儒教的男尊女卑に利用されてきた血穢概念を葬れ!

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 平安中期が舞台の大河ドラマ「光る君へ」には血や死を穢れとする描写が度々あります。今回は血穢の起源について考えます。

 まずタブー(Taboo:共同体内の禁忌)の語源をご存じでしょうか? それはポリネシア語のtabu/tapu(酋長が決めた禁止事項)だとされ、例えば神聖な遺跡に侵入してはいけないという禁忌があります。またtabuの語源を遡れば月経を意味するtupuaに行き着きます。つまり、これが月経禁忌(産穢&血穢に至る)の起源の一つだと思われます。

 ところで、これまで私は当サイトで遺伝学的にも文化的にも縄文人の始祖はポリネシア人が主だと書いてきました。日本神話には垂直型(造化三神・天孫降臨:北方大陸民)と水平型(国生み・事代主水没・日向三代:南方海洋民)の話が混在しますが、比重は明らかに水平型に偏っていることが理由です(※「双系システム(日本の伝統的な家族形態)の成立過程を考察する(承)」参照)。また日本神話では、国生みするイザナミや産屋に籠るワダツミの娘たちが汚れた存在としては描かれず、どちらかと言えば新たな生命を生み出す女性たちへの畏怖や畏敬を土器や土偶の造形で表現してきた縄文人のメンタリティーに近いと言えます。

 では、平安中期までに何が起こったのでしょうか? 平安京への遷都を果たした桓武天皇は、母の家系が亡命・渡来した百済王氏だったために権力基盤が弱く、諸豪族や南都仏教など旧支配者から離れる必要があり、それゆえ同じ朝鮮渡来系の秦氏が根を張る丹波~山城に遷都したのだと思われます。律令編纂→仏教伝来→渡来系接近と進み、朝鮮半島で先鋭化した儒教に曝露したなら、元々女性の生み出す霊力を敬して遠ざける性質を持っていた日本人は、血や出産を穢れとして遠ざけるのが文明的振る舞いだと勘違いしても不思議ではありません。しかしながら、『源氏物語』の六条御息所(皇族・光源氏の愛人)の娘が伊勢神宮の斎王となったように、また卑弥呼の祭祀が政を動かしたように、さらに歴代女帝が普通に祭祀を行えたように、常識を働かせれば血穢を気にするなど愚の骨頂だと判ります。

 男尊女卑の浸透に活用されてきた血穢概念など早急に葬るべきです!    

文責:京都のS

2 件のコメント

    京都のS

    2024年4月11日

     SSKA様、※ありがとうございます。血穢も死穢も日本神話には根拠が見出せません。イザナミが黄泉から帰れなくなったのは穢れたからではなくヨモツヘグイした(黄泉共同体の住人になった)からです。
     血穢観念は儒教と仏教の浸透、そして極め付きは室町期に流入した『血盆経』(※月経のある女は血の池地獄に堕ちる)という邪教のせいだと思われます。さらに江戸期には『礼記』や『儀礼』に由来する「三従」も浸透し、因習としての男尊女卑が日本人の脳髄に沁み込みました。
     我々は今、数百年がかりの因習を覆そうと模索しているわけですが、なかなかに困難を極めていますね。

    SSKA

    2024年4月10日

    血の穢れは稲作農耕民(大陸文化)が殺生を生業とする皮革業や狩猟民を差別や排除した名残とも言われますし、日本の天皇は稲作政権の中心に居ながら価値が低いと見なされたものを祭祀や民衆感情と共に守っているとすれば書紀の歴史記述が絶対とは言えない訳ですね。
    大陸文化の受容と共に周辺の儒教国同士の文化競争が始まったと考えれば男帝の歴史もその模範生になろうとしたもので、固有では無くただのコピーで迎合の結果に過ぎず後世尊重する必要も無いと分かりそうなものです。
    古代日本人も領民統治や人口維持の為に必要に応じて積極的に制度を導入したものの据わりが悪くもどかしい感情に苛まれ、それ一色では耐えられないと煩悶した結果、平安の様々な独自の文化芸術を創造して行く時代に繋がったのかもと想像しています。
    彩りや明るさが文化的に人々を喜ばせ好ましいとされるのは古今東西変わらぬ事で愛子様や佳子様が注目を集めるのも歴史的な背景や経緯と共に説明できる現象であって、女性を押し込めたり外に排除するのは皇室日本の双方にとって重大な損失であると少なくとも国民の側は徐々に気付きつつあるのではないかと最近のブームから考えています。

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