森先生のこれでいいのか「旧宮家養子案」第22弾です。
前回に引き続き、本人の意思を無視して「結婚させる」と、こうなるというお話です。毎日新聞社会面にこんな赤裸々な記事が出ていた戦後という時代を考える題材でもあります。https://t.co/BFDgqpp81r
— 森暢平 (@mori_yohey) July 8, 2024
戦後の混乱期、旧皇族をはじめとする上流社会の離婚スキャンダルが少なからず報じられた。戦後民主主義の時代、しきたりや因習にとらわれない新しい生き方が模索されるなかで、旧皇族の結婚の失敗は、反面教師と見なされたのである。
と始まる今回。まず華頂博信、華子夫妻が離婚にいたった真相を報じたことを書かれています。
毎日新聞社会面で報じられた、実業家戸田豊太郎氏と華子氏のクロークルームでの「情事」見つけたのが夫であることも衝撃ですが、毎日新聞でこちらが報じられて、妻の言い分が「産業経済新聞(現在の産経新聞)」で報じられているのも衝撃です。後に華頂夫婦は離婚し、華子氏は戸田氏と再婚します。いわゆる「華頂事件」です。
同じころに旧朝鮮王族、李鍵氏が妻松平伯爵家・分家出身の佳子氏と離婚します。
当時のメディアは「縛られている女性の解放」のように好意的に報じます。
森先生は
皇族や華族は縛られた生活をしていたからこそ、旧弊な家父長制の軛(くびき)から彼女たちが逃れようとする――という物語を、戦後民主主義社会が欲するのである。
と書かれています。そして、昭和天皇の娘の結婚、上皇さまが美智子さまと結婚されるという皇族の新しい形の結婚が賞賛されるようになっていく時代の流れがありました。
さらに森先生は
戦後社会は自由であった。現代に同じことが起きたなら、旧皇族の不倫としてさんざんにバッシングされたであろう。私たちは戦後の自由を失いつつある。解放された旧皇族を再び皇籍に戻そうという運動こそ反動化の典型である。
なぜかこの令和の世に「解放され、自由を手に入れた旧皇族を元に戻そう」「女性皇族を婚姻後も皇族の身分を与えて夫子供は国民として縛ろう」という自由のない世の中にしようとしている反動が起きていることを書かれています。
森先生は最後「華頂事件」をテーマに書かれた坂口安吾の文章を引用し
「上流階級の内情や人情というものは、離婚された娘や妹の身のふり方や将来ということよりも、一家一門の名誉だけを考え、そのためには、たとえ娘や妹に正理があっても家名のために彼女の一生や幸福をふみにじる」(「宮様は一級紳士」『オール讀物』51年11月号)
踏みにじられる皇族女性にとって、それはたまったものではない。
と書かれています。
解放された女性という戦後の流れのままで行くと、「女だから皇太子になれない」という古臭い因習から解放される女性像が見えてきそうなものですが、なぜか古臭い因習が反動化で強くなっていて。しかも皇室の皆さまと国民が女性・女系天皇支持で旧宮家養子案反対という状況の中「一家一門の名誉」ですらなく、ごくごく一部のダンケーカルト国会議員の名誉のために皇位継承制度と皇族女性の扱いがおかしなことになっている現状。
本当にたまったものではないです。
森先生の次回作も楽しみにしています。
3 件のコメント
くぁん
2024年7月14日
いつか小林先生が言っていた「保守と反動は違う」に繋がりますね♪まさにただの”反動化”だ!
突撃一番
2024年7月13日
愛子様に、「男系血統維持の為、惚れた男と結婚する自由」まで自粛させようとしてるのが、例えば倉山満だったりするわけです。
女性皇族の結婚相手を、旧宮家に限定しようというのだから、とにかく腐ってる。
SSKA
2024年7月13日
自由の概念と皇室の在り方とは本来矛盾するもので、そもそもその自由を戦後民主主義と共に批判するくせに一度得た旧宮家系を再び制約の中に戻せると考える男系派は馬鹿の極みと常々思っています。
今の時代に個人の自由を認めないのは眞子様のご結婚も同じで、女性皇族の人生に真剣に向き合わない制度欠陥があり国民になる定めが決まっている以上、自由の中で選択した内容にとやかく言われる筋合いは無い筈です。
皇室に窮屈さを感じる人が現れるのはこれから先も変わらないでしょうし、その中で残る方と出られる方の双方の意思決定を出来る限り尊重する以外、皇室と国民が関係を保ちながら生きる事は難しくなると思われます。
一方で個人の人生や皇室の在り方を定める皇室典範は本来ならお返しすべきですし、出来ない間は制限の中での異なる自由に国民の側が最大限配慮しつつ不幸にならない道を真剣に考え模索し続ける事、その中で天皇が最も輝ける在り方についても常に考えておられるのでこちらが耳を傾け実現を妨げない為に行き着くのは君臣の別の正しい理解と承詔必謹の構えを基本姿勢とする以外に無く、週刊誌バッシングに安易に乗る大衆性と男系派を排し女帝を歓迎する良識の両方を併せ持つ国民(自分もその一人)が少しでも視野を広げながら自らを律し続ける他無いと改めて考えさせられる内容でした。