会学的皇室ウォッチング! /109  成城大教授・森暢平

 天皇の歴史で男系継承が最優先であったなら、複数の妻あるいは多数の側室を抱えればよいはずである。しかし、天皇が側室を無制限に持てたわけではなく、誰でも側室になれたわけでもない。実は側室とは「一夫一妻」の建前ができる裏面で発達する特殊な制度である。男系継承は側室制があったから続いたと単純に語られることが多いが、そもそも「側室」がシステム化されたのは、江戸時代中期のことである。(一部敬称略)

と始まる今回。
「天皇と側室」についての話のようです。
私は「現代側室なしの一夫一婦制で男系継承は無理で、側室をやめたのは天皇」と言い続けています。
先生の書かれる「実は側室とは「一夫一妻」の建前ができる裏面で発達する特殊な制度」
気になります。読んでいきます。

江戸中期の4人の天皇は正室が最初の子を産んでいることに触れ、これは偶然ではなく、

 一夫多妻であれば、天皇がどの女性に子を産ませようと構わないはずだ。中世の天皇は経済的な理由から正式に結婚できない場合があり、事実上、複数の女性を娶(めと)る一夫多妻の実態があった。しかし、江戸期に入ると「一夫一妻多妾(たしょう)」というシステムに変質していく。

一夫一妻多妾?

また初めて聞く言葉です。
森先生は桜町天皇を例に挙げ、正室の二条舎子のお子さまが二人内親王という事実の後に、側室の姉小路(あねがこうじ)定子が遐仁(とおひと)(のち桃園天皇)を産んで、二条舎子の養子にしたと書かれています。

江戸中期から一夫一婦制で皇室をつないでいこうとしていたのですね。ただ実際に男のお子さまが確実に産まれるわけではないのでその時のための側室制度。しかも産まれた子を正妻の養子にしている。「一夫一婦多妾」明治までこの慣習は続いていくとのこと。

中御門天皇から後桃園天皇の時代は、嫡出原則を貫くために、側室を絞った時期

であり、生母の家が宮中に外戚として介入するのを防ぐため、天皇の正室となるべき家を五摂家に限り、側室となる女官の家を「旧家」とするなどルールが決まっていくと、「跡継ぎの先細り」となっていき、これは嫡出子相続と考えていく中で起こる構造的な問題です。

皇室は一夫一婦制で皇統をつないでいこうと考えていた事実があり、それは現代にも確実に受け継がれています。
現代の事情を考えて、側室制度はありえません。
森先生は「天皇に側室を」と公言した神谷宗幣議員に触れ

側室があれば継嗣に困らないかのような物言いが現代社会で適切なのかはともかく、江戸時代でさえ側室制は止(や)むを得ずに行われていた歴史は踏まえるべきである。そして、側室があっても、男系継承に頼るのみではやはり皇嗣不足に陥った事実も確認されるべきだろう。

と締めています。

安定的な皇位継承のため、側室なしの一夫一婦制で男系継承は論外、そして、側室があっても男系継承が途絶える危機があった。(なり手がいない俗に溺れた一般国民の「旧宮家養子案」は論外)

この事実となにより、江戸時代から皇室が側室なしで皇統をつないでいこうとしていた事実・歴史を現職の国会議員が知らないんじゃ話になりません。
あらためて「愛子さまを皇太子に」と考えました。

森先生の次回作がますます楽しみです。

文責 愛子天皇への道サイト運営メンバー ふぇい

2 件のコメント

    くりんぐ

    2024年4月8日

    男系派の決まり文句の一つに、「母親の血筋はどうでもいい」があります。
    実際には母親が正室か側室かで、側室内でも家格の違いで、皇位継承で有利になるか不利になるかが決まりました。

    どうでもいいのなら、天皇が身分の低い女官に手を出して妊娠させたのを故意に堕胎させることなんてしなかったでしょう。

    大河ドラマ「光る君へ」で描かれているように、母親の身分こそ、皇位継承では重要だったのです。

    側室が増えれば男子を確保しやすくなりますが、その分異母兄弟が増え、皇位継承争いが激しくなって要らぬ混乱を招いてしまう。
    それを考えれば、側室をむやみやたらと増やす訳にはいかなかったのでしょう。

    現在の皇室典範では、非嫡出子への皇位継承は認められていません。

    皇室の活動や皇族方の暮らしが税金で賄われていることに今でさえ文句を言う人がいるのに、男子を産むためだけの側室の生活費も税金で賄うことになれば、非難の嵐。男子に恵まれなければ男系派からも非難されることは必須。
    誰もなりたがりません。

    もう側室に頼れない以上、女性・女系天皇を認めなければ皇統は断絶してしまう。
    にも関わらず「運命頼み」で、女性・女系天皇を認めないのは、皇統断絶を望むも同然の行いです。
    そんな政党はいりません。

    れいにゃん

    2024年4月2日

    今、貸していて、手元にないので後で確認しますが、森暢平氏著「天皇家の恋愛」に一夫一婦多妾という言葉を紹介していたと記憶しています。一夫一婦制、夫婦を中心とした家庭団欒は戦後からなのか?明治からじゃないか?更にその前は?と遡る展開で、読みやすかったので覚えています。
    順に遡ると、江戸中期の一夫一婦多妾の「できれば一夫一婦」でという制度に辿り着く。(幕府の駆け引きも込みで)そして、多妾でも男系に拘れば不安定は続く、ということがよく分かる論です。
    それでも 男系に嵌る人って、本当に、歴史も伝統も、どうでもいいんですね。

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