自らをサルベージする最終手段を放棄するのか?

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 映画「あんのこと」をご覧になった方は少ないかもしれません。本作は2020年の春
に現実に起こった事件の記事から入江悠監督が脚本を書き起こしました。その事件と
は若い女性が薬物から更生して人生を生き直そうとした矢先にコロナ禍に阻まれ、自
ら命を絶ったというものです。

 以下では作品の内容を簡単に紹介しながら立論していきます。(ネタバレ)

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主人公の香川杏(河合優実)は実母(河井青葉)に虐待されて育ち、12才の時に家計のために母から売春を強要され、いつしか覚醒剤中毒にもなりました。ある日ラブホテルで薬物をキメた客が昏倒した際に逮捕され、拘置所で刑事の多々良保(佐藤二朗)と出会います。杏の出所時に多々良は、自身が運営する薬物更生者の自助グループ「サルベージ赤羽」を紹介しました。「サル~」に通い始めた杏は、取材中の記者・桐野達樹(稲垣吾郎)とも出会います。自宅に帰れば何もかも奪われるので、家を出たいと願った杏に桐野は特別養護老人ホーム「わかくさ苑」での仕事とDVシェルターマンションを紹介しました。「サル~」では自身の境遇を客観的に話せるようになり、薬物も断ち、「苑」の入所者とも心を通わせ、ようやく自分の居場所を見つけました。

 しかし、そんな頃にコロナ禍が発生し、非正規の杏は「苑」から自宅待機を命じられ、通っていた夜間中学は休校となり、「サル~」を開いていた公民館も閉鎖され、拡がり始めた杏の世界は再び削られました。その頃の杏を癒したのはシェルターの隣人(早見あかり)から預けられた男児”はやと”との時間でした。その子と過ごす時間だけが杏の生きがいとなっていきました。

 ところで、桐野が多々良を取材していたのは「サル~」に参加する別の女性に対する性加害を暴くためでした。聖人の堕落が大好物な読者の需要に応えるべく週刊誌は多々良を公開処刑しました。記事に心を削られた杏は逮捕された多々良とは連絡が取れず、さらに実母に居場所を突き止められ戻るよう懇願され、祖母のために戻ると再び売春して稼げと要求されました。金を持って戻ると”はやと”が居ません。五月蠅いから児相に引き取らせたと母は言います。絶望のうちにシェルターへ戻った杏は再び覚醒剤をキメてベランダから身を投げました。

 本作において杏を殺したのは誰でしょうか?視聴率(カネ)のためにコロナ風邪を過剰報道したテレビ、それを怖がって自粛を求めた大衆、部数(カネ)のために誰かの救いとなっている場所を破壊した週刊誌、それを楽しんだ大衆…それら全てが杏を殺したのです。つまり本作から我々が再考すべきはコロナ自粛禍やジャニーズキャンセルだと思われます。

 また、杏にとって「サルベージ赤羽」「わかくさ苑」「はやと」が居場所や生きる意味だったように、日本国民にとって生きる上での軸は愛子様を戴く皇室だと私は考えます。今それを放棄したら日本国民はサルベージ不可能な底の底まで堕落するでしょう。    

文責:京都のS

2 件のコメント

    京都のS

    2024年6月14日

     突撃様、※ありがとうございます。「毒親くらいは比較的簡単に切り捨てられると思う」「『ムラ社会』の中で許容される事でしか生きられない、個が弱い人間がやる事」「心の拠り所を、親にも、自分が所属する共同体にも、誰にも求めない事」は真正のリベラリズムが想定する「強い個人」ですね。しかしながら「あんのこと」の主人公・香川杏の置かれた環境は、上記のような言葉たちで切り捨てるには余りにも過酷でした。それだけにコロナ自粛を望み、誰でも彼でもキャンセルしたがるマスコミ人や大衆世間人には凄まじい怒りが湧きました。「天皇という存在」が「ハラワタの腐り止め」ですか。なるほど、そうかもしれませんね。

    突撃一番

    2024年6月14日

    誰かに救いを求めなくても平然と生きられるくらい、「一人でいて、寂しくない人間」であれば、毒親くらいは比較的簡単に切り捨てられると思う。

    コロナ禍にせよキャンセルカルチャーにせよ、結局は「世間体自粛 & 世間体ワクチン」だったり、SNSで “いいね” 欲しさに文春が吊し上げた生け贄を過剰に叩いてみたり、結局は「ムラ社会」の中で許容される事でしか生きられない、個が弱い人間がやる事ですから。

    「親殺しは、育ちの為の通過儀礼だ」は、ゴールデンカムイで尾形百之助が言ったセリフですが、核心を見事に突いてる、いいセリフだと思う。
    心の片隅にでも親への依頼心が残ってしまったら、真の「一身独立」は成立しませんから。

    観念的にでも親を殺す精神修行は、俺も丁度やってる所です。
    リアルに包丁で刺しても捕まらないなら、てっとり早いんだけどね(≧▽≦)

    心の拠り所を、親にも、自分が所属する共同体にも、誰にも求めない事から、日本人は修行し直すしかないと思います。

    ムラ社会の一員でなく、一個の国民として生きる者にとって最後の「ハラワタの腐り止め」として、天皇という存在が必要なのだと、今の所は考えています。

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