国を想い人を観るさい、大任を任せてはいけない人の共通点をご紹介致します

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昨今、皇位継承安泰の為、議員達に国民の声を届ける中、議員達の中には大任を任せてはいけない、頭でっかちでツメが甘い人などがまだまだいて、彼らを攻略する(退ける)見極めの一つを、大陸の三国志演義からご紹介したく思います。

三国志演義で大国相手に奮闘する、主人公の一人の諸葛亮孔明という軍師がおりますが、彼は自分の後継者選びで“馬謖”という人物を推しました。
この”馬謖”は当時の名士一族で、兄の馬良を含めて有名な知識人で諸葛亮孔明が軍師で支える劉備に仕えました。馬謖は恵まれた環境で育った秀才で、軍略を好んで論じてたとあり、孔明から可愛がられていました。恐らく、インテリでスマートな振る舞いと劉備軍に少ない文人肌で、孔明と気が合ったのでしょう、
 孔明は馬謖に一軍師として、後の大事な戦の指揮官に抜擢するほど可愛がりました。しかし、君主の劉備は、馬謖が、抜擢される過程で、逆境など挫く体験をしていないエリートだけの脆さと甘さが気になったのか、孔明に「馬謖は頭はいいが実行力がないため、軍隊の指揮は任せてはならない」と諸葛亮に厳しく念をおし危惧しました。
 実際、馬謖は自分の才と軍略に自惚れて、他の将軍の意見を聞かず、傲慢さがあったとか。臨機応変が要の兵法も、机上の空論で考えて戦をしかけ、ベテランの敵将にボコボコにされてしまいました。馬謖は大事な戦に負けて国力を著しく削ぎ、なおかつ自分を立ててくれた孔明の顔を潰したため、軍法にて処され、後世に大任を任せられない人物として名を残しました。
 さて、この才に溺れ他者を顧みない頭でっかちでツメが甘いと思われる軍人が、日本にもいました。その軍人の名は、八原博通。彼は馬謖と共通点があり、兵法や軍略を好みアメリカ軍と戦うも、先を見通す力は無く、他者を顧みない振る舞いをした、と聞く人です。彼は兵法や軍略にたけ、戦闘で強くも、大事な事を軽視して沖縄の禍根につながる振る舞いをしました。例えば硫黄島の栗林司令は徹底抗戦し、時間稼ぐ戦いをするさいには、人民の避難と保護を優先し、あくまで軍人が戦う形で抗戦しました。しかし、八原氏はまだ沖縄の人達がいる中で抗戦し、本土と沖縄の溝を作り、こいつは馬謖と同じ頭でっかちでツメが甘い大任を任せられない人物と感じました。


今の日本の議員達を観ると、大任を任せて良い議員はいかほどおりましょうや?

いないのならば、国民の意で育てればなお良いと感じた次第です。皆様もご一緒に声を届け続ければ、良い議員が出て来ること間違いなしです。

皇位継承安泰、国家安寧、愛子さまを皇太子に、
男系固執はいい加減にしやがれ!です。

文責 神奈川県 神奈川のY

3 件のコメント

    神奈川のY

    2024年8月30日

    コメントありがとうございます、お疲れ様です。
    京都のSさま、人材不足というと、三国志で言うと世の流れで、乱世になると英雄が現れると言いますが、日本はどうなのかと思いました。まだ乱世では無いのですが、色々と混沌してる世の中とも言えます。きっと混沌してる世の中の時は義心、公の精神を持った人が活躍するのかなと思いますゆえ、小泉氏に発破かけ、野田佳彦議員に発破かけ、石破議員には見据えて発破かけで対応ですね。
    基礎医さま、八原博通のことは「新戦争論」に書かれていました。
    最初私は八原博通氏がアメリカ軍に対して寝技戦法という大打撃を見舞った頭の切れるすごい奴と思いましたが、その実、栗林司令と比べるのもおこがましい人品の差があり、まさに馬謖、呉の諸葛恪のレベルだと思いました。三国志で言えば公孫瓚の最期で籠城して勝つために味方を見殺しにし、それが原因で滅んだというエピソードが思い浮かびました。この八原博通、生き残り、捕虜になって帰還したとか。いわゆる保守の間では名将の一人と数えられてるのではないかと。賛美の記事しかネットで見つけられず。真実は・・・です。
    ちなみに王平はその実直なる性格と慎重に戦うとあり、私の中で蜀のイケオジ5に入っております。司馬懿は魏のヴィラン5におります。

    基礎医学研究者

    2024年8月30日

    (編集者からの割り込みコメント)興味深く読ませていただきました。沖縄戦については、あの状況でどこまで住民をまきこませなことができるのかは単純にはいえないところがありますが、少なくともそのことを考えずに、八原という方はアメリカ軍に対峙してしまったのですね(しかも、この方ってもしかして生き残っているのか?)。
     あと、馬謖に関しては、まあ自分も京都のSさんと同感ですね。やはり、人のの能力って全知全能ではないのだろうと。自分は、劉備という人は単に人徳や漢の皇帝の血筋(この定義、要するに男系の子孫ということですよね)だけで君主になったのではなく、人を見ぬ気、適材適所でよく用いたということなのだと(曹操とは、また異なるやり方で)。馬謖に関しては、ライバルの司馬懿は、自分も計略にかけられたことあるけど、その本質をよく見抜いていましたよね。あと、蛇足的ですが、自分はこの時に馬謖の戦術に反対した王平はもっと評価されてよいと思いましたね。王平は魏の徐晃のときにも同じことがありましたが、こういう直言してくれる人の存在は貴重ではないかと。
     最後に、だが「皇室継承問題」に限っては、自分は「皇位にの安定継承」には愛子さまを皇太子に!が、必然。誰が、とかは関係ない。他のことに難があろうと、ここだけ見誤らずに行動する政治家を応援します。

    京都のS

    2024年8月30日

     Y様、これも興味深い話です。なるほど、沖縄戦の悲劇(後の本土と沖縄とに深い溝が出来た原因)の原因は八原博通でしたか。そして「泣いて馬謖を斬る」の故事ですね。軍師・諸葛孔明も万能ではなく、人物の人格を見抜く力までは無かったわけですね。さりとて現代日本は日本史上で最も人材不足の時代ゆえか、小泉進次郎氏に頼るしかなくなっています。

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