【愛子さまの軌跡】4. 雅子さま、ご体調を崩されご療養生活へ

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平成15(2003)年10月~平成16(2004)年6月
愛子さま 1,2歳

雅子さま、ご体調を崩されご療養生活へ

(展示時、「ココ好き」シール 24枚
※全て、怒り・悲しみの気持ちとしての投票)

いわゆる「人格否定発言」をなされた記者会見での皇太子さま
引用元:宮内庁HP「デンマーク・ポルトガル・スペインご訪問に際し(平成16年)

<<展示時の記述>>

平15年10月:この頃から、はっきりと体の不調を意識されるようになる。

12月:帯状疱疹を発症。

平16年3,4月:小和田家・軽井沢別荘でご療養。

5月10日:皇太子さま、「人格否定発言」。

6月:大野裕氏が主治医となり、本格的な治療が始まる。

7月:雅子さまのご病名を「適応障害」と発表される。



雅子さまのお体がとうとう悲鳴を上げました。

愛子さまがお生まれになった後も、間髪入れず第二子出産圧力をかけられる皇太子さまと雅子さま。
皇太子さまは、記者会見や文書回答のたびに、出産へのプレッシャーをかけないよう求め続けられました。

平成15年6月のご成婚10年に際しての文書回答では、

「今後,一人目に至るまでにあったような内外からのプレッシャーを是非とも避けたく,この点につき,よろしくお願いしたいと思います。」

とまで訴えられました。
(この頃の記者会見、文書回答は、いま読み返すと異様さが際立っています。)

にも関わらず、宮内庁長官は翌日の記者会見で、
「やはりもう一人は欲しい」と、お二人のお気持ちを真っ向から否定。

よしりん先生は、『天皇論 平成29年』で
「急かしたくなる気持ちもわかるが、急かして何とかなるものではない」
と書かれています。


10月、宮中晩餐会で雅子さまのご紹介が省かれるハプニングが発生。
東宮御所に戻られた雅子さまは、愛子さまの寝顔を見ながら失意の底に沈み、
ご自分を責める方向に気持ちを向かわせてしまわれたといわれています。

この頃の雅子さまは、
・朝、起きられないほど体に力が入らない
・日中もだるくて頭がぼうっとする
・突然悲しくなって夜眠れない
・怖い夢を見て心臓が破裂しそうなぐらい動悸が止まらない

という状態だったとのこと。

12月、帯状疱疹を発症して入院した後、退院されたときの様子が報じられたとき、皇太子さまのご学友である久万暢敏氏は、
「これはただごとではない。心療内科か精神科医にご相談ください」
と皇太子さまにお伝えしたそうです。

そのような雅子さまの状況も顧みず、宮内庁長官は記者会見で、
「秋篠宮さまのお考えもあると思うが、皇室の繁栄を考えた場合、三人目のご出産を強く希望したい」
と発言します。


翌年1月に、雅子さまはしばらくは心身の静養に努められることを文書で発表。

3,4月には小和田家の別荘でご療養されますが、この頃の雅子さまが一番深刻な状況だったそうです。

「雅子さまの状態は本当に深刻でした。目が虚ろで、表情にも力がなかった」
(『文藝春秋』令和6年1月号「雅子さま還暦「内なる戦いの30年」」より)

皇太子さまも別荘を訪れられましたが、近くのホテルでお一人で滞在されることがほとんど。
「離婚」の危機も囁かれました。
皇太子さまは、ご帰京後、御所で天皇皇后両陛下や紀宮さまとお食事をされたときに、涙ながらに雅子さまの窮状を訴えられたといいます。


そして、5月10日、海外訪問に際しての記者会見上で、次のような発言をなされます。

雅子にはこの10年,自分を一生懸命,皇室の環境に適応させようと思いつつ努力してきましたが,私が見るところ,そのことで疲れ切ってしまっているように見えます。
それまでの雅子のキャリアや,そのことに基づいた雅子の人格を否定するような動きがあったことも事実です。

このご発言は大きな波紋を呼びました。

宮内庁幹部の中には、「雅子妃が実直な皇太子にあのような発言をするよう仕向けたのではないか」と、本気で敵意を見せ始める向きもありました。

しかし、会見後、宮内庁に700通ものメールが殺到しましたが、そのほとんどは宮内庁に対する批判でした。

そしてこの会見を機に、本格的に医療体制が敷かれることとなり、雅子さまは最悪の展開からは脱することができました。


それでも、雅子さまや皇太子さま、果ては愛子さまにも及ぶバッシングはその後も形を変えながら続きます。
雅子さまは、ご活躍が報じられる現在でも、ご療養が続いている状態です。


女性・女系天皇が認められていれば、起こることのなかった悲劇です。


※この問題は、『天皇論 平成29年』で、2章を割いて描かれています。
ぜひそちらもお読みください。

※肩書きや称号は、いずれも当時のものです。

参考文献:
皇太子同妃両殿下ご成婚10年に際しての文書回答(平成15年)
デンマーク・ポルトガル・スペインご訪問に際し(平成16年)
・『天皇論 平成29年』(小林よしのり、小学館)
・『皇后雅子さま物語』(友納尚子、文春文庫)
・文藝春秋令和6年1月号「雅子さま還暦「内なる戦いの30年」」
【独占秘話】雅子さま、還暦目前の大英断で実家を空っぽに!小和田家の長女としてたどり着いた“親孝行”


※※バックナンバーはカテゴリー「愛子さまの軌跡」でチェック!

文責:静岡県 L.K

2 件のコメント

    くりんぐ

    2024年8月13日

    側室無しでの男系男子限定継承を強いる宮内庁側が異常なのに、それを分かろうともせず皇太子さまと雅子さまに対し「やはりもう一人(男の子)は欲しい)」と無神経発言をする当時の宮内庁長官にハラワタが煮え繰り返る思いです。

    宮内庁が全くあてにならない中、皇太子さまはご結婚時の約束通り雅子さまを守ってくださった。まさに男の中の男!
    日本国の象徴である天皇となられるにふさわしい振る舞い!
    それだけが救いでした。

    男系継承に固執したままでは、今度は悠仁さまのご結婚相手が同じ目に遭うことは明らか。
    悠仁さまの幸せのためにも、女性・女系天皇への道を一刻も早く開きましょう!

    あしたのジョージ

    2024年8月13日

    宮内庁の人達は、本来皇室の人達をお守りするのが仕事なのに、雅子さまに対して余りにも失礼というかそれ以上にトンデモない精神的なイジメをしてきたと思います。 
    今でも療養を続けている雅子さま。
    美智子さまの時もそうでしたが、こんな事を繰り返してはいけないと思うので、早く女性女系天皇を容認するように、皇室典範改正をするべきだと思います。

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