大陸の勇将から学ぶ忠臣の振る舞い

Post's thumbnail

昨今、皇室に対して動きがあり、中には一部の方々をバッシングし皇室を敬うとのたまう方々や、密室で自分達の利に傾けるよう画策する、後漢時代の長く続いていた漢王朝を滅ぼした宦官達のような議員がのさばっている情勢ですが、こういう時こそ”仁義””王佐”という言葉が光ります。

“仁義”とはここではお天道様に顔向けれる振る舞いを指し、”王佐”とは君主を補佐し、才知を尽力して大業を支えることを指します。
大陸に仁義と王佐の才を尽力した英雄がいましたが、彼は敵味方から”忠勇無双の将”と評され、尊皇の心に共通する模範したい方であり、ご紹介したく思います。

彼の名は趙雲、字は子龍で、三国志の武将であります。忠義と大義を重視する劉備、諸葛亮の蜀軍に属してました。彼はもとは北方の生まれで、劉備と違った軍にいましたが、劉備達の志に惹かれた、または御縁で劉備軍に入り、それから彼は劉備の義兄弟に次いで武勇があり、主君の護衛や先陣で戦っていました。
 彼の気性は穏やかで、劉備の義兄弟より癖が無く、血気盛んな武将の中では冷静であり、諸葛亮からも信頼厚い頼れる存在でした。また、彼は演義や史実でもその人格振る舞いにはブレがないと言われます。

彼の公私混同せず、君主の為に仁義と王佐を発揮したエピソードが2つあります。

一つは、同僚になり、義兄弟になった群雄から、美しい未亡人を紹介され、取り込まれようとされた時、冷静な目で状況判断し、君主に心から心服せず、腹に何か抱えているのを看破し、断固として断り、君主に仕えたと言うエピソードがあります。これは人の良いところにつけ込み、なあなあにしてコントロールしようとする群雄に流されずに自分を貫いた話です。

もう一つは、曹操の大軍に追われて、劉備達が起死回生の逃亡の中、劉備の世継ぎと奥方が離れ離れになった際に敵軍の中に単騎で探しにいき、奥方は亡くなってしまうも、世継ぎを懐に抱き、敵将を倒しながら劉備の下に戻る話があります。

その話から彼の心を推察すると、ただただ、君主の為、その信念の為に絶対絶命の時でも諦めず死力を尽くす、これに尽きると思われます。趙雲のすごいところは仲間内でなあなあになったり忖度する空気でも、それが君主の為になるか、考えて冷静に対応するところです。劉備の義兄弟は情に囚われすぎる性質があり、なあなあになってしまい最悪寝首をかかれる結果に繋がりました。

総じて大義の為に動く際はいかに流されず個を強く持ち、なあなあになって動けなくならないかと考える必要があり、一つの話として聴いて頂ければ幸いです。

文責 神奈川県 神奈川のY

4 件のコメント

    神奈川のY

    2024年5月25日

    京都のS様、コメントありがとうございます
    なあなあ人士達に趙雲の爪の垢はご褒美になりそうです。それにセットで髭殿の髭と義弟の虎髭をつけまする。青龍刀と蛇矛のサビも添えて投射器で御見舞するは如何でしょうか。名付けて豪傑弾!

    京都のS

    2024年5月25日

     色々と問題のある『三国志』のキャラの中で趙子龍だけは完全無欠のヒーローですね。男系派世間(何となくダンケーを含む)やコロナコワイ世間、グローバリスト世間に忖度して生きる「なあなあ人士」には趙雲の爪を垢を飲ませるべきですね。

    神奈川のY

    2024年5月25日

    サトルさん、コメントありがとうございます。趙雲ほどバランス取れた人、貴重ですよね。さすが一身、これ胆なりと呼ばれる人です。

    サトル

    2024年5月24日

    神奈川のYさん
    ありがとうございます
    (早速食い付きました(笑)だって大好きな趙雲子龍ですもの)
    「ニワカ」の私ですが、Yさんの解説も「そう!そこです~!」と悶絶させて頂きました。

コメントはこちらから

全ての項目に入力が必須となります。メールアドレスはサイト上には表示されません。

内容に問題なければ、下記の「コメントを送信する」ボタンを押してください。