大陸の祖母に聞いた,長崎の原爆の話と思いを添えてご紹介します

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ふと8月9日を迎え、朝の放送にて祖母を思い出しました。

祖母は長崎にある田舎の野武士の家だったそうで、10人家族だったと大陸で聞いた事がありました。長男、次男、弟は大東亜戦争にて戦死されたり、生き延びて大変だったと伺い、姉や妹はかっけにかかったり、病で死んでしまったりと聞き、当時の家族は大変だったのだなと感じました。

そこから、八路軍で働いてた際に原爆の話を聞いたようで、おそらく軍属の仲間か祖父から聞いたのでしょうか、最初は真っ白になり、家族の安否に気を揉(も)んだと言い、印象に残ったのは、

日本に原爆を落とされたと話した際に、すごく悔しそうな表情と”戦に負けたから、アメリカが日本に落とした。”と、こぼしていたのを記憶しています。

祖母は、戦時に兄、弟が戦死したときのことを話します。
自分の父は兄弟の戦死の際、人目がある時には「陛下に申し訳立った!」と言い、影では泣いていたそうです。(その時、祖母が思ったことは)「兄弟死んだのに何が申し訳立ったんだ、馬鹿みたい。」ということ。

日本の敗戦後については、「お上や天皇については国の頭なんだから、しっかりしてほしい、人の命をかけてるので勝ってほしい」

そんな気持ちを吐露していました。八路軍人になっても愛国心はあるのかなと感じた次第です。

祖母の信条は、やられたら倍返し、戦を仕掛けたら何が何でも勝つ、だから負けてはいけない、そんな感じがあり、繰り返し言っていたのは、「どんな事にも負けてはいけない」との事でした。

原爆は恐ろしいもの、それを落とさせた心理も恐ろしい。

大陸の祖父もアレは恐ろしい、落とした輩(国)も恐ろしい、とつぶやきを一回だけ聞いた気がします。

また、天皇については惻隠の情が湧いてたのか、負けてしまったのか、「あいつ(東條)がしっかりしてれば(ボソリ)」とも、聞いた事がありました。戦いに勝ってほしかった(祖母)、勝っていれば君主を苦労にさせないで良かったのに、惜しい。(祖父)そんな気持ちがあったかと思われます。


8月9日の原爆投下された日は死者を悼む日ですが、この先、もう二度と落とさせない、政治、外交にも負けない、と新たに誓う日であっても良いのではと感じた次第です。

文責 神奈川県 神奈川のY

2 件のコメント

    神奈川のY

    2024年8月12日

    のりおさま、コメントありがとうございます。今考えると祖母の父の気持ちも分かりますが、祖母の”私”による発言も、当時憲兵などが目を光らせる周囲の集団圧力に違和感を持っていたから出た言葉かなと思いました。名誉の戦死と言って兄弟を奪っておきながら戦がドンドン負けていった理由は何なんだと。原爆投下はすでに日本が降伏間近の状況でも原爆の効果を知りたいとアメリカが自分以外の人種だから、B29で焼夷弾を落としても飽き足らず実験したと強く認識しています。敗戦後のリンチ裁判しかりです。ジュネーブ条約全然守っていないとも感じました。もっと陸軍と海軍が協力してたら、上の幕僚参謀が才ある人の意見を取り入れてたらとやるせないです。だから、もう理不尽にされないよう負けない!と思いました。

    のりお

    2024年8月11日

    これは、とても考えさせられるお話ですね。
    お父様の発言からは「私」と「公」の中で葛藤していた事が良く分かります。当時は、「陛下に申し訳立った!」というのが「公」だったのでしょう。「馬鹿みたい。」と「私」の発言を社会でするのは難しかったと思います。
    原爆投下については世間でいろいろな意見がありますが、負けたから落とされた、というのは一つの考え方だと思いますし、落とされないためにも二度と負けてはならない、という考え方もできるかと思います。実際、日本が開戦初期の勝っていた戦局のまま終戦を迎えていたら原爆を使う国は無かったでしょう。

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