「愛子天皇論」連載最新回「人権は生まれながらに持っている?」

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『愛子天皇論』連載最新回です。

236章「人権は生まれながらに持っている?」

本日発売の週刊SPA!に掲載されています。
みなさんの感想、ぜひお寄せください。

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15 件のコメント

    突撃一番

    2024年6月15日

    『愛子天皇論』第236章
    「人権は生まれながらに持っている?」の感想です。
    (掲示板に貼ったコメントの、ほぼ再投稿です)

    美濃部達吉の「天皇機関説」のような、主権は法人たる国家にある、という考え方が、日本では一番しっくり来ると、改めて思いました。

    いくら帝国憲法で「天皇は統治権を総攬」するとされてはいても、新憲法下における「国民主権」は天皇から奪い取ったものだ、的な発想は、日本人の感覚には合わないと思うから。

    そもそもアメリカから与えられた憲法でしかないから、日本国民は「主権を奪い取る努力」すら、やってないし。

    天皇制とポピュリズムの問題にもどこかで繋がるかとは思いますが、国民主権という概念を憲法から撤廃しない限り、「俺は主権者だから天皇よりエライんだ!」等とノボセ上がる国民主権病患者を、未来永劫、再生産し続ける事になってしまいます。

    その典型例が、例えば皇太子時代の天皇陛下や雅子様を口汚く罵った西尾幹二とか、眞子さま&小室さんをバッシングしたヤフコメ糞国民と言えるでしょう。
    西尾幹二は、死んでも許さん!

    「皇室は国民といふ大海に浮かぶ珠玉の船である」という三輪尚信氏の言葉は、国民の側に、天皇に対する健全な敬愛があってこそ成り立つ話です。

    逆に言うと、国民が図に乗ると、大シケで「珠玉の船」を転覆させる事すら出来てしまうんだから (まさにフランス革命のように)、熟慮の欠けたポピュリズムというのは、本当に恐ろしいです。

    「主権は法人たる国家にあり、その最高機関が天皇である。」
    という思想をちゃんと憲法の条文に反映し、国民の中に常識として叩き込んでおけば、国民も天皇・国会・軍隊・領土などと同様、「国家を構成する様々な機関の一つ」という事になり、ただ参政権を行使するだけの存在、という程度の扱いに出来るので、国民を必要以上に自惚れさせる事もなく、また天皇主権とも異なるので、陛下に戦争責任が及ぶ事も防げるでしょう。
    まさに「国民機関論」と呼んでいいと思います。

    ぶっちゃけた話、「生存権」「言論の自由」「幸福追求権」みたいな、国民に認められているあらゆる人権すら、「兵役の義務を全うした者だけに、天皇の名において与えられる限定的な権利」という扱いにしたいくらいです。
    俺のホンネでは。

    だって天皇皇族には、どれも保障されてないんだもん。
    全員鬱病で、いつ自殺してもおかしくないような精神状態に皇族方が追い込まれてるなら、生存権すら、無いも同然です!!

    SSKA

    2024年6月15日

    人権は左派が過剰に崇拝の対象としていますが、明治から後の戦前戦中には海外の脅威に打ち克つ為に王権神授説に近い考えが絶対化した天皇のイメージとして育てられ、現在の右派達が固有の基本思想として受け継いだ為に皇統の災いに繋がっていると考えられます。
    日本の覇者として神武天皇の血筋を絶対化していますが、本来歴代天皇がお祀りする皇祖は天照大神で戦争の神では無いので海外由来を自国のものと信じ込んだ為に様々な矛盾が生じています。
    昭和の大戦で大敗したのも万世一系の過剰に行き過ぎたイメージを抱く事で本来の温和かつ協調的でお人よしの民族性を忘れ乖離し過ぎたせいで、中国や欧米の一神教やそれに近い残虐かつ冷徹な人間観を生まれながらに持つ国々に完膚なきまでに打ちのめされたせいだと思うのです。
    不幸と破滅以外もたらさない男系思想は滅ぶべきですが、人権は個人を守る為に必要な概念なので日本人本来の調和や共同を第一とする考えを前提に個人や社会、広い意味で国家全体を守る道具(扱いに気を付ける刃物に近い?、ギロチンや敵を殺傷する武器では無く護身や活人を目的)として正しい使用法を国民が身に付け政府に要請する、それが望むべき国の在り方と感じました。

    ひとかけら

    2024年6月14日

    人権は神から与えられた崇高なものと言っても戦争で亡くなる赤ちゃんや子供達は現代においても沢山居る。日本人は日本国憲法の基本的人権の尊重や国民主権を大事にしてたら平和を永遠に享受できるという思考停止に陥っているのでしょうが世界の現実を見たら永遠の安楽は存在しない事が分かります。西洋式の制度や理性を崇拝し金科玉条のように扱っても行き着く先は人権宣言のような一部の特権階級が徳をし男尊女卑的な風潮を助長させてしまうだけだと思います。
    日本には天皇という国民に寄り添い温かく統治して下さる象徴がいらっしゃいます。長い歴史や慣習に裏打ちされた日本の素晴らしさを取り戻せば西洋式の人権主義など信用出来るものではないのが分かります。

    さとがえる

    2024年6月14日

    フランスの歴史から、人権を紐解く流れ、非常にわかりやすかったです。
    一番感銘を受けたコマ:P56一コマ目 人間の理性が崇高・最高の存在である。
    これは人間が支配者あると宣言しているだけで、傲慢さがわかるとともに、唯一神を信仰していた西洋人の宿命を感じました。
    西洋と日本では神に対する考え方が違うことを理解せずに、西洋人はそれを野蛮なものとして軽蔑、時に妙な憧れを持つ。
    グローバリズムではなく、各国の価値観を尊重した国際交流の流れになってほしいと思います。

    Taro.G

    2024年6月13日

    遅くなりましたが、本日SPAを楽天マガジンで読みました。人権思想がGODを否定して人間こそがGODに代わる存在になる、という指摘は、後にニーチェが「神は死んだ、人間が殺してしまった」と喝破したのに繋がると思いました。それが現代でもSDGsや代理母の思想に活かされているため、このカルト思想の根は深いです。
    ちょっと指摘させていただきますが、ラボー・サンテティエンヌは1793年にギロチンで処刑されており、1794年の発言は別人か、年が違うかと思いますが…。確認された方がよろしいかと思います。
    その他のフランス革命時の代議士、イスナールは最後はナポレオンの帝政や王政復古に賛成して生き延びて、ルイ16世の処刑に賛成した事を終生反省したそうです。
    暗山氏のエゴだけストロング言論は、もう評価する気も起きませんが「女帝でもいいよ、そのあとが大変だよ」という発言にはもう「あんたなんかに心配されなくてもちゃんと愛子さまはやっていくから、さっさとその減らず口黙れ!」と言いたいです。

    じーま

    2024年6月12日

    最新回を読みました。

    今回は「人権」について考えさせられました。なるほど、人権というのはもともと「生まれながらにしてGODから与えられた権利」から始まったことを理解しないとおかしなことになるということがわかります。
    翻って日本で人権を考えると、神から与えられたものと考えるのは無理があると思う一方で、リベラル方面で理性を無自覚に神に近い存在としてとらえてしまっている人はいるような気がします。だから、理性に基づいた(と思い込んでいる)人権を至上なものとしてとらえてしまいキャンセルカルチャーに加担してしまっているのではないでしょうか。
    もっとも、皇室バッシングは真偽不明のネットや週刊誌情報に踊らされて引き起こされた現象でしょうから、理性に基づいているとはとても思えません。フランス革命と皇室バッシングに共通していることがあるとすれば、「思い込みに基づく狂信」に尽きると考えます。

    人権というものを常に考え、どのようなものでなくてはならないのかという視点が必要に思います。それがなくては、ジャニーズや松本人志氏に向けられたようなあやふやな「人権イデオロギー」によるキャンセルカルチャーがなくなることはないでしょう。

    次回にも期待しています。

    ねこ派

    2024年6月12日

    今回のゴー宣、236章「人権は生まれながらに持っている?」を読みました。
    人権の淵源について、絵とネームでとても分かりやすく、これを説明しています。
    西洋人は、キリスト教の一神教信仰から逃れられないから、主権を担うのが王から国民へ、また主権を構成するのが王権から国民の人権へ、と移ろうとも、結局、それは相変わらず、GOD(唯一神)から与えられた権利である、という観念に陥ってしまう。
    人権は、GOD(唯一神)から与えられた権利である、と。
    しかるに西洋では、主権を担うのが王から国民へ、主権を構成するのが王権から国民の人権へ、と移る際には、国民は革命によって、王をこの世から抹殺しました。
    そして国民は同時に、王と共に、王に主権を授けたというGOD(唯一神)をも葬ったつもりだったのが、しかし、これに耐えられず、却って人権を支えるものとして人間の理性を、あたかもGOD(唯一神)の如く信奉するようになり、人間の理性によって、法や制度を駆使すれば、この世において国民共通の幸福を勝ち取ることが出来る、と言う世界観を構築するに至ったのが、近代以降の西洋人であり、つまりは今の欧米人、ということです。
    人間の理性をあたかもGOD(唯一神)の如く信奉するというのは、今回のゴー宣で描かれているように、人間自らを神に代わる存在とみなすようなものです。
    そして人間とは、当初は男性のみ、それも西洋の男性に限られていました。
    また今回のゴー宣では、フランス革命後、諸制度の立案や立法に関与する国民公会議員ー当然、みんな男ーが、理性を大いに活用する者として、大衆からの偶像崇拝の対象になった歴史を描いています。
    今回のゴー宣は、とても勉強になりました。
    因みに連想して、思ったのが、人権の「権」の字の意味についてです。
    「権」には、「かり、かりそめ、便宜的な処置」という意味があります。
    日本人で、法曹界の人間であっても知識人やマスコミ人であっても、そういう意味を知っているのなら、それだけで、人権を絶対視出来ないはずです。
    人権とは人についての権利のことだが、権には、かり、かりそめ、便宜的な処置、という意味があるので、とりあえずは、そういうのがある、というふうに捉える。
    今回のゴー宣から連想して、日本人なら、人権については、まずは、字面を見て、そんな程度の地点からスタートすべきでは、とも思ったのでした。

    神奈川のY

    2024年6月12日

    人権って何?と改めて考えさせられました。冒頭の「人権」は「人が生まれながらに持っている権利」なんて言うカルト秀才が世を支配している。確かにそうで、変なカルトの勧誘は皆冷静で対処出来る事ただあるも、「人権」は無条件で受け入れられるきらいがあります。また、フランスの立法者を新たな神の如く崇められるようになり、代議士達の舞い上がった暴走の言葉の数々を読むと、果たしてこいつらがのたまった人権ってものはまともなのか?と疑問が沸き起こります。

    ゴロン

    2024年6月12日

     考えさせられる回でした。今読み返せないのですが、木蘭先生が、何かをGOD的なものにして崇拝したがるフランス人?の話をライジングで書かれていましたね。一神教の国民はGODを否定してしまったら、心の拠り所がなくなってしまうのでしょうか。
    日本人には各人がそれぞれに「○○推し」くらいの感じが合っている気がします(ちょっと意味が違いますかね)。
    「王権神授説」による国王の存在は、日本の神話を権威の根源とする天皇とは大きく異なりますね。「人権」が王殺しの産物であるなら、鵜呑みにはできないです。これが出てきたら、まずは疑ってかかり、最後は「情」で判断か?

    ダグドラえもん

    2024年6月11日

    愛子天皇論最新回、早速拝読致しました╰(*´︶`*)╯♡
    本当に、人は生まれながらに何も持ってない…コレはマジで納得ッスよ∑(゚Д゚)‼︎そして、フランス革命で掲げた人権に女性が入ってないってのは、「民主主義という病い」でも描かれてましたけど、改めてそれを思い出させるのが、今回の漫画ッスよね(^_^;)。
    だからこそ、人権よりも文化、そしてご皇室を守る事こそ日本の未来を守る事にも繋がるかと…\\\٩(๑`^´๑)۶////
    後、ラストのゴジラと化した直系よしりんを見て、最早人権カルトをぶっ飛ばせるのはゴジラよしりんしかおらんかと確信しましたよ((((;゚Д゚)))))))‼︎

    たこちゃん

    2024年6月11日

    フランス革命直後の国民公会の代議士たちの言葉、何かに似てるなぁと考えていたらコロナ禍の「コロナは怖ろしい病気だぞ!ワクチンが必要だぞ!」と煽っていたマスコミやセンモンカのことを思い出しました。
    自分らこそ正義であり、微塵も己のことを疑わない。
    異論を唱えようものなら、唱えた人を人でなし呼ばわり。
    何百年たとうと、人間は進歩しないし、神の視座を持つなんてできっこないことなのだとつくづく思いました。

    或るファン

    2024年6月11日

    (先に臨時掲示板に投稿しましたが、こちらにも同一内容で投稿させていただきます。)

    去年の独演会や『日本人論』を拝見し、私は「人権vs文化」の構図が描かれている理由について、もっと知りたいと思っていました。……今回の『ゴー宣』はまさにその部分と重なり嬉しかったです。さっそく感想を投稿させていただきます。

    「男尊女卑の風潮が歴史的に存在する社会においても、望むなら女性の地位が向上した社会を思い描くことができる」のと同様に、「人権と呼ばれる概念が歴史的には排他性を持って運用されてきた社会においても、望むならば一般に適用される概念として運用される社会を思い描くことができる」のではないだろうかと考えました。
    (補足:そこに神が与えたという思想背景は必要としていない。例えば、人がどのように四則演算を発見したかという歴史と、四則演算を論理的に構成することは分けて考えることができるように。0はインドで発明されたそうだけれど、それを知らずとも我々は便利に、当たり前に使っているように……そこに歴史を感じようが感じまいが、0の本質だけを抽出して運用できている。)

    つまり、「人権と人権イデオロギー」をあえてわけることがあるとするならば、「神が与えたという神秘概念を無視して、人権を運用したい」という主張においてであるという見方もできるのではないかと考えました。

    「人権があるから人権がある」という考えを私は信じていないし、唯一神も信じていない。しかし、「(排他性のない)人権の保障を希求し、議論を進めていきたい」という理想が許されるのならば嬉しいと思います。

    その視点においては、「文化」も「人権」で、「表現の自由」も「人権」に含まれていることが、受け容れられる未来かどうかまだ私にはわかりません。

    しかし、まだまだ人間を信じていたいし、今確かに、日本にいながら感じ取ることのできる範囲での「人権の保障」を噛みしめつつも、そこにいたらない部分についてどうすればうまくいくのか考えていきたい自分に気づかされました。

    (かたい話をすると、1ページ目と関連して、胎児の権利について今の日本ではどう決まっているかなど調べてみると面白いなと私は感じるようです。)

    このテーマについて、これからもよしりん先生の考えや、他の読者の皆さんの感想を知っていけたら良いなと思います。
    これからの連載も楽しみにしています。

    京都のS(サタンのSでも飼い慣らすし)

    2024年6月11日

     王権神授説(国家主権は王に帰属)はキリスト教由来ですが、革命以降は人権神授説(国家主権は国民に帰属するが、男に限られる。また国家主権が宗主国に帰属する属国日本では日本国憲法で規定された基本的人権だけがクローズアップされる)に移行したわけです。また人権神授説=人権普遍説ですから、これは強国の国民にしか人権が無いという現実とは合致しません。ゆえに人権国家説(国民の諸権利は国家が守り、各国・各民族・各宗教によって守られるべき権利が異なる)の方が正しいと判ります。そして、普遍的な人権など無いことを前提にしないと日本国民は日本文化も皇室も守れません。さらに、国家主権が無い国(被占領国・破綻国・属国・属領…)には国民の諸権利を守る能力もありません。つまり、キリスト者でもないくせに人権普遍説を信じる者(信じた振りをする者を含む)は国家主権を奪われている状態を是認する属国民でしかないのでしょう。従って皇室を守ることは国家の独立とも密接に繋がっていると思われます。

    おぶこお

    2024年6月11日

    最後のコマに感銘しました。時として人間に牙を向き、人智を超えた存在としての「神」を端的に表現されていると思います。神に成り代わって、言論で闘いを挑む御自身を投影している自画像の様にも感じました。

    あしたのジョージ

    2024年6月11日

    人権を生まれながらに持っているという考えはおかしいのかもしれません。
    元々はフランス革命からきている全ての人間は平等という考えみたいですが、それには女性や奴隷や有色人種は入ってないなんて偏り過ぎていると思います。
    元がそんなんだから、やはり何が何でも人権第一という考えは根拠が曖昧で間違っているのではないかと思いました。
    いずれは皇室も人権第一という考えでキャンセルされそうで心配です。

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