「すめろぎコード」と「聖家族」

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 映画「ダ・ヴィンチ・コード」をご覧になった方は多いでしょう。キリスト教の根幹を揺るがす内容ゆえローマ教会が敵視したことでも話題を集めた作品です。

 本作は、ルーヴル美術館で起こった殺人事件を切っ掛けにロバート・ラングドン(ハーバード大学の宗教象徴学教授:Tハンクス)とソフィー・ヌヴ―(被害者ソニエールの孫にして暗号解読官:Oトトゥ)が事件の背景となったキリスト教の闇に迫っていく内容です。

 本作で最も重要な単語は「聖杯」です。聖杯を狙う勢力はルーヴル美術館館長のジャック・ソニエール(JPマリエール)を殺害し、その罪をラングドンに着せようとしました。本作における聖杯は、最後の晩餐でイエスが弟子たちにワインを渡した杯でも十字架から降ろされたイエスの血を受けた杯でもありません。聖杯とはイエスの妻とされた「マグダラのマリア」の子宮を意味し、イエスとマリアから連なる子孫こそが「聖杯」でした。その「マグダラのマリア」とはイエスが復活した際の証人にして最初の使徒だとされますが、キリスト教では「罪深い女」「娼婦」などと呼ばれています。これには、性に厳格キリスト教ミソジニー(女性嫌悪)体質が強く関わっていると思われ、その最たるものが魔女狩り裁判でしょう。それゆえキリスト教は売春(exp.吉原・慰安婦…)も男色(exp.陰間・ジャニーズ…)も絶対に許しません。

 作中では、もし両者の子孫(聖杯)が見付かれば今まで神として崇められてきた人物が「生物学的な人間」に成り下がり、キリスト教そのものが瓦解すると危惧していました。「などてキリストは人となりたまいし?」ということです。ゆえにキリスト教系の秘密結社は聖杯を追い、その存在を抹消しようしたのです。

 さて、キリストの子孫を巡る作品「ダ・ヴィンチ・コード」や孔子の直系(男系)子孫を探す中国のような動きは、共に自らの失われた精神的ルーツを希求する活動だと思われます。しかしながら、日本には既に多くの日本国民が「神々と繋がっている」と認識する直系の聖家族が現存しており、その中の一人の皇族女子は国民からの絶大な支持を受けて神々しい存在感を放っています。

 また、多くの日本国民は対象が人間と知ったとて信仰を捨てる信者ではなく、人間としての皇族方に恋闕心を抱く存在が日本国民だと思われ、それこそが日本教(山本七平)の中心教義ではないかと私は考えます。    

文責:京都のS

3 件のコメント

    京都のS

    2024年5月24日

     れいにゃん様、いつも※ありがとうございます。
     右脳(感情)と左脳(論理)とは言い得て妙です。個としての天皇陛下への恋闕(トキメキ)は右脳(感情)で、現人神という概念への信仰は左脳(論理)だと言えそうです。また、キリスト教会からキリスト者が教え込まれた戒律や、そこから派生してくる良心は論理なのか感情なのかは興味深いテーマです。それに、これはジャニーズタレントへのトキメキとも関わっていそうです(笑)。
     さて、三島由紀夫が『英霊の聲』で元特攻隊員の英霊に「などてすめろぎは人となりたまいし」と問わせたのは、米国から強要された「人間宣言」へのアンチ(反)の感情だと思われますが、決して現人神信仰(論理)を守りたかった訳では無いはずです。有りもしない現人神信仰(論理)の復活を恐れて叩く左翼も、国民の支持(トキメキ=感情)を無視して男系原理(論理)を守りたがる自称ホシュも、共に「理性以外の全てを無くした狂人」です。
     つまり、左脳しか働かない御仁らが左翼ってことですね(笑)。

    れいにゃん

    2024年5月24日

    「ダ・ヴィンチ・コード」
    比喩を理解できない人達が招く悲喜劇ですね。「天皇陛下は現人神」を慌てて否定して回る占領軍とか、ヒルコもヒミコも当て字のイメージから抜けられないとか、これも右脳左脳の話かもしれませんね。面白いです。

    京都のS

    2024年5月23日

     掲載ありがとうございました。
     2作目の「天使と悪魔」、3作目の「インフェルノ」と進めば、イルミナティ―が出たりして陰謀論的になっていくので、残念ながら1作目の「ダ・ヴィンチ・コード」が最高傑作です。
     ちなみに「などてキリストは人となりたまいし?」は『英霊の聲』(三島由紀夫著)の出てくる英霊(怨霊?)のセリフ「などてすめろぎは人となりたまいし」をもじったものです。

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