〈記事紹介・感想〉第15弾 森暢平成城大教授の警鐘(これでいいのか「旧宮家養子案」)

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森先生のこれでいいのか「旧宮家養子案」第15弾です。

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サンデー毎日:皇別摂家というブランド 旧宮家を相対化する存在 社会学的皇室ウォッチング!/113 成城大教授・森暢平

 旧宮家にある人が皇籍に復帰する案に対して、皇別摂家の存在をあげる人がいる。たしかに、天皇家との血の繋がりは、旧宮家より皇別摂家のほうが近い。皇別摂家について私たちはどう考えればいいのか。

と始まる今回。今回は皇別摂家と旧宮家について話されています。

今回初見読みの感想。

そりゃ「五十歩百歩だよな」です

(何がかは後で出てきます)

鷹司家から2人を連続して后妃を取った仁孝天皇だが男児は生まれず、女官との間の子が統仁皇太子(のちの孝明天皇)となる。
この統仁皇太子のお妃も鷹司家の積子が候補とされていたが、同じ摂家から連続してお妃を出さないという暗黙のルールがあり最終的に九条家の夙子が選ばれた。

森先生は、

 東山天皇に連なる「鷹司」というブランド力はそれほど高かったのである。同時代的な感覚では、5世代離れた娘は天皇の近縁だと考えられた

と書いています。天皇からどれほど近いかがブランド力とされていたようですね。
また、

 皇別摂家(こうべつせっけ)とは、五摂家のうち、天皇家、それに近い閑院宮家から養子を得て相続した三家(鷹司、近衛、一条)を指す。広義には皇別摂家からさらに養子をもらい天皇からの男系男子の血脈を保つ家を呼ぶ。

と書いていて、後継ぎがいない時には同格の摂家から養子をもらうことが多かったようです。
その摂家から続く家が現代にもあり、八幡和郎(!)は男系男子が50人いると紹介しているが、
森先生は

ただし、多くの人たちは一般市民として暮らしており、皇胤としての自覚はないと思われる。

そりゃそうだ。すでに国民ですし、「血筋なので」いま皇室に入ってくれと言われても困るだけでしょう。

この後室町時代に現在の直系と別れた旧宮家の話が出てきますが、明治の頃から皇別摂家より遠いと言われていて、皇籍から離れるべきだという意見書が伊藤博文に届いていました。

皇別摂家は臣下、旧宮家は皇族という分け方があるものの、今はどちらも「臣籍降下」して国民です。
国民が「家柄で」ほかの国民から優遇(差別)されていいことはありません。

森先生は

 皇位継承に関する有識者会議の報告書は「皇族には認められていない養子縁組を可能とし、皇統に属する男系の男子を皇族とすること」とあるが、「皇統に属する」を厳密に定義していない。敗戦後に皇室にあった皇族だけ「皇統」にあるとする線引きも恣意(しい)的である。

「皇統に属する男系男子」に、国民は入らないと考えるのが通常の判断でないでしょうか。

続けて

 断っておくが、私は、旧宮家よりも、皇別摂家のほうが皇籍復帰に相応(ふさわ)しいと主張したいわけではない。少なくとも179年前の鷹司家には天皇5世のブランドがあり、伏見宮家の流れをくむ旧宮家も77年前までは皇籍にあった。国民がこうした人々の復帰を受け入れがたい感情を抱くという点では、五十歩百歩という側面があるとの疑問を投げかけたいのである。

まさに五十歩百歩ですね。正直どなたも皇室に入る意思はないでしょうが、国民の側も「なんじゃそりゃ」ですね。
実際に森先生のポストをお借りしますが、

旧宮家復帰に積極的に賛成している人(つまり、断固、女系に反対)は7%のみ。

森先生は結びに

 天皇家から分かれ、現在は民間にあるという点を相対化してみれば、旧宮家だけが特別視される理由が私には分からない。

本当にわかりません。

旧宮家も皇別摂家も国民からしたらお呼びでない。ただ旧宮家の皆さまも(竹田恒泰含め)誰も皇室に入る意思はないのになぜ旧宮家養子案が幅を利かせているのか。

国会議員はここの疑問にきちんと答えて欲しいです。

森先生の次回作に期待しています。

文責 愛子天皇への道サイト運営メンバー ふぇい

4 件のコメント

    キケロ

    2024年5月12日

    記事を読みました。
    男系を唱えている人で「皇別摂家」を旧宮家と同じように考えている人がいるのを初めて知りました。
    他にもいるんでしょうか?

    そもそも旧宮家は、元々世襲親王家である伏見宮家であり皇族です。
    ただ伏見宮貞致(さだゆき)親王のように幼少期に鍛冶屋の弟子で「安藤長九郎」と称し、後に伏見宮を継いで親王宣下された人もいますが。

    皇別摂家については男系の血筋は流れていても五摂家のうちの鷹司、近衛、一条の三家に養子になっている以上、それが旧宮家のように扱うというのは間違いといえます。
    もしそれができれば、平将門が「新皇」を名乗る必要もなく、足利義満が先例に准じて皇位を簒奪(皇位簒奪自体は否定されていますが)することもないでしょう。

    ちなみに、平将門は、桓武平氏であり四世。足利義満は、源氏であり、当時の北朝の天皇である後円融天皇の従兄弟の関係です。

    伏見宮家は、後花園天皇が天皇となって「後光厳皇統」を継いで、自身の系統であった崇光皇統を皇室の藩屏として世襲親王家にしました。それが明治に入ってから永世皇族制となって1947年に臣籍降下します。

    ちなみに後花園天皇は崇光皇統であり、実際に後光厳皇統から「正統(しょうとう)」が移っていますが、本人の自覚としては後光厳皇統の継承者と考えていたようです。

    そのため旧宮家と皇別摂家を「血の濃さ」で考察していますが、血の濃さというよりも世襲親王家として認められていたかで考えれば、旧宮家といえるでしょう。

    SSKA

    2024年5月11日

    前回の連載は女系で皇統を残したかった実例でしたが、今回は男系の宮家も皇別摂家もスペアとしてはその時代限りで代数を重ねれば更に薄まるので養子等で主筋を繋ぐ努力をし、それでも無理なら自然に継承から離れ、一度分かれて役目を終えた後に永続する血統は存在しない(唯一の策が女系で繋ぐ事、しかし今の時代は求められない)と証明されています。
    同時代に認められなければ血統は意味を成さないと最善策を考えるのが人の努力と知恵ですが、天皇が国家の事業を継ぐと言う意識が無い人は自己満足の女性差別が主目的となり国民男子で構わないと雑な扱いになるのだと思います。

    ありんこ

    2024年5月11日

    7パーセントしかいない連中に合わせて皇室と多くの国民と法の尊厳を踏みにじる事を是とすべきなんて、どうかしていますよね。国民間血統差別を合憲とする為に憲法改正発議してくださいよってレベルです。できないでしょ?
    20年近くもあったのに、愛子さま達よりも天皇になるに相応しい資質を持ち合わせた皇籍取得意識を持ってる男系男子をお披露目できなかった上に、女帝女系の違いを喚き散らしての国民への啓蒙も逆に女帝女系可能という方向で働いたという結果になった事を認めようともしない。何してたんですか。生産性のない皇室バッシング?(国民不在のロビー活動?)日本的な義とか礼とか恥をちっとも持ち合わせてないのが丸わかりの連中の言う事になんでへーこらしなきゃいけないのか?する必要ないでしょう。

    takahire

    2024年5月11日

    おっしゃる通りですね。旧宮家(近代)は特別で、皇別摂家(明治期)は特別でないのか?男系の方は両者の違いを説明する義務がありますね。
    そして、「〇〇(江戸時代)はどうなのですか?」となりそうですねw

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