「愛子天皇論」連載「人権はいまだカルトなり」

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『愛子天皇論』連載です。

237章「人権はいまだカルトなり」

本日発売の週刊SPA!に掲載されています。
みなさんの感想、ぜひお寄せください。

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21 件のコメント

    基礎医学研究者

    2024年7月1日

    今回の章「人権はいまだカルトなり」。人権思想について、さらに深堀していますが、自分は、なんといっても“絵がすごい”というのが、率直な感想です。これぞ、風刺の王道。
    個人的には、51ページの2コマ目、マッドマックスをオマージュする、”イモータンよしんり”がよかったですね(かつて、コロナ論3の中で、「てめーら、ベイン(バットマンに出てくるキャラ)のマスクをしろ!」といって挑発していたコマを、彷彿とさせました)。まさに、この後に、「JINKEN≒人権」というバイレンスが描かれているので、導入として最高でした。
     それで、今回は56ページの最後のコマで、フュリオサよしりんが絶望的な表情で「人権思想とは、こんな狂気のなかから生まれたものだ。」と言われていますが、ここまでのギャグが入った絵によるコマ展開でないとやってられないくらいのおどろおどろしさが、「人権思想」に内包されていることが、よくわかりました。根本がおかしいから、途中途中で“手当”しようとしても逆にどんどん悪くなっていくのが、なんともいえない皮肉です。
     そして、さいごのコマで「人権教は誕生してたったの235年だ。」「まだ全然カルトである。」といって、(カルトでなくなるまでに)あと1000年は必要というのは彗眼(けいがい)で、 “伝統”へと昇華するためには、そのくらいの積み重ねが必要!というのは、見事なまとめだったと思います。次回も、楽しみにしております。

    或るファン

    2024年6月27日

    人権と叫ぶことによって人権侵害が行われうるのが現状であると考えると、人権カルトという言葉があっても無理もないと思いました。

    同時に、今の世論は別に人権の保障が満遍なく希求されているという訳でもないので、色々な意味で言葉の独り歩き感が否めないなと思う今日このごろです。

    たかが誤謬、されど誤謬、人権概念の運用は人類にはまだ難しいのかな。

    「この神(or 人)の言うことを信じなさい」ではない形でも倫理や道徳について考えることが喜びである人々が1000年後にどのくらい居るかわかりませんが……今も全く居ないわけではないと思っていたい。

    さとがえる

    2024年6月26日

    「人権はいまだカルトなり」の感想です。
    人権というものの得体の知れなさ、狂気を今一度感じました。
    たまたま読み進めている「ローマ人の物語(塩野七生)」でも、ギリシア・ローマの多神教に対して、ユダヤ・キリスト教の一神教は人間の行い・倫理道徳を神に求めるとあり、今回書かれていた一神教から人権への流れでも同じことがあり納得致しました。
    日本も元々八百万神の多神教なので、本来は信仰対象に倫理道徳を求めない方なのですが、それが忘れ去られているのか、今の日本の歪みを感じました。

    次回も楽しみにしております。

    Richard Tiger

    2024年6月26日

    愛子天皇論最新回、「人権はいまだカルトなり」、読みました。

    人権が生まれたフランスでの経緯が、血を血で洗う粛清そのものであり、ソ連や中国での粛清とソックリだと、驚愕しました🤔

    人権は行き過ぎると、当然、凶器になる。
    いま世の中で起きているあらゆる問題は、行き過ぎた人権主義が起超しているのは、物凄く、納得出来ます。
    最後のページに、さりげなくコールセンターのカスハラの絵が載ってたのは、コールセンターで働く私も共感するところです😅

    最近だと、東京都知事選挙の掲示板ジャックなんかは、人権を盾にした奇行の、最たる例だと思います。

    バチガミ

    2024年6月26日

    北海道は水曜日発売のSPA!ゴー宣第237章
    左翼思想にかぶれていた35年前の自分を見ているようで胸が苦しかったです(苦笑)。ゴー宣に出会わなかったら、人権真理教の敬虔な信者としてゴー宣アンチと化していた身の毛がよだつ恐ろしい未来だったかもしれません。種を撒くことって大切なんだなと実感してます。
    これからも珠玉の種を撒き続けてください。花が咲くかは受け取った本人の心がけしだいですけどね(にっこり)。

    ひとかけら

    2024年6月26日

    人権という西洋の考え方を使って日本人を攻撃するというのは民族として弱体化していると感じます。同じ日本人同士で叩きあってくれれば西洋的な考え方でもって日本を支配しやすくなると嫌らしい笑みを浮かべている連中が結構沢山居るのでしょうね。
    理性やら最高存在やら同胞同士で殺し合って殺伐とした狂気を展開しても残るのは焼け野原の荒野です。
    このような人間を崇拝し人権絶対じゃあと叫ぶ人々の狂信はカルトで恐ろしいものだと感じます。
    文化や楽しみまで否定して生き続けても後の世代の事を何も考えない暴挙です。

    マメシバ亭主

    2024年6月26日

    人権はカルトなりを拝読しました。
    今迄、散々自分の周りでやたらめったら「人権」「人権」と唱える連中に対して胡散臭さを感じてきましたが、「人権はカルト」の一言でその正体が見えました。
    そういう連中って理性も本能も常識も狂っていて、その狂った常識を押しつけて。文化も平気で破壊して、他人の幸せに嫉妬して、自分以外の人の人格を平気で否定しますから。
    ダンケーカルトがその最たる例だと思います。

    コチャコ

    2024年6月26日

    「愛子天皇論」「人権はいまだカルトなり」を拝読しました。
    フランス革命が王と王の一族を断頭台で処刑して王政を破壊した後のロペスピエールら革命政府の残虐さは人間の権力欲の業そのもの。
    知れば知るほど吐き気を催す残虐ぶりか端的に表現されていました。
    フランス革命に人権の夢を見ている人はさすがに周回遅れでしょう。
    絶対的な権威に縋る、信仰に支えられているのが人間で、伝統や慣習を破壊してしまったら狂気が暴走して邪魔者は抹殺!異論を唱えるものも抹殺!になるのは散々証明されています。
    歴史や伝統、慣習を断ち切った先に生まれるのはただカルトのみ。
    犯罪として裁かれたわけでもない有名人の、良識的には不適切な私的行為を殊更に暴き、社会的抹殺を後押しする週刊文春のようなメディアを放置していいのか?これからもキャンセルカルチャーを続けるのなら言わなくてはいけないです。
    「あなた達は人権を盾に法の原則も破壊するカルトである」と。

    ダグドラえもん

    2024年6月25日

    愛子天皇論最新回、早速拝読致しましたd(^_^o)。
    最近話題のマッドマックスコスな直系よしりんに度肝を抜かれましたけど、更に度肝を抜かれたのは…あのフランス革命後のフランス人達のやらかしを超えた恐るべき所業ではないかと…あんなのアリかオイィィィィッ∑(゚Д゚)‼︎
    ロベスピエールの恐怖政治については、学習漫画や教科書等で少し知ったんですが、実際はソレ以上にトンデモない事をしたんですね…ホント、マジでフランスは王制を廃止すべきじゃなかったかと(^_^;)。
    だからこそ、尚の事日本の文化は勿論の事(当然、ジャニーズや松ちゃんさんや古谷さんや伊東選手etc.の全てのキャンセルカルチャーされたorされそうになってる芸能人や声優やニチアサヒーローやスポーツ選手や著名人やクリエイターや作品やキャラetc.も含めて)、ご皇室ももっと大事にされて、人権カルトから守らなければならないと断言しますよ(● ˃̶͈̀ロ˂̶͈́)੭ꠥ⁾⁾

    あしたのジョージ

    2024年6月25日

    前のコメントでマッドマックスと書いてしまいましたが、フュリオサでしたね。
    まだ最新映画を観てないので、🙇

    それにしても人権思想の始まりはマッドマックスばりの狂気の世界そのものですね!
    こんな始まりの人権思想をありがたがり過ぎだと思います。
    みんなしてジャニーズ事務所や松本人志さんをキャンセルしてしまいました。
    ジャニーズ事務所に関しては、私も本当は余り偉そうに言えませんが、よしりん先生の話を聞くうちに変わってきました。
    今は人権よりも文化の方が大事だと思っています。

    ゴロン

    2024年6月25日

     「GOD」を殺したフランスで生じた、奇妙な?「GOD」的なものの変遷が、よく解りました。「自由」、「理性」、「最高存在」=「叡智」とか言葉遊びかと思うようなものなのに、何かしら「一神」として崇めたい、崇めさせたい狂気。結局、「人権宣言」を利用した権力闘争になっていたようですね。恐怖政治に走る感じは、中国、ロシア等と通じるものを感じました。「人権教」は「キリスト教の代替物」、まだ全然カルトである。納得です。
     現状は、正反対側の〇カどもが皇室消滅を目論む敵ですが。「天皇」の制度や皇室文化の本来の敵は、この「人権教」なのでしょう。

    くぁん

    2024年6月25日

    今週の『愛子天皇論』を読んで、真っ先に感じたキーワードが「カルト」「欺瞞」「偽善」でした。

    二十歳の頃、1ヶ月位かけてヨーロッパ諸国を貧乏旅行していた時、フランスには1週間程滞在していました。当時の自分としては観光国としてトップクラスの心地良さだったのですが、それは歴史を知らなかったからだという事が、遅ればせながら解りました(食べるものは美味しかったし、歴史ある建物など、見所は今でも満載だと思うのですが)♪

    観ようと思って足を運んだ「ドラクロワ美術館」が休館日で、あてどもなくフラフラ歩きながら立ち寄った、ナポレオンが眠る「アンヴァリッド(軍事博物館)」は全てを観るには膨大すぎる広さであり、いよいよ歩き疲れて、近所の公園のベンチ扱いでヨタレて座っていたコンコルド広場。まさにその場所で国王、王妃、その他大勢の人達がギロチンにかけられていたとはつゆ知らずだった自分がお恥ずかしい!

    人権宣言で高らかに謳われた『人権』は成人男性だけのものであるにも関わらず、ドラクロワが描いた”自由帽子”を被った「大衆を導く人」の象徴は女神である!とか…。さまざま都合が良すぎるザンス、おフランス♡と思ってしまう。

    まだまだ「カルト」レベルの「人権教」を、もしかしたら西洋人よりも有り難がってる、歴史ある国の民日本人には、あまりルソーやモンテスキューなどの「啓蒙主義」「設計主義」的な感覚は必要ないんじゃないか?とすら思う(国に奉仕する”軍人”という、社会契約論的な感覚は日本人には必要だと思うが)。

    小林先生の言うようにその歴史の長さ、深さからも「人権教」とはまだまだカルトであり、「理性を崇拝せよ!」とか、「最高存在!」なんて言葉そのものからも「カルト」臭を感じてしまう。

    “愛子天皇”という、これ以上ない程、伝統に適った存在がありながら、世迷いごとを言い続ける一部の人達には、是非読んで”感じて”もらいたい内容でした☆

    ありんこ

    2024年6月25日

    なんか、人権人権を言う人ってどこか着地点が見えなくて(あるいは見えすぎて)恐ろしい、近づきたくないという自分の本能?の理由が見えたような気がします。

    今回のゴー宣を読んでいて、ふっと思った事は、ここに国王がいたなら…、国王がいたならここまでの事には…というものでした。
    国民と相思相愛の天皇陛下を失ってはならないと、強く思いました。先生さすがすぎですね。

    yan ryu

    2024年6月25日

    前章第236章「人権は生まれながらに持っている?」では自分自身、まだまだ思想が逡巡していました。自分も戦後民主主義の教育からまだ完全には抜け出せていないなと感じました。今週はその逡巡を見事に断ち切ってくれる章でした!「理性の祭典」って大学受験の世界史で名前だけは聞いたことがありましたが、こんなバカげたものだったんですね。小林先生の画でその滑稽さがより際立っていると感じます。まさにカルトですね。キリスト教の代替物としての「人権」よりも日本人としての常識のほうが上のはずです。王政をヒステリックに打倒したフランス革命で寄る辺を失ってしまったフランス人、天皇という国民の象徴を戴いている日本人。どちらが幸せか、真剣に考えないといけないと感じました。

    まいこ

    2024年6月25日

    SPA!ゴー宣237章「人権はいまだカルトなり」の感想です。

    「人権」が「GOD」に代わって「神」として妄信されるようになった経緯を鮮やかに描き出して下さってありがとうございます。フランス革命以後の「祖国の祭壇」、「自由への祭壇」、「叡智」の像の描写は、人間の理性の産物である「法」を新たな神としても、人々は崇めるための偶像を求めるものであり、既存の偶像を打ちこわし、次なる偶像を打ち立てた者がまた新たな「神」、即席の信仰の対象になり代わってゆく破壊の連鎖、「理性」の本来の意味・「道理によって物事を判断する心の働き」とは程遠い、エゴイズムが跋扈する当時の狂気が伝わります。

    「人権」が文化を破壊してゆくのも、そもそも王制の破壊から始まっている故にということも身に迫りました。人間の理性、というよりは恣意的な判断、エゴイズムによって作られた「法」を「神」とせざるを得ない、王制を破壊してしまった「人権」というカルトを妄信する「キャンセル・カルチャー」も、現代の狂気。「人は何らかの神、崇拝の対象を持たずにはいられない」とすれば、誕生して235年の人権教ではなく、日本が長い歴史の中で醸成された天皇という素晴らしい「崇拝の対象」を戴けるのは有難いことですね。

    あしたのジョージ

    2024年6月25日

    付け足しみたいですが、イモータン・ジョーよしりんとマッドマックスよしりんの絵が好きです。
    出来たら何かしらのグッズが欲しいくらいです。😀

    三味線

    2024年6月25日

    『愛子天皇論』読みました!
    今回とにかく絵がすごい!!
    悪役大好きな拙者としては、イモータンよしりん,フュリオサよしりん,最後のダースよしりんにめちゃシビレてます(≧▽≦;!!
    悪でしか倒せない悪もあるので、悪は必要なのです!(笑)
    「革命宗教の起源」を積ん読中ですが^^;、文書よりも圧倒的な画力で、フランス革命期がいかにイカレた狂信状態、カルト宗教そのものだったかがよく分かりました!!
    法を崇めるとか「理性の祭典」とか「最高存在の祭典」って、幼稚園でやってるようなお遊戯演劇のようで実にカルト宗教臭い。オウム真理教や統一協会そっくりそのまま、ついでに日本会議や神社本庁などの男系カルトも同じです。そんなものに感極まるとか、ほんとバカなん^^;?としか言いようがありません。
    拙者の場合、何十年も遵法意識は希薄なのですが、法だの人権だの理性だの、そんなものを崇拝するとか、現代人も含めてコイツら完全に狂っとるナァと。(ノ∀`)
    様々な動植物や物質が存在する中で、どこからどう見ても人間にだけ何か特別な権利なんかあるはずがないし、神の失敗作と言ってもいいくらい、失敗や間違いだらけの人間の理性ほどアテにならんものはありません。

    じーま

    2024年6月25日

    237章「人権はいまだカルトなり」を読みました。
    フランスにおいて人権という理性神が生み出された結果がカルトにしかならなかったのを鑑みると、日本、世界の現状を見る限り人類はまだ「人権」を真に使いこなせていないということがよくわかります。
    人権をただ妄信するのではなく、文化と人権、国家と人権、皇室と人権など様々な方面で人権とはどうあるべきなのかをきちんと考える必要があるのかもしれません。場合によっては人権という言葉にも疑いを持つ必要があるのでしょう。
    僕の中で人権というのは「人一人一人が幸せに生きるための権利」みたいな意味でとらえてますが、少なくとも現状は不幸な目に遭ったと考える敗者が強者を叩きのめす武器みたいなものとして利用されており好ましいことではありません。

    京都のS

    2024年6月25日

     これは『愛子天皇論1』の物語パート(男野系子VS直系よしりん)に登場したラスボス漢野益荒子(おフランス帰りのモデル?)を論破するために用意された理論であると共に、「やがて天皇制は終わらせるべき」と訴える井上達夫氏(真正リベラル)への挑戦状だとも感じました。いよいよ、人権の名の下に皇室をキャンセルさせないための論陣が佳境に入った気がします。

    サトル

    2024年6月25日

    極めて私的な思い出?ですが、以前ライジングQ&Aにて、「フランスの知識人は王を殺したのは大失敗だったと認めますかね?」と質問させていただきました。
    回答は
    「絶対に認めないだろうな」……で、すっかり納得しておりまし(したつもり)たが、まだまだ私は甘かった。
    名古屋でのDOJOにて、木蘭師範からのライジング記事予告に驚き、また幸運にもその後開かれた一般読者参加の宴にて、資料を知り、図書館で借り(結局購入)、びっくりしました。
    もう直後から……だったんですね。
    今回の「人権はいまだカルトなり」は、以前からライジング等にて発信されていた「多くの宗教……それはキリスト教であろうと……最初は新興宗教のひとつに過ぎず、カルト的な要素、市民社会との軋轢を必ず引き起こし、そのうち収束していき……」になる結論に繋がるラストのコマでした。
    とくに「人権」は、その成立過程が既に欺瞞に満ちているからか、しかも、今やそれぞれの国柄を破壊している(発生過程、土壌無視の)代物。

    あと10世紀!かかると喝破。この10世紀……の含む意味……に、保守とは何か?に繋がるテーマであると、その深さに心酔しました。

    きちんと「愛子天皇論」に繋がる、基礎部分でもあると。

    やはりフランス革命は、大失敗ですね。
    フランス知識人は絶対に認めるはずがない。取り返しのつかないことをした。

    男系固執派のいう「取り返しのつかないこと」に対する、「本当に取り返しのつかないこととは何か?」を表した一作でした。ありがとうございます。

    あしたのジョージ

    2024年6月25日

    人権という概念が出来てからまだ日が浅く、キリスト教の歴史などと比べたらカルトみたいなものなのに、人権というものが何よりも優先されるべきものと思っている人達が多過ぎると思いました。
    人権というものをやみくもに盲信し過ぎていると思いました。
    行き過ぎるといずれは皇室の人達の人権を守れと皇室廃止論に行ってしまいそうで、心配です。
    人権というものをあまりにも信じ過ぎるとカルトになると気づいて欲しいです。

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